長短経 / 是非
及至漢興、禁網踈濶未之匡改也。魏其、武安之屬、競逐於京師、郭觧劇孟之徒、馳鶩於閭閻、權行州域、力折公侯。衆庻榮其名跡、覬而慕之、雖陷刑辟、自與殺身成名、若季、路、仇、牧、死而不悔也。曽子曰、‘上失其道、民散乆矣。’非明王在上、示之好惡、齊之以禮法、人曷由知禁而反正乎?古之正法、五伯、三王之罪人也、而六國、五伯之罪人也、夫四豪者、六國之罪人也。况於郭解之倫、以匹夫之細微、竊殺生之權、其罪也、不容於誅矣!”〔是曰〕
新字:及至漢興、禁網疎濶未之匡改也。魏其、武安之属、競逐於京師、郭觧劇孟之徒、馳鶩於閭閻、権行州域、力折公侯。衆庻栄其名跡、覬而慕之、雖陥刑辟、自与殺身成名、若季、路、仇、牧、死而不悔也。曽子曰、‘上失其道、民散久矣。’非明王在上、示之好悪、斉之以礼法、人曷由知禁而反正乎?古之正法、五伯、三王之罪人也、而六国、五伯之罪人也、夫四豪者、六国之罪人也。況於郭解之倫、以匹夫之細微、窃殺生之権、其罪也、不容於誅矣!”〔是曰〕
書き下し
漢の興るに及び、禁網疎闊にして、未だ之を匡改せず。魏其・武安の属は、京師に競い逐い、郭解・劇孟の徒は、閭閻に馳騖す。権は州域に行われ、力は公侯を折く。衆庶は其の名跡を栄として、覬いて之を慕う。刑辟に陥ると雖も、自ら身を殺して名を成すは、季・路・仇・牧の若く、死して悔いざるなり。曽子曰く「上、其の道を失えば、民の散ずること久し」と。明王上に在りて、之に好悪を示し、之を斉うるに礼法を以てするに非ずんば、人、何に由りてか禁を知りて正に反らんや。古の正法は、五伯は三王の罪人なり。而して六国は五伯の罪人なり。夫れ四豪なる者は、六国の罪人なり。況んや郭解の倫の、匹夫の細微を以て、殺生の権を竊むに於てをや。其の罪や、誅に容れられざらん」と。〔是に曰く〕
現代語訳
漢が興ってからは、禁令の網が粗く、まだこれを正していなかった。魏其侯や武安侯の輩は都で競い合い、郭解や劇孟の徒は町なかを駆け回った。権勢が州の範囲に及び、力は公侯をも折った。庶民はその名と足跡を栄えあるものとして、望んで慕った。刑罰に陥っても、自ら身を殺して名を成すのは、季路や仇牧のようであり、死んでも悔いなかった。曽子は「上が道を失えば、民が散ってから久しい」と言った。明君が上にあって、好悪を示し、礼と法で揃えるのでなければ、人はどうして禁令を知って正しさへ返ろうか。昔の正しい法によれば、五覇は三王の罪人である。六国は五覇の罪人である。四人の公子は六国の罪人である。まして郭解の類が、一庶民の身でありながら生殺の権を盗んだのに至ってはなおさらである。その罪は、誅しても足りない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』是非漢書に曰く「天子は国を建て、諸侯は家を立つ。卿大夫より以て庶人に至るまで、各々等差有り。是を以て人は其の上に服事して、下に覬覦する無し。孔子曰く『天子に道有れば、政は大夫に在らず』と。百官有司は、法を奉じ令を承け、以て職とする所を修む。職を越ゆれば誅有り、官を侵せば罰有り。然る故に上下相い順いて、庶事理まる。周室既に微にして、礼楽征伐は諸侯より出づ。桓・文の後、大夫は権を世にし、陪臣は命を執る。陵夷して戦国に至り、合縦連衡して、力政もて強を争う。是に由りて列国の公子、魏に信陵有り、趙に平原有り、斉に孟嘗有り、楚に春申有り。皆な王公の勢いに藉りて、競いて遊俠を為す。鶏鳴狗盗、賓礼せざる無し。而して趙の相虞卿は、国を棄て君を捐てて、以て窮交魏斉の厄を固くす。信陵の無忌は、符を竊み命を矯め、将を殺し師を専らにして、以て平原の急に赴く。皆な以て重きを諸侯に取り、名を天下に彰す。腕を搤して遊談する者は、四豪を以て称首と為す。是に於て背公死党の議成りて、守職奉上の義廃る。
-
『長短経』是非史記に曰く「韓子称す『儒者は文を以て法を乱し、俠士は武を以て禁を犯す』と。二者は皆な譏らる。而して学士は多く世に称せらる。術を以て宰相・卿大夫を取り、其の世主を輔翼するが如きに至りては、固より言う可き者無し。若し季次・原憲の〔季次は孔子の弟子、未だ嘗て仕えず、孔子之を称す。〕書を読みて独行を懐き、議して当世に苟合せざるに及びては、当世も亦た之を笑う。今の遊俠は、其の行いは正義に軌らずと雖も、然れども其の言は必ず信、其の行いは必ず果、已諾は必ず誠。其の躯を愛せずして、士の阨困に赴く。其の徳を伐るを羞ず。蓋し亦た多とするに足る者有り。
-
『長短経』是非且つ緩急は人の時に有る所なり。虞舜は井廩に窘しみ、伊尹は鼎爼を負い、傅説は傅巌に匿れ、呂尚は棘津に困しみ、夷吾は桎梏せられ、百里奚は牛を飯い、仲尼は匡に厄し、陳・蔡に菜色す。此れ皆な学士の所謂道有る仁人なり。猶お此の葘に遭う。況んや中材を以て近代の末流に渉るをや。其の害に遇うこと、何ぞ勝げて道う可けんや。而して布衣の徒は、取予然諾を設け、千里に義を誦す。故に士は窮窘して命を委ぬるを得。此れ豈に人の所謂賢豪なる者に非ずや。誠に郷曲の俠をして、季次・原憲と権を比べ力を量り、功を当代に効さしめば、同日にして論ぜざらん。曷ぞ小とするに足らんや」と。〔非に曰く〕
-
『長短経』適変此れ商鞅・申・韓の術なり。〈桓範曰く「夫れ商鞅・申・韓の徒は、譎詐を貴び尚び、苛刻を行うに務め、礼義の教えを廃し、刑名の数に任じ、古を師とせず、始めて俗を敗り化を傷る。此れ則ち伊尹・周召の罪人なり。然れども其の君を尊び臣を卑くし、国を富ませ兵を強くし、法を守り術を持するは、取る可き有り。漢の興るに逮び、寗成・郅都の輩有り。商・韓の治に放い、専ら殺伐残暴を以て能と為し、人主の意に順い、旨を希いて行い、時を要め利に趨り、敢行して敗る。禍いなるかな、此れ又た商・韓の罪人なり。然れども其の強族を抑え、孤弱を撫し、己を清くして奸を禁じ、私に背きて公を立つるは、亦た取る有り。晩代の所謂能なる者に至りては、乃ち公家の法を犯し、私門の勢いに赴き、百姓の務めを廃し、人間の事に趨り、煩を決し務めを理め、時に臨みて苟くも弁じ、官をして譴負の累い無からしめ、下人の冤を省みず。復た是れ申・韓・寗・郅の罪人なり」と。〉
-
史記 游侠列伝郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰く、「郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんや」と。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰く、「解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべし」と。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰く、「吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな」と。
-
『長短経』君徳夏は忠を尚ぶ。忠の弊は野朴なり。故に殷は之を承くるに敬を以てす。敬の弊は鬼なり。故に周は之を承くるに文を以てす。文の弊は薄なり。薄を救うは忠に若くは莫し。三王の道は、周りて復た始まる。周秦の間は、文弊と謂う可し。秦は改めずして、反って刑を酷にす。漢は其の弊を承けて天統を得たり。孔融曰く「周の武は后稷より以来、其の身に至るまで、相い承くること十五世を積む。但だ魚鳥の瑞有るのみ。高祖の如きに至りては、一身徳を修めて、瑞に四五有り。白蛇分かれ、神母哭き、西のかた関に入り、五星聚まる。又た武王は紂を伐ちて、斬りて之を梟す。高祖は秦に入りて、子嬰を赦して之を遣る。是れ其の寛裕、又た高祖に如かず」と。虞南曰く「帝者は師と処り、王者は友と処り、覇者は臣と処る。漢祖の臣は三傑是なり。光武の佐は二十八将是なり。豈に鄧禹・呉漢を以て張良・韓信に匹す可けんや。然れども漢祖の功臣は、皆な強盛にして誅滅せらる。光武の佐命は、悉く優秩を用いて安全なり。君臣の際、良に称す可きなり。長を絶ちて短を補えば、其の次に抑うるなり」と。此に由りて之を言えば、夫れ漢高は秦・項を克平し、漢業を開創す。衣冠礼楽、之を後代に垂る。未だ王道に階らずと雖も、霸徳の盛んなるなり。〕