長短経 / 運命
〔議曰、孫卿云、「天行冇常、不為堯存、不為桀亡。應之以理則吉、應之以亂則凶。强本而節用、則天不能貧、養備而動時、則天不能病、循道而不惑、則天不能禍、背道而妄行、則天不能吉。故明於天人之分、則可謂至人矣。若星墜、木鳴、天地之變、怪之、可也、畏之、非也。唯人妖、乃可畏也。何者?政險失人、田荒稼惡、糴貴人饑、道有死人、夫是之謂人妖也。政令不明、舉錯不時、本事不理、夫是之謂人妖也。禮義不修、外内無别、男女淫亂、父子相疑、上下乖離、冦難日至、夫是之謂人妖也。三者鍇亂、無安國矣。」
新字:〔議曰、孫卿云、「天行冇常、不為堯存、不為桀亡。応之以理則吉、応之以乱則凶。強本而節用、則天不能貧、養備而動時、則天不能病、循道而不惑、則天不能禍、背道而妄行、則天不能吉。故明於天人之分、則可謂至人矣。若星墜、木鳴、天地之変、怪之、可也、畏之、非也。唯人妖、乃可畏也。何者?政険失人、田荒稼悪、糴貴人饑、道有死人、夫是之謂人妖也。政令不明、舉錯不時、本事不理、夫是之謂人妖也。礼義不修、外内無別、男女淫乱、父子相疑、上下乖離、寇難日至、夫是之謂人妖也。三者鍇乱、無安国矣。」
書き下し
〔議に曰く、孫卿云う「天行常有り。堯の為に存せず、桀の為に亡びず。之に応ずるに理を以てすれば則ち吉、之に応ずるに乱を以てすれば則ち凶。本を強くして用を節すれば、則ち天も貧しくすること能わず。養備わりて動くこと時なれば、則ち天も病ましむること能わず。道に循いて惑わざれば、則ち天も禍すること能わず。道に背きて妄行すれば、則ち天も吉ならしむること能わず。故に天人の分に明らかなれば、則ち至人と謂うべし。星墜ち木鳴るが若きは、天地の変なり。之を怪しむは可なり、之を畏るるは非なり。唯だ人妖のみ乃ち畏るべし。何となれば、政険しくして人を失い、田荒れて稼悪しく、糴貴くして人饑え、道に死人有り。夫れ是を之れ人妖と謂う。政令明らかならず、挙錯時ならず、本事理まらず。夫れ是を之れ人妖と謂う。礼義修まらず、外内別無く、男女淫乱し、父子相疑い、上下乖離し、寇難日に至る。夫れ是を之れ人妖と謂う。三者錯乱すれば、安国無し」と。
現代語訳
〔論じて言う。荀子は言う。「天の運行には常がある。堯のために存在するのでも、桀のために滅びるのでもない。道理で応じれば吉、乱れで応じれば凶である。根本の農業を強くして費用を節約すれば、天も貧しくできない。備えを整え時に合わせて動けば、天も病ませることはできない。道に従って惑わなければ、天も禍を与えられない。道に背いてでたらめに行えば、天も吉にはできない。だから天と人の分をわきまえた者を至人と言う。星が落ち木が鳴るのは天地の変化である。不思議に思うのはよいが、恐れるのは誤りだ。恐れるべきは人の妖だけである。なぜか。政治が過酷で人心を失い、田が荒れて作物が悪く、穀物が高くて人が飢え、道に死人がいる。これを人の妖という。政令が明らかでなく、事業の時期が悪く、根本の仕事が治まらない。これを人の妖という。礼義が修まらず、内外のけじめがなく、男女が乱れ、父子が疑い合い、上下が離れ、外敵の難が日々押し寄せる。これを人の妖という。この三つが入り乱れれば、安らかな国はない」。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
-
『家道訓』巻之二・総論中一もろこしの諺に、かねて後の用心なきことをそしりて曰、三月に桑をうゑんことをおもひ、六月に塘を掘らんことをおもふ。言ふ意は、三月蠶を飼ふ時にいたりて、はじめて桑をうゑんことをおもひ出し、六月旱する時にいたりて、はじめて塘を掘らんことをおもひ出すは、かねて後の用心をせざる人のゆだんなる事をいへり。遠き慮なければ、必ず近き憂あり。家ををさむるには、万のこと後を慮りて、かねてはやく其の用意をすべし。如此すれば、時にのぞみてにはかに行きあたりくるしまず。中庸にも、凡事前に定むれば不跲といへり。初にうれへざれば、をはりに楽なし。
-
『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
-
『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
-
『講孟余話』離婁上 第九章七年の病に三年の艾の譬喩、尤も人口に膾炙す。実に古今の格言なり。既往は咎めずして可なり、来者を以て是れを論ぜん。夷虜の病は七年や十年の病に非ず、数十百年の病なり。守備の艾は一日は一日の功あり、十日は十日、百日は百日、一年は一年、三年は三年の功あり。今日より艾を取りて乾すべし。猶予することなかれ。又学業の事に就きて考ふべし。人皆云ふ、余をして今十年を早からしめば、何の業を成さん、何の芸を修めんと。是れ皆七年の病に三年の艾の譬へなり。即日より思ひ立ちて業を始め芸を試むべし。何ぞ年の早晩を論ぜんや。諺に云ふ、思ひ立つたが吉日と。正に艾を求むるの良術なり。
-
『春秋左氏伝』僖公五年 弦子、恃みて備えず陳の轅宣仲鄭の申侯の己に召陵に反きしを怨む。故に之に其の賜邑に城かんことを勸めて、曰く、「美しく之に城くは、大名なり。子孫忘れざらん。吾子を助けて請はん」と。乃ち之が爲に諸侯に請ひて之に城く、美し。遂に諸を鄭伯に譖して曰く、「美しく其の賜邑に城くは、將に以って叛かんとするなり」と。申侯是に由りて罪を得たり。秋、諸侯盟ふ。王周公をして鄭伯を召さしめて曰く、「吾女を撫して以って楚に從はしめ、之を輔くるに晉を以ってせば、以って少しく安んず可し」と。鄭伯王命を喜び、而して其の齊に朝せざるを懼る。故に逃げ歸りて盟はず。孔叔之を止めて曰く、「國君は以って輕かる可からず。輕ければ則ち親を失ふ。親を失へば、患ひ必ず至る。病みて盟を乞はば、喪ふ所多からん。君必ず之を悔いん」と。聽かず。其の師を逃れて歸る。楚の鬭穀於菟弦を滅ぼす。弦子黃に奔る。是に於いて江・黃・道・柏方に齊に睦まじく、皆弦の姻なり。弦子之を恃みて楚に事へず、又備へを設けず。故に亡ぶ。