長短経 / 懼戒
隋煬帝親御六軍伐髙麗、禮部尚書楚國公楊𤣥感據黎陽反。李密説𤣥感曰、「天子逺征遼左、地去幽州、懸隔千里、南有巨海之限、北有胡戎之患、中間一道、路極艱危。今公擁兵、出其不意、長驅入薊、直扼其喉。前有髙麗、退無歸路、不過旬日、資粮必盡、舉麾一召、其衆自降、不戰而剋計之上也〔一本云、今車駕在遼東、未聞斯舉。分萬餘人電發、捍臨渝闗、絶其歸路、不經一月、倉廩必竭。東拒大敵、西廹我師、進無所依、退無所據、百萬之衆、可使為魚。此不戰而屈人上䇿也。〕
新字:隋煬帝親御六軍伐高麗、礼部尚書楚国公楊玄感拠黎陽反。李密説玄感曰、「天子遠征遼左、地去幽州、懸隔千里、南有巨海之限、北有胡戎之患、中間一道、路極艱危。今公擁兵、出其不意、長駆入薊、直扼其喉。前有高麗、退無帰路、不過旬日、資粮必尽、舉麾一召、其衆自降、不戦而剋計之上也〔一本云、今車駕在遼東、未聞斯舉。分万余人電発、捍臨渝関、絶其帰路、不経一月、倉廩必竭。東拒大敵、西迫我師、進無所依、退無所拠、百万之衆、可使為魚。此不戦而屈人上策也。〕
書き下し
隋の煬帝、親ら六軍を御して高麗を伐つ。礼部尚書楚国公楊玄感、黎陽に拠りて反す。李密、玄感に説きて曰く「天子遠く遼左を征し、地は幽州を去ること懸隔千里。南に巨海の限り有り、北に胡戎の患い有り。中間の一道、路極めて艱危なり。今、公兵を擁し、其の不意に出で、長駆して薊に入り、直ちに其の喉を扼せば、前に高麗有り、退くに帰路無し。旬日に過ぎずして、資糧必ず尽きん。麾を挙げて一たび召さば、其の衆自ら降らん。戦わずして克つは、計の上なり〔一本に云う、今、車駕遼東に在りて、未だ斯の挙を聞かず。万余人を分かちて電発し、臨渝関に捍ぎ、其の帰路を絶たば、一月を経ずして、倉廩必ず竭きん。東は大敵を拒ぎ、西は我が師に迫られ、進むに依る所無く、退くに拠る所無し。百万の衆も、魚と為さしむべし。此れ戦わずして人を屈するの上策なり〕。
現代語訳
隋の煬帝は自ら六軍を率いて高句麗を伐った。礼部尚書楚国公楊玄感は黎陽に拠って反乱を起こした。李密は楊玄感に説いた。「天子は遠く遼東に遠征し、幽州から千里も隔たっています。南には大海の限りがあり、北には胡の憂いがあり、その間の一本道はきわめて険しい。いま公が兵を擁して不意を突き、長駆して薊に入りその喉を押さえれば、天子の軍は前に高句麗、後ろに帰る道がありません。十日もたたずに兵糧は必ず尽きます。旗を挙げて一声呼べば、その兵は自ら降ります。戦わずに勝つ、これが上計です〔別の本に言う。いま天子は遼東にいて、まだこの挙兵を知らない。一万余りを稲妻のように送って臨渝関を塞ぎ、帰り道を断てば、一月もたたずに倉は尽きる。東は大敵を防ぎ、西は我が軍に迫られ、進むにも頼るところがなく、退くにも拠るところがない。百万の兵も魚のように捕らえられる。これが戦わずに人を屈服させる上策である〕。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒関中は四塞にして、天府の国なり。衛文昇有りと雖も、意と為すに足らず。今、若し衆を率いて長安に入らば、天子還ると雖も、其の襟帯を失わん。険に拠りて之に臨まば、故より当に必ず克つべし。万全の策、計の中なり〔一本に云う、上の天下に君臨してより、胥怨む。明公は上将の子にして、恩は黎元に被る。長駆して関に入るは、中策なり〕。若し近きに随い便を逐いて、先ず東都に向かい、兵を堅城の下に頓めば、勝負俱に未だ知るべからず。此れ計の下なり〔一本に云う、樊子蓋は大体に達せず、姦謀雄断にして、全周の地に拠り、甲兵の強きを恃む。之を召すも則ち来たらず、之を攻むるも則ち陥らず。兵を牢城の下に頓め、外に同力の師無し。洛陽を攻むるは、此れ下策なり〕」と。玄感は洛陽の宝貨を利として曰く「公の下策は、我の上策なり」と。遂に之を囲む。玄感利を失い、宵に潰え、王師追いて之を斬る。
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『長短経』懼戒太宗喜びて曰く「計将に安くにか出でんとする」と。文静対えて曰く「今、李密は長く洛邑を囲み、主上は淮南に流播す。大賊は州郡を連ね、小盗の山沢を阻む者、千万を以て数う。但だ須らく真主の馭駕して之を取るべし。誠に能く天に応じ人に順い、旗を挙げて大呼せば、則ち四海も定むるに足らず。今、并州の百姓の盗賊を避くる者、皆此の城に入る。文静は令為ること数年、其の豪傑を知る。一朝嘯集せば、立地に数万人なるべし。尊公の領する所の兵も復た且に数万ならんとす。一言口より出でば、誰か敢えて従わざらん。虚に乗じて関に入り、天下に号令せば、半歳に盈たずして、帝業成るべし」と。太宗笑いて曰く「卿の言善し、人の意に合う」と。
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『長短経』懼戒隋の煬帝初め唐の高祖を猜忌す。之を知りて、常に危懼を懐く〔唐公、太原留守と為る。煬帝遼東より還り、唐公を徴して行在所に詣らしむ。患いに遇いて瘳えず、未だ時に謁するを得ず。唐公の外甥王氏、後宮に充選せらる。煬帝問いて曰く「汝の舅の来たること何ぞ遅き」と。甥、実を以て対う。帝曰く「死を得べきや否や」と。高祖之を知り、毎に危懼を懐くなり〕。太原留守と為り、討撃利あらざるを以て、煬帝の譴むる所と為らんことを恐れ、甚だ之を憂う。時に太宗従いて軍中に在り、隋の将に亡びんとするを知り、潜かに義挙を図り、以て天下を安んぜんとす。乃ち進みて曰く「大人何ぞ之を憂うることの甚だしきや。当今、主上無道にして、百姓愁怨し、城門の外は皆已に賊と為る。独り小節を守らば、必ず且に旦暮に死亡せんとす。若し義兵を起こさば、実に人の欲に当たる。且つ晋陽は用武の地にして、食足り兵足る。大人之に居るは、此れ乃ち天授なり。正に機に因りて禍を転じ、以て功業に就くべし。既に天与うるに取らずんば、之を憂うるも何の益かあらん」と。
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『長短経』懼戒諒従わず、乃ち親ら大軍を率いて、并・介の間に屯す。上之を聞きて大いに懼れ、賀若弼を召して之を議す。弼曰く「漢王は先帝の子、陛下の弟なり。連率の重きに居り、方岳の任を総べ、声名震響し、天下の服する所と為る。其の事を挙ぐること畢れり。然り而して進取の策に三有り。長駆して関に入り、直ちに京師に拠り、西は六軍を拒ぎ、東は山東を収むるは、上策なり。是くの如くんば、則ち天下未だ量るべからず。大軍を蒲州に頓め、五千騎をして潼関を閉ざさしめ、斉の旧境を復し、拠りて之に都するは、中策なり。是くの如くんば、力を以て争わん〔議に曰く、斉の旧境は、北斉の時の境土を謂うなり。今の青州の斉に非ざるなり〕。若し親ら太原に居り、徒だ其の将を遣わして来たらしむるは、下策なり。是くの如くんば、擒と成らんのみ」と。上曰く「公、試みに朕の為に之を籌れ。計将に何くにか出でんとする」と。弼曰く「蕭摩訶は亡国の将にして、与に大事を図るべからず。裴文安は少年にして賢なりと雖も、任用せられず。余は皆群小にして、妻孥を顧恋し、苟くも自ら安んぜんことを求め、遠く渉ること能わず。必ず軍を遣わして来たりて蒲州を攻めしめ、親ら太原に居りて、之が窟穴と為さん。臣以為えらく必ず下策に出でん」と。果たして弼の籌る所の如し。乃ち楊素を以て将と為し、之を破る。
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『長短経』懼戒隋の高祖崩じ、太陵に葬る。初め疾むや、璽書もて漢王諒を徴す〔諒は時に并州に鎮す〕。諒、高祖の崩ずるを聞き、流言に楊素位を簒うと。大いに懼れ、以て詐りと為す。兵を発して自ら守り、陰かに乱を為さんことを謀り、南のかた蒲州を襲いて之を取る〔諒の初めて反するや、王頍、諒に説きて曰く「王の将吏の家属は、尽く関西に在り。若し此等を用いば、即ち宜しく長駆して深く入り、直ちに京師に拠るべし。所謂疾雷耳を掩うに及ばず。若し但だ旧斉の地を割拠せんと欲せば、宜しく東人に任ずべし」と。諒其の言に従わず、故に敗るるなり〕。司兵参軍裴文安、諒に説きて曰く「兵は拙速を聞くも、巧遅を聞かず。今、梓宮尚お仁寿に在り。其の兵を徴して東に進むに比べば、動もすれば旬朔を移さん。若し驍勇万騎、甲を巻きて宵に征き、直ちに長安を指さば、十日に盈たず。不逞の徒に、高位を擢授し、付するに心膂を以てし、共に京城を守らば、則ち山東の府県は彼の有に非ず。然る後に大王、鼓行して西せば、声勢一たび接して、天下は指麾して定むべし」と。
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『長短経』覇図隋の高祖、姓は楊氏、名は堅。周の武帝の初め、隋州刺史と為り、女は太子妃と為る。周の宣帝立ち、拝して大司馬と為す。宣帝崩じ、靖帝を立て、爵を進めて隋王と為す。遂に位を禅る。号を改めて九年、陳を平らぐ。太子勇を廃して庶人と為し、晋王広を立てて皇太子と為す。高祖崩じ、太子即位す。〈是を煬帝と為す。〉煬帝、無道にして、盗賊蜂起す。十三年、江都に幸す。李密、壇を鞏に設け、自ら署して魏公と為す。〈密は遼東の人、蒲山公寛の子なり。少くして倜儻にして大志有り。常に乱を思うの心有り。楊玄感と刎頸の交わりを為す。玄感、勢いを以て之を凌ぐ。密怒りて曰く「機を両陣の間に決し、喑啞叱咤して三軍を披靡せしめ、功を一時に邀うるは、密、公に如かず。若し彼の長途を渉り、賢俊を駆策して、各々其の用を申べしむるは、公、密に如かず。豈に一階一級を以て天下の士大夫を軽んず可けんや」と。玄感の反するに及び、密、之に帰し、其の謀主と為る。後、玄感敗れ、密、姓名を変じて、翟譲に奔る。譲、密を立てて魏公と為す。幕府を開き、僚属を置く。九十余万人有り。〉