長短経 / 正論
〔子夏曰、“聲成文謂之音。治世之音安以樂、其政和、亂世之音怨以怒、其政乖、亡國之音哀以思、其民困。故正得失、動天地、感鬼神、莫近于《詩》。”太史公曰、〈“大雅〉言王公大人、而徳逮黎庶、〈小雅〉譏小己之得失、其流及上。所言雖殊、其合徳一也。”晉時王政陵遲、南陽魯褒著《錢神論》、吴郡蔡洪作《孤憤》。前史以為亂世之音怨以怒、其政乖。此之謂也。〕疏通知逺而不誣、則深於《書》也。〔《書》著帝王之道、典謨訓誥、誓命之文、三千之徒、並受其義也〕
新字:〔子夏曰、“声成文謂之音。治世之音安以楽、其政和、乱世之音怨以怒、其政乖、亡国之音哀以思、其民困。故正得失、動天地、感鬼神、莫近于《詩》。”太史公曰、〈“大雅〉言王公大人、而徳逮黎庶、〈小雅〉譏小己之得失、其流及上。所言雖殊、其合徳一也。”晋時王政陵遅、南陽魯褒著《銭神論》、呉郡蔡洪作《孤憤》。前史以為乱世之音怨以怒、其政乖。此之謂也。〕疏通知遠而不誣、則深於《書》也。〔《書》著帝王之道、典謨訓誥、誓命之文、三千之徒、並受其義也〕
書き下し
〈子夏曰く「声の文を成すを之れ音と謂う。治世の音は安らかにして以て楽しく、其の政和す。乱世の音は怨みて以て怒り、其の政乖く。亡国の音は哀しみて以て思い、其の民困しむ。故に得失を正し、天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きは莫し」と。太史公曰く「大雅は王公大人を言いて、徳は黎庶に逮ぶ。小雅は小己の得失を譏りて、其の流れは上に及ぶ。言う所は殊なると雖も、其の徳に合するは一なり」と。晋の時、王政陵遅し、南陽の魯褒は銭神論を著し、呉郡の蔡洪は孤憤を作る。前史以て乱世の音は怨みて以て怒り、其の政乖くと為す。此れを之れ謂うなり。〉疏通知遠にして誣いざれば、則ち書に深きなり。〈書は帝王の道を著す。典謨訓誥・誓命の文は、三千の徒、並びに其の義を受くるなり。〉
現代語訳
〈子夏はこう言った。「声が調子を成したものを音という。治まった世の音は安らかで楽しく、その政治は和らいでいる。乱れた世の音は怨みがましく怒っており、その政治は食い違っている。滅びる国の音は哀しく思い詰めており、その民は苦しんでいる。だから得失を正し、天地を動かし、鬼神を感じさせるのに、詩ほど近いものはない」。太史公はこう言った。「大雅は王公大人を歌いながら、徳は庶民にまで及ぶ。小雅は個人の得失をそしりながら、その流れは上に及ぶ。言うことは違っても、徳に合う点では一つである」。晋の時代に王の政治が衰え、南陽の魯褒は銭神論を書き、呉郡の蔡洪は孤憤を作った。前の時代の史書はこれを、乱れた世の音は怨みがましく怒り、その政治は食い違っている例と見た。まさにこのことである。〉見通しがよく遠くを知って偽らなければ、書に深く通じている。〈書は帝王の道を記す。典・謨・訓・誥・誓・命の文を、三千人の門人がみなその意義を学んだ。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』正論広博易良にして奢らざれば、則ち楽に深きなり。〈楽書に曰く「凡そ音なる者は、人心に生ずる者なり。情、其の中に動く。故に声に形れ、声の文を成すを之れ音と謂う。是の故に治世の音は安らかにして以て楽しく、其の政和す。乱世の音は怨みて以て怒り、其の政乖く。亡国の音は哀しみて以て思い、其の民困しむ。声音の道は、政と相い通ず。宮は君たり、商は臣たり、角は民たり、徴は事たり、羽は物たり。五者乱れざれば、則ち惉懘の音無し。宮乱るれば則ち荒れ、其の君驕る。商乱るれば則ち陂み、其の臣壊る。角乱るれば則ち憂え、其の人怨む。徴乱るれば則ち哀しみ、其の事勤む。羽乱るれば則ち危うく、其の財匱し。五者皆な乱るれば、則ち誣供相い陵ぐ。之を慢と謂う。此くの如くんば、国の滅亡すること日無し。
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『長短経』正論呂氏春秋に曰く「亡国戮人も、楽無きに非ず。其の楽は楽しからず。溺るる者は、笑わざるに非ざるなり。罪人は、歌わざるに非ざるなり。狂者は、舞わざるに非ざるなり。乱世の楽は、此に似たる有り」と。范曄曰く「夫れ鐘鼓は、楽の本に非ず。而も器は去る可からず。三牲は、孝の主に非ず。而も養は廃す可からず。夫れ器を存して本を亡うは、楽の失なり。気を調え声を和するは、楽の盛んなるなり。養を崇めて行を傷るは、孝の累いなり。孝を行いて以て養を致すは、孝の大なるなり」と。議に曰く、東方の角は仁を主り、南方の徴は礼を主り、中央の宮は信を主り、西方の商は義を主り、北方の羽は智を主る。此れ常理なり。今、太史公は以為えらく、徴は心を動かして智を和正し、羽は腎を動かして礼を和正すと。則ち徴を以て智を主り、羽を以て礼を主る。旧例と乖殊す。故に末学の詳らかにする能う所に非ざるなり。〉
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『長短経』正論故に曰く、其の国に入れば、其の教え知る可きなり、と。其の人と為りや、温柔敦厚なるは、詩の教えなり。疏通知遠なるは、書の教えなり。広博易良なるは、楽の教えなり。潔浄精微なるは、易の教えなり。恭倹荘敬なるは、礼の教えなり。辞を属ね事を比ぶるは、春秋の教えなり。故に詩の失は愚、書の失は誣、楽の失は奢、易の失は賊、礼の失は煩、春秋の失は乱なり。其の人と為りや、温柔敦厚にして愚ならざれば、則ち詩に深きなり。
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『長短経』定名〔董生曰く「古者、未だ楽を作らざるの時、乃ち先王の楽の時に宜しき者を用いて、以て深く教化を人に入れ、然る後に功成りて楽を作る。其の徳を楽しむなり。故に国風の淫俗は管絃に在り」と。楽書に曰く「声を知りて音を知らざる者は、禽獣是れなり。音を知りて楽を知らざる者は、衆庶是れなり。唯だ君子のみ能く楽を知ると為す。是の故に、声を審らかにして以て音を知り、音を審らかにして以て楽を知り、楽を審らかにして以て政を知りて、理道備わる」と。此れ又た声と音との異なりなり。〕
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『長短経』正論〈議に曰く、反経・是非・適変の三篇は、博く利害を弁ずと雖も、然れども其の弊は流遁漫羨として帰する所無し。故に正論を作りて以て之を質す。〉孔子曰く「六芸の治に於けるは一なり。礼は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を導き、詩は以て意を達し、易は以て化を神にし、春秋は以て義とす」と。〈司馬談曰く「易は天地陰陽・四時五行を著す。故に変に長ず。礼は人倫を経紀す。故に行に長ず。書は先王の事を記す。故に政に長ず。詩は山川谿谷・禽獣草木・牝牡雌雄を記す。故に風に長ず。楽は立つ所以なり。故に和に長ず。春秋は是非す。故に人を理むるに長ずるなり」と。〉
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『長短経』定名然る後に聖人は父子君臣を為して、以て之が紀綱と為す。紀綱既に正しく、天下大いに定まる。天下大いに定まりて、然る後に六律を正し、五声を和し、詩頌を絃歌す。此を之れ徳音と謂い、徳音之を楽と謂う。詩に云う「莫として其の徳音、其の徳克く明らかなり。克く明らかに克く類し、克く長じ克く君たり、此の大邦に王たり。克く順い克く比し、文王に比す。其の徳悔いること靡く、既に帝の祉を受け、孫子に施す」と。此の謂いなり。今、君の好む所の者は、溺音か。鄭の音は濫を好みて、志を淫す。宋の音は燕安にして、志を溺らす。衛の音は趨数にして、志を煩わす。斉の音は傲僻にして、志を驕らす。四者は皆色に淫して徳を害す。是を以て祭祀に用いず』と。此れ音と楽との異なりなり」と。