長短経 / 三国権
至始以鄧艾為鎮西將軍、距蜀將姜維。維軍敗、退守劒閣。鍾㑹攻維不能克、乃上言曰、「今賊摧折、宜遂乗之、從隂平由邪徑經漢徳陽亭、趣涪出劒閣西百里、去成都三百餘里、竒兵衝其腹心、劒閣之守必還赴涪、則㑹方軌而進、劍閣之軍不還、則應涪之兵寡矣。《軍志》有之、『攻其不備、出其不意。』今掩其空虚、破之必矣。」冬十月、艾自隂平行無人之地七百餘里、鑿山通道、山髙谷深、艾以氊自裹、推轉而下。將士皆攀木縁崖、魚貫而進。先登至江由、蜀將諸葛瞻自涪還綿竹、列陣待艾遣子忠等出戰、大破之、斬瞻。進軍到雒縣、劉禪遂降。
新字:至始以鄧艾為鎮西将軍、距蜀将姜維。維軍敗、退守劒閣。鍾会攻維不能克、乃上言曰、「今賊摧折、宜遂乗之、従陰平由邪径経漢徳陽亭、趣涪出劒閣西百里、去成都三百余里、奇兵衝其腹心、劒閣之守必還赴涪、則会方軌而進、剣閣之軍不還、則応涪之兵寡矣。《軍志》有之、『攻其不備、出其不意。』今掩其空虚、破之必矣。」冬十月、艾自陰平行無人之地七百余里、鑿山通道、山高谷深、艾以氊自裹、推転而下。将士皆攀木縁崖、魚貫而進。先登至江由、蜀将諸葛瞻自涪還綿竹、列陣待艾遣子忠等出戦、大破之、斬瞻。進軍到雒県、劉禅遂降。
書き下し
景元の始め、鄧艾を以て鎮西将軍と為し、蜀の将姜維を距がしむ。維の軍敗れ、退きて剣閣を守る。鍾会、維を攻めて克つこと能わず。乃ち上言して曰く「今、賊摧折す。宜しく遂に之に乗ずべし。陰平より邪径に由りて漢の徳陽亭を経、涪に趣き、剣閣の西百里に出づれば、成都を去ること三百余里。奇兵其の腹心を衝かば、剣閣の守りは必ず還りて涪に赴かん。則ち会は方軌して進まん。剣閣の軍還らずんば、則ち涪に応ずるの兵寡なからん。軍志に之有り『其の備え無きを攻め、其の不意に出づ』と。今、其の空虚を掩わば、之を破ること必せり」と。冬十月、艾、陰平より無人の地を行くこと七百余里、山を鑿ちて道を通ず。山高く谷深し。艾は氈を以て自ら裹み、推転して下る。将士皆木に攀じ崖に縁り、魚貫して進む。先登して江由に至る。蜀の将諸葛瞻、涪より還りて綿竹に陣を列ねて艾を待つ。艾、子の忠等を遣わして出戦せしめ、大いに之を破り、瞻を斬る。軍を進めて雒県に到る。劉禅遂に降る。
現代語訳
景元の初め、鄧艾を鎮西将軍として蜀の将姜維を防がせた。姜維の軍は敗れ、退いて剣閣を守った。鍾会は姜維を攻めたが勝てなかった。そこで鄧艾が上言した。「いま賊はくじけています。このまま勢いに乗るべきです。陰平から間道を通って漢の徳陽亭を経て涪に向かい、剣閣の西百里に出れば、成都まで三百余里です。奇兵で敵の心臓部を突けば、剣閣の守りは必ず涪に引き返します。そうすれば鍾会は大道を並んで進めます。剣閣の軍が戻らなければ、涪に応じる兵は少ないでしょう。『軍志』に『備えのないところを攻め、思いがけないところに出る』とあります。いま手薄なところを襲えば、必ず破れます」。冬十月、鄧艾は陰平から人のいない地を七百余里進み、山を削って道を通した。山は高く谷は深く、鄧艾はフェルトで身を包み、転がって下った。将兵は皆木にすがり崖を伝い、魚の列のように一人ずつ進んだ。真っ先に江由に着いた。蜀の将諸葛瞻は涪から戻って綿竹に陣を並べて鄧艾を待った。鄧艾は子の鄧忠らを出して戦わせ、大いに破り、諸葛瞻を斬った。軍を進めて雒県に着くと、劉禅はついに降伏した。
解説

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