長短経 / 是非
傅子曰、“天地至神、不能同道而生萬物、聖人至明、不能一撿而治百姓。故以異致同者、天地之道也、因物致宜者、聖人之治也。既得其道、雖有相害之物、不傷乎治體矣。水火之性、相滅也、善用之者、陳鼎釜乎其間、㸑之煮之、而能兩盡其用、不相害也。天下之物、為水火者靈矣。何憂乎相害?何患乎不盡其用耶《易》曰、“天地睽、而其事同也、男女睽、而其志通也、萬物睽、而其事類也。”〔是曰〕
新字:傅子曰、“天地至神、不能同道而生万物、聖人至明、不能一撿而治百姓。故以異致同者、天地之道也、因物致宜者、聖人之治也。既得其道、雖有相害之物、不傷乎治体矣。水火之性、相滅也、善用之者、陳鼎釜乎其間、㸑之煮之、而能両尽其用、不相害也。天下之物、為水火者霊矣。何憂乎相害?何患乎不尽其用耶《易》曰、“天地睽、而其事同也、男女睽、而其志通也、万物睽、而其事類也。”〔是曰〕
書き下し
傅子曰く「天地は至神なるも、道を同じくして万物を生ずる能わず。聖人は至明なるも、一撿にして百姓を治むる能わず。故に異を以て同を致すは天地の道なり。物に因りて宜しきを致すは聖人の治なり。既に其の道を得れば、相い害するの物有りと雖も、治体を傷つけず。水火の性は相い滅するなり。善く之を用うる者は、鼎釜を其の間に陳ね、之を㸑き之を煮て、能く両つながら其の用を尽くして、相い害せざるなり。天下の物、水火たる者は霊なり。何ぞ相い害するを憂えんや。何ぞ其の用を尽くさざるを患えんや」と。易に曰く「天地は睽きて其の事は同じきなり。男女は睽きて其の志は通ずるなり。万物は睽きて其の事は類するなり」と。〔是に曰く〕
現代語訳
傅子はこう言った。「天地は至って神妙だが、同じ道によって万物を生むことはできない。聖人は至って明らかだが、一つの型で万民を治めることはできない。だから異なるものによって同じ結果を得るのが天地の道である。物に応じて適切さを引き出すのが聖人の治である。その道を得ていれば、互いを害する物があっても、治める体を傷つけない。水と火の性質は互いを消し合う。それをうまく使う者は、鼎や釜をその間に据え、炊き、煮て、両方の用を尽くさせ、互いを害させない。天下の物で、水と火であるものは霊妙である。どうして互いを害することを憂えよう。どうしてその用を尽くせないことを心配しよう」。易にこうある。「天と地は背き合っているが、その仕事は同じである。男と女は背き合っているが、その志は通じている。万物は背き合っているが、その事は同類である」。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚同下然らば下の情を得るを計るに將に奈何せば可ならんとするか。故に子墨子曰く、「唯だ能く尚同一義を以て政を為して、然る後に可なり。何を以て尚同一義の可にして天下に政を為すを知るや。然らば胡ぞ古の治めて政を為すの説を審らかに稽えざるや。古者、天の始めて民を生ずるや、未だ正長有らざるなり。百姓、政を為す。若し茍くも百姓、政を為さば、是れ一人一義、十人十義、百人百義、千人千義なり。人の衆きこと勝げて計う可からざるに逮び至れば、則ち其の義と謂う所の者も、亦た勝げて計う可からず。此れ皆な其の義を是として、人の義を非とす。是を以て厚き者は鬬有り、而して薄き者は争有り。是の故に天下の一天下の義を同じくせんと欲するなり。是の故に賢者を選擇し、立てて天子と為す。
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『呻吟語』外篇・品藻・人の相ひ病むこと終已無し中庸の道明らかならざるより、人の相ひ病むこと終已無し。狷介の人は和易なる者を病みて熟軟と為し、和易の人は狷介なる者を病みて乖戾と為す。率真の人は慎密なる者を病みて深險と為し、慎密の人は率真なる者を病みて粗疏と為す。精明の人は渾厚なる者を病みて含糊と為し、渾厚の人は精明なる者を病みて苛刻と為す。之を孔子に質さしめば、吾其の必ず公案有るを知る。孔子なる者は、千聖を一身に合し、萬善を一心に萃め、事に隨ひて時に之を出だし、人に因りて之を通變す。
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『呻吟語』内篇・應務・五に主有れば則ち事成らざる無し意見の同じからざればなり。今仁者・義者・禮者・智者・信者の五人有りて一事を共にせば、五相濟せば則ち事成らざる無く、五に主有れば則ち事敗れざる無し。仁者は寬を欲し、義者は嚴を欲し、智者は巧を欲し、信者は實を欲し、禮者は文を欲す。事胡ぞ以て成らんや。此れ他無し、自ら是とするの心勝ちて、相持するの勢均しければなり。往事を歷觀するに、每に意見を以て相爭ひ、人の國家を亡ぼすに至り、禍變を釀成して顧みざる有り。君子の罪大なるかな。
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。
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易経・彖伝睽(けい)は、火動きて上り、沢動きて下る。二女同居して、其の志行を同じくせず。説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず。是を以て小事に吉なり。天地睽(そむ)きて其の事同じきなり。男女睽きて其の志通ずるなり。万物睽きて其の事類するなり。睽の時用大なるかな。