長短経 / 三国権
是時羅憲以重兵據白帝、霍弋以強卒鎮夜郎、蜀土險狭山水峻隔、絶巘激湍、非歩卒所渉若悉収舟檝保據江州、徴兵南中、乞師東國、如此則姜、廖五將、自然雲從、吴之二師、承命電赴。何投寄之無所、而慮於必亡耶?魏師之来、搴國大舉。欲追則舟檝靡資、欲㽞則師老多虞、且屈伸有㑹、情勢代起、徐因思舊之人以攻驕惰之卒、此昭王所以走闔閭、田單所以摧騎刧也。何為忩忩遽自囚虜、不堅壁於敵人、致斫石之至恨哉?
新字:是時羅憲以重兵拠白帝、霍弋以強卒鎮夜郎、蜀土険狭山水峻隔、絶巘激湍、非歩卒所渉若悉収舟檝保拠江州、徴兵南中、乞師東国、如此則姜、廖五将、自然雲従、呉之二師、承命電赴。何投寄之無所、而慮於必亡耶?魏師之来、搴国大舉。欲追則舟檝靡資、欲㽞則師老多虞、且屈伸有会、情勢代起、徐因思旧之人以攻驕惰之卒、此昭王所以走闔閭、田単所以摧騎刧也。何為忩忩遽自囚虜、不堅壁於敵人、致斫石之至恨哉?
書き下し
是の時、羅憲は重兵を以て白帝に拠り、霍弋は強卒を以て夜郎に鎮す。蜀の土は険狭にして山水峻隔し、絶巘激湍、歩卒の渉る所に非ず。若し悉く舟楫を収めて江州に保拠し、兵を南中に徴し、師を東国に乞わば、此くの如くんば則ち姜・廖の五将は自然に雲のごとく従い、呉の二師は命を承けて電のごとく赴かん。何ぞ投寄の所無くして、必亡を慮らんや。魏の師の来たるや、国を搴げて大挙す。追わんと欲すれば則ち舟楫資る靡く、留まらんと欲すれば則ち師老いて虞れ多し。且つ屈伸に会有り、情勢代わる代わる起こる。徐ろに旧を思うの人に因りて、以て驕惰の卒を攻めば、此れ昭王の闔閭を走らせし所以、田単の騎劫を摧きし所以なり。何為れぞ忩忩として遽かに自ら囚虜となり、壁を敵人に堅くせず、斫石の至恨を致さんや。
現代語訳
このとき羅憲は大軍で白帝城に拠り、霍弋は精兵で夜郎を守っていた。蜀の地は険しく狭く、山と川が切り立って隔て、断崖と急流は歩兵が越えられるところではない。もし舟をすべて集めて江州に拠り、南中から兵を集め、呉に援軍を求めれば、姜維・廖化ら五人の将は自然と雲のように集まり、呉の二つの軍は命を受けて稲妻のように駆けつけただろう。身を寄せる先がなくて必ず滅ぶと心配する必要がどこにあったのか。魏の軍は国を挙げての大軍だった。追おうにも舟の備えがなく、とどまろうにも兵は疲れて心配が多い。しかも屈するときと伸びるときには巡り合わせがあり、情勢は代わる代わる起こる。ゆっくりと旧主を慕う人々を頼みにして、驕り怠けた敵兵を攻めれば、楚の昭王が呉王闔閭を追い払い、斉の田単が燕の騎劫を打ち破ったのと同じことができた。どうして慌ててすぐに自ら捕虜となり、敵に対して守りを固めず、姜維の兵が石を斬って悔しがるほどの恨みを招いたのか。
解説
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『長短経』三国権〔議に曰く、国君は社稷の為に死すれば則ち死し、社稷の為に亡ぶれば則ち亡ぶ。譙周、後主に魏に降らんことを勧むるは、可なるか。孫盛曰く「春秋の義、国君は社稷に死し、卿大夫は位に死す。況んや天子と称して人に辱めらるるをや。周は万乗の君をして、生を偸み苟くも存し、礼を亡いて利を希い、微栄を要冀せしむと謂う。惑えり。且つ事勢を以て之を言うも、理に未だ尽くさざる有り。何となれば、禅は庸主なりと雖も、実に桀・紂の酷無く、戦いは屢々北ぐと雖も、未だ土崩の乱有らず。縦い君臣固守し、城を背にして一戦すること能わずとも、自ら退きて東鄙に次り、以て後図を思うべし。
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『長短経』三国権蜀の地は険しからざるに非ず。高山は雲霓を尋ね、深谷は無景を肆にし、馬を束ね車を懸けて、然る後に能く済る。皆一夫戟を荷えば千人も当たる莫しと言う。兵を進むるの日に及びて、曽て藩籬の限り無く、将を斬り旗を搴り、伏屍数万、勝ちに乗じて席巻し、径ちに成都に至る。漢中の諸城、皆鳥のごとく棲みて敢えて出でず。皆戦う心無きに非ず、誠に力相抗するに足らざればなり。劉禅降服するに至り、諸々の営堡の者、索然として俱に散ず。今、江淮の難は剣閣に過ぎず、山川の険は岷漢に過ぎず。孫皓の暴は劉禅より侈に、呉越の困は巴蜀より甚だし。而して大晋の兵衆は前世より多く、資儲器械は往時より盛んなり。今、此に於て呉を平らげずして、更に兵を阻みて相守らば、征夫は苦役し、日に干戈を尋ね、盛衰を経歴し、長久なるべからず。宜しく時に当たりて定め、以て四海を一にすべし。今、若し梁・益の兵を引きて、水陸俱に下り、荊楚の衆は進みて江陵に臨み、平南・豫州は直ちに夏口を指し、徐・揚・青・兗は並びに秣陵に向かい、鼓旆して以て之を疑わしめ、多方にして以て之を誤らしめば、一隅の呉を以て、天下の衆に当たり、勢い分かれ形散じ、備うる所皆急ならん。巴・漢の奇兵、其の空虚に出で、一処傾壊すれば則ち上下震蕩せん。
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『長短経』三国権〔後主、譙周の策を用い、璽書を艾に奉じて曰く「限りて江漢を分かち、深遠に遇値し、蜀土に階縁す。一隅に斗絶し、運に干い冒を犯し、漸苒として載を歴たり。毎に惟うに黄初中、温密の詔を宣べ、三好の恩を申べ、門戸を開示し、大義炳然たり。而るに不徳闇劣にして、遺緒を貪竊し、俛仰して紀を累ね、未だ大教に率わず。天威既に震い、人鬼能に帰するの数、王師を怖駭す。神武の次る所、敢えて面を革め、順いて以て命に従わざらんや」と。
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『長短経』三国権今、議する者、或いは舟を汎べて径ちに済り、江表に横行せんと欲し、或いは道を倍にして並び進み、其の城塁を攻めんと欲し、或いは大いに疆場に佃して釁を観て動かんと欲す。此の三者は皆賊を取るの常計なり。然れども之を施すこと機に当たれば則ち功成り、苟も節に応ぜずんば、必ず後患を貽さん。兵を治めしより已来、出入三載、掩襲の軍に非ざるなり。賊は元帥を喪い、利は退守に存す。若し船を津要に羅ね、城を堅くし野を清くせば、横行の計は、其れ殆ど捷ち難からん。賊の寇を為すこと幾ど六十年、君臣偽りて立ち、吉凶患いを同じくす。若し恪其の弊を蠲かば、天の疾を奪う。崩潰の応は、卒かに待つべからざるなり。今、賊は羅落を設け、又た重密を持し、間諜行われず、耳目聞く無し。夫れ軍に耳目無く、校察未だ詳らかならずして、大衆を挙げて以て巨険に臨むは、此れ希幸邀功と為し、先に戦いて後に勝ちを求むるなり。全軍の長策に非ざるなり。唯だ大佃のみ最も差や完牢にして、兵は民の表に出で、寇鈔も犯さず、坐して積穀を食い、運士を煩わさず。釁に乗じて討襲し、遠く労費すること無し。此れ軍の急務なり。
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