長短経 / 懼戒
後漢靈帝以皇甫嵩為將軍、討破黄巾、威震天下、而朝政日亂、海内虚困。故信都令閻忠干説嵩曰、「難得而易失者、時也、時至不旋踵者、機也。故聖人順時以動、智者因機以發。今將軍遭難得之運、蹈易駭之機、而踐運不撫、臨機不發、將何以保大名乎?」嵩曰、「何謂也?」忠曰、「天道無親、百姓與能。今將軍受鉞于暮春、收功于末冬、兵動如神、謀不再計、摧强易于折枯、消堅易于湯雪。旬月之間、神兵電埽封户刻石、南向以報徳、威名震本朝、風聲馳海外、雖湯武之舉、未有髙將軍者也。今身建不賞之功、體兼髙人之徳、而北面庸主、何以求安乎?」
新字:後漢霊帝以皇甫嵩為将軍、討破黄巾、威震天下、而朝政日乱、海内虚困。故信都令閻忠干説嵩曰、「難得而易失者、時也、時至不旋踵者、機也。故聖人順時以動、智者因機以発。今将軍遭難得之運、蹈易駭之機、而践運不撫、臨機不発、将何以保大名乎?」嵩曰、「何謂也?」忠曰、「天道無親、百姓与能。今将軍受鉞于暮春、収功于末冬、兵動如神、謀不再計、摧強易于折枯、消堅易于湯雪。旬月之間、神兵電埽封戸刻石、南向以報徳、威名震本朝、風声馳海外、雖湯武之舉、未有高将軍者也。今身建不賞之功、体兼高人之徳、而北面庸主、何以求安乎?」
書き下し
後漢の霊帝、皇甫嵩を以て将軍と為し、黄巾を討ち破りて、威は天下に震う。而して朝政日に乱れ、海内虚困す。故の信都令閻忠、嵩に干説して曰く「得難くして失い易き者は、時なり。時至りて踵を旋らさざる者は、機なり。故に聖人は時に順いて以て動き、智者は機に因りて以て発す。今、将軍は得難きの運に遭い、駭き易きの機を蹈むも、運を践みて撫せず、機に臨みて発せずんば、将に何を以て大名を保たんとする」と。嵩曰く「何の謂いぞや」と。忠曰く「天道は親無く、百姓は能に与す。今、将軍は鉞を暮春に受け、功を末冬に収む。兵の動くこと神の如く、謀は再び計らず。強を摧くこと枯れたるを折るより易く、堅を消すこと湯の雪より易し。旬月の間に、神兵電のごとく掃い、戸を封じ石に刻み、南に向かいて以て徳に報ず。威名は本朝に震い、風声は海外に馳す。湯・武の挙と雖も、未だ将軍より高き者有らざるなり。今、身は賞せられざるの功を建て、体は高人の徳を兼ぬ。而して庸主に北面す。何を以て安きを求めんや」と。
現代語訳
後漢の霊帝は皇甫嵩を将軍として黄巾を討ち破らせ、その威は天下を震わせた。ところが朝廷の政治は日に日に乱れ、天下は空しく困窮した。もと信都令の閻忠は皇甫嵩に説いた。「得がたく失いやすいのが時です。やって来てかかとを返す間もなく去るのが機です。だから聖人は時に従って動き、智者は機に乗じて発します。いま将軍は得がたい運に遭い、驚きやすい機を踏んでいます。運に乗ってもつかまず、機に臨んでも発しなければ、どうして大きな名を保てましょう」。皇甫嵩が「どういう意味か」と問うと、閻忠は言った。「天の道に身内びいきはなく、民は能力ある者につきます。将軍は晩春に鉞を授かり、冬の終わりには功を収めました。兵の動きは神のようで、謀は二度計る必要もなく、強敵を砕くのは枯れ木を折るよりたやすく、堅い守りを溶かすのは湯に雪を入れるよりたやすかった。一月足らずの間に神のような兵が稲妻のように払い、封土を与え石に功を刻み、南に向かって天子の徳に報告しました。威名は朝廷を震わせ、評判は海外まで伝わりました。湯王・武王の挙兵でも将軍ほど高いものはありません。いま身には賞しきれない功を立て、高い徳も兼ねているのに、凡庸な主君に臣として仕えている。どうして安泰を望めましょう」。
解説

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