長短経 / 察相
鄭伯如晉拜成、授玉於東楹之東。晉大夫貞伯曰、「鄭伯其死乎?自弃也已!視流而行速、不安其位、宜不能久。」杜預曰言鄭伯不端諦也六月卒。天王使劉康公、成肅公㑹晉侯伐秦。成子受脤於社、不敬。劉子曰、「吾聞之、人受天地之中以生、所為命也、是以有動作禮義威儀之則、以定命也。能者養之以福、不能者敗以取禍。是故、君子勤禮、小人盡力。勤禮莫如致敬、盡力莫如敦篤。敬在養神、篤在守業。國之大事、在祀與戎。祀有執膰、戎有受脤、神之大節也。今成子惰弃其命矣。其不反乎?」五月、卒于瑕。
新字:鄭伯如晋拝成、授玉於東楹之東。晋大夫貞伯曰、「鄭伯其死乎?自弃也已!視流而行速、不安其位、宜不能久。」杜預曰言鄭伯不端諦也六月卒。天王使劉康公、成粛公会晋侯伐秦。成子受脤於社、不敬。劉子曰、「吾聞之、人受天地之中以生、所為命也、是以有動作礼義威儀之則、以定命也。能者養之以福、不能者敗以取禍。是故、君子勤礼、小人尽力。勤礼莫如致敬、尽力莫如敦篤。敬在養神、篤在守業。国之大事、在祀与戎。祀有執膰、戎有受脤、神之大節也。今成子惰弃其命矣。其不反乎?」五月、卒于瑕。
書き下し
鄭伯、晋に如きて成を拝し、玉を東楹の東に授く。晋の大夫貞伯曰く「鄭伯は其れ死せんか。自ら棄つるのみ。視は流れて行は速く、其の位に安んぜず。宜なり、久しきこと能わざること」と。杜預曰く、鄭伯の端諦ならざるを言うなりと。六月に卒す。天王、劉康公・成肅公をして晋侯に会して秦を伐たしむ。成子、脤を社に受けて敬せず。劉子曰く「吾れ之を聞く、人は天地の中を受けて以て生まる、命と為す所なり。是を以て動作・礼義・威儀の則有りて、以て命を定む。能なる者は之を養いて以て福とし、能わざる者は敗りて以て禍を取る。是の故に、君子は礼に勤め、小人は力を尽くす。礼に勤むるは敬を致すに如くは莫く、力を尽くすは敦篤に如くは莫し。敬は神を養うに在り、篤は業を守るに在り。国の大事は祀と戎とに在り。祀に執膰有り、戎に受脤有り、神の大節なり。今、成子は惰りて其の命を棄つ。其れ反らざらんか」と。五月、瑕に卒す。
現代語訳
鄭伯が晋へ行って講和を謝し、玉を東の柱の東側で授けた。晋の大夫貞伯は言った。「鄭伯は死ぬだろう。自分で自分を捨てている。目線は流れ、歩みは速く、自分の位置に落ち着いていない。長くもたないのも当然だ」。杜預は「鄭伯が端正でないことを言ったのだ」と言う。六月に鄭伯は死んだ。天子が劉康公と成肅公を派遣して晋侯とともに秦を討たせた。成肅公は社で祭肉を受け取るときに敬意を欠いた。劉子は言った。「私はこう聞いている。人は天地の中正の気を受けて生まれる。これを命という。だから動作・礼儀・威儀の規範があって、それによって命を定める。これを保てる者はそれを養って福とし、保てない者はそれを損なって禍を招く。だから君子は礼に励み、小人は力を尽くす。礼に励むには敬意を尽くすに越したことはなく、力を尽くすには篤実に勝るものはない。敬は精神を養うことにあり、篤実は業を守ることにある。国の大事は祭祀と軍事にある。祭祀には祭肉を執ることがあり、軍事には祭肉を受けることがある。神との大切な節目である。いま成肅公は怠ってその命を捨てた。帰っては来られまい」。五月、成肅公は瑕で死んだ。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。