長短経 / 品目
〔徳行高妙、容止可法、是謂清節延陵、晏嬰是也。建法立制、强國富人、是謂法孚管仲、商鞅是也。思通道化、策謀竒妙、是謂術家、范蠡、張良是也。其徳足以厲風俗、其法足以正天下、其術足以謀廟勝、是謂國體、伊尹、吕望是也。其徳足以率一國、其治法足以正郷邑、其術足以權事宜、是謂噐能、子産、西門豹是也。
新字:〔徳行高妙、容止可法、是謂清節延陵、晏嬰是也。建法立制、強国富人、是謂法孚管仲、商鞅是也。思通道化、策謀奇妙、是謂術家、范蠡、張良是也。其徳足以厲風俗、其法足以正天下、其術足以謀廟勝、是謂国体、伊尹、呂望是也。其徳足以率一国、其治法足以正郷邑、其術足以権事宜、是謂噐能、子産、西門豹是也。
書き下し
〔徳行高妙、容止法とす可き、是を清節と謂う。延陵・晏嬰是なり。法を建て制を立て、国を強くし人を富ます、是を法家と謂う。管仲・商鞅是なり。思いは道化に通じ、策謀奇妙なる、是を術家と謂う。范蠡・張良是なり。其の徳は以て風俗を厲ますに足り、其の法は以て天下を正すに足り、其の術は以て廟勝を謀るに足る、是を国体と謂う。伊尹・呂望是なり。其の徳は以て一国を率いるに足り、其の治法は以て郷邑を正すに足り、其の術は以て事宜を権るに足る、是を器能と謂う。子産・西門豹是なり。
現代語訳
〔徳行が高く妙で、立ち居ふるまいが手本にできる、これを清節という。延陵季子と晏嬰がそれである。法を建て制度を立て、国を強くし民を富ませる、これを法家という。管仲と商鞅がそれである。思いが道による教化に通じ、策謀が奇抜で妙である、これを術家という。范蠡と張良がそれである。その徳が風俗を励ますに足り、その法が天下を正すに足り、その術が朝廷で勝ちをはかるに足る、これを国体という。伊尹と呂望がそれである。その徳が一国を率いるに足り、その治法が郷や町を正すに足り、その術が事の適否をはかるに足る、これを器能という。子産と西門豹がそれである。
解説
劉劭の人物志による人材の類型です。清節・法家・術家は単能で、国体と器能はその三つを兼ねた複合型として置かれています。ここが精密なところで、国体と器能の差は能力の種類ではなく、及ぶ範囲の広さだけです。伊尹と子産は同じ三要素を持ちながら、天下に及ぶか一国に及ぶかで名が変わります。人を評価するとき、何ができるかと、どこまで及ぶかは別の軸だ、という整理は今でもそのまま使えます。
この章句が説くこと
人物鑑識人物志類型清節法家術家
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