長短経 / 奇兵
太公曰、“不能分移、不可語竒。”孫子曰、“兵以正合、事以竒勝。”何以明之?魏王豹反漢、漢王以韓信為左丞相擊魏。魏王盛兵蒲坂塞臨晉。信乃益為疑兵、陳船欲渡臨晉、而伏兵從夏陽以木罌渡軍、襲安邑〔孫子曰、“近而示之逺、逺而示之近。”此之謂也。〕魏王豹驚、引兵迎信、信遂虜豹、定魏為河東郡。
新字:太公曰、“不能分移、不可語奇。”孫子曰、“兵以正合、事以奇勝。”何以明之?魏王豹反漢、漢王以韓信為左丞相撃魏。魏王盛兵蒲坂塞臨晋。信乃益為疑兵、陳船欲渡臨晋、而伏兵従夏陽以木罌渡軍、襲安邑〔孫子曰、“近而示之遠、遠而示之近。”此之謂也。〕魏王豹驚、引兵迎信、信遂虜豹、定魏為河東郡。
書き下し
太公曰く「分移すること能わざれば、奇を語るべからず」と。孫子曰く「兵は正を以て合し、事は奇を以て勝つ」と。何を以て之を明らかにせん。魏王豹、漢に反す。漢王、韓信を以て左丞相と為し魏を撃たしむ。魏王は兵を蒲坂に盛んにし、臨晋を塞ぐ。信乃ち益々疑兵を為し、船を陳ねて臨晋を渡らんと欲し、而して伏兵は夏陽より木罌を以て軍を渡し、安邑を襲う〔孫子曰く「近くして之に遠きを示し、遠くして之に近きを示す」と。此の謂いなり〕。魏王豹驚き、兵を引きて信を迎う。信遂に豹を虜にし、魏を定めて河東郡と為す。
現代語訳
太公望は「兵を分けたり移したりできない者に、奇策を語ってはならない」と言った。孫子は「兵は正攻法で敵と向き合い、奇策で勝つ」と言う。何によってこれを明らかにするか。魏王豹が漢に背いた。漢王は韓信を左丞相として魏を撃たせた。魏王は蒲坂に大軍を集め、臨晋の渡しを塞いだ。韓信は偽の兵をさらに増やし、船を並べて臨晋を渡ろうとするように見せかけ、伏兵は夏陽から木の甕を浮きにして軍を渡らせ、安邑を襲った〔孫子は「近くを攻めるときは遠くを攻めるように見せ、遠くを攻めるときは近くを攻めるように見せる」と言う。このことである〕。魏王豹は驚いて兵を率いて韓信を迎え撃ったが、韓信はついに豹を捕らえ、魏を平定して河東郡とした。
解説
奇兵の篇は、正攻法で向き合い、奇策で勝つという孫子の原則です。太公望は、兵を分けて動かせない者に奇策は語れないと言う。奇策は、基本の部隊運用ができて初めて使える。韓信は臨晋の渡しに船を並べて正面から渡るように見せ、魏軍の目をそこに集めた。その間に本隊は上流の夏陽から、木の甕を浮きにして渡り、魏の都を突いた。正面の見せかけがしっかりしているからこそ、奇策が効くのです。
この章句が説くこと
奇兵孫子韓信奇正陽動基本
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