長短経 / 是非
《春秋後語》曰、“楚春申君使孫子為宰。客有説春申君曰、‘湯以亳、武王以鎬皆不過百里、以有天下。今孫子賢人也、而君藉之百里之勢、臣竊為君危之。’春申君曰、‘善。’於是使人謝孫子。孫子去之趙、趙以為上卿。”〔非曰〕客又説春申君曰、“昔伊尹去夏入殷、殷王而夏亡、管仲去魯入齊、魯弱而齊强。夫賢者之所在、其君未嘗不尊、其國未嘗不榮也。今孫子賢人也、君何為辭之?”春申君又曰、“善。”復使人請孫子。
新字:《春秋後語》曰、“楚春申君使孫子為宰。客有説春申君曰、‘湯以亳、武王以鎬皆不過百里、以有天下。今孫子賢人也、而君藉之百里之勢、臣窃為君危之。’春申君曰、‘善。’於是使人謝孫子。孫子去之趙、趙以為上卿。”〔非曰〕客又説春申君曰、“昔伊尹去夏入殷、殷王而夏亡、管仲去魯入斉、魯弱而斉強。夫賢者之所在、其君未嘗不尊、其国未嘗不栄也。今孫子賢人也、君何為辞之?”春申君又曰、“善。”復使人請孫子。
書き下し
春秋後語に曰く「楚の春申君、孫子をして宰と為さしむ。客に春申君に説く者有りて曰く『湯は亳を以てし、武王は鎬を以てし、皆な百里に過ぎずして、以て天下を有てり。今、孫子は賢人なり。而るに君は之に百里の勢いを藉す。臣、竊かに君の為に之を危ぶむ』と。春申君曰く『善し』と。是に於て人をして孫子に謝せしむ。孫子、去りて趙に之く。趙は以て上卿と為す」と。〔非に曰く〕客、又た春申君に説きて曰く「昔、伊尹は夏を去りて殷に入り、殷は王として夏は亡ぶ。管仲は魯を去りて斉に入り、魯は弱くして斉は強し。夫れ賢者の在る所は、其の君未だ嘗て尊からずんばあらず、其の国未だ嘗て栄えずんばあらざるなり。今、孫子は賢人なり。君、何為れぞ之を辞するか」と。春申君又た曰く「善し」と。復た人をして孫子を請わしむ。
現代語訳
春秋後語にこうある。「楚の春申君が荀子を蘭陵の長官にした。ある食客が春申君に説いた。『湯王は亳を根拠地とし、武王は鎬を根拠地として、どちらも百里に過ぎない土地から天下を取りました。いま荀子は賢人です。それなのにあなたは彼に百里の勢いを貸している。私はひそかにあなたのために危ぶみます』。春申君は『もっともだ』と言った。そこで人をやって荀子に断らせた。荀子は去って趙へ行き、趙は上卿として迎えた」。〔非の側。〕食客がまた春申君に説いた。「昔、伊尹は夏を去って殷に入り、殷は王となり夏は滅びた。管仲は魯を去って斉に入り、魯は弱くなり斉は強くなった。賢者のいるところでは、その君主が尊くならなかったことはなく、その国が栄えなかったことはありません。いま荀子は賢人です。あなたはどうしてこれを辞退させたのですか」。春申君はまた『もっともだ』と言った。そこでまた人をやって荀子を招こうとした。
解説

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