長短経 / 懼戒
韓信既平齊、為齊王。項王恐、使盱眙人武涉徃説齊王、使三分天下。信不聽。武涉已去、蒯通知天下權在韓信、欲為竒䇿而感動之、以相人説韓信曰、「僕嘗受相人之術。」韓信曰、「先生相人何如?」對曰、「貴賤在於骨法、憂喜在於容色、成敗在於决斷。以此參之、萬不失一。」信曰、「先生相寡人如何?」對曰、「願請間。」信曰、「左右逺。」蒯通曰、「相君之靣不過封侯、又危不安。相君之背、貴乃不可言。」〔背畔則大貴也〕
新字:韓信既平斉、為斉王。項王恐、使盱眙人武渉往説斉王、使三分天下。信不聴。武渉已去、蒯通知天下権在韓信、欲為奇策而感動之、以相人説韓信曰、「僕嘗受相人之術。」韓信曰、「先生相人何如?」対曰、「貴賤在於骨法、憂喜在於容色、成敗在於決断。以此参之、万不失一。」信曰、「先生相寡人如何?」対曰、「願請間。」信曰、「左右遠。」蒯通曰、「相君之面不過封侯、又危不安。相君之背、貴乃不可言。」〔背畔則大貴也〕
書き下し
韓信既に斉を平らげ、斉王と為る。項王恐れ、盱眙の人武渉をして往きて斉王に説き、天下を三分せしめんとす。信聴かず。武渉已に去る。蒯通、天下の権の韓信に在るを知り、奇策を為して之を感動せしめんと欲し、相人を以て韓信に説きて曰く「僕嘗て相人の術を受く」と。韓信曰く「先生の人を相すること何如」と。対えて曰く「貴賤は骨法に在り、憂喜は容色に在り、成敗は決断に在り。此を以て之を参うれば、万に一を失わず」と。信曰く「先生、寡人を相すること如何」と。対えて曰く「願わくは間を請う」と。信曰く「左右遠ざかれ」と。蒯通曰く「君の面を相するに、封侯に過ぎず、又た危うくして安からず。君の背を相するに、貴きこと乃ち言うべからず」と。〔背を畔けば則ち大いに貴きなり〕
現代語訳
韓信は斉を平定して斉王となった。項羽は恐れ、盱眙の人武渉を遣わして斉王韓信に説かせ、天下を三分させようとしたが、韓信は聞かなかった。武渉が去った後、蒯通は天下の権が韓信にあると知り、奇策で心を動かそうとして、人相見として韓信に説いた。「私はかつて人相の術を授かりました」。韓信が「先生の人相見はどういうものか」と言うと、蒯通は答えた。「身分の貴賤は骨格に、憂いと喜びは顔色に、成功と失敗は決断に表れます。これを合わせて見れば、万に一つも外しません」。韓信が「先生、私を見るとどうか」と言うと、蒯通は「人払いをお願いします」と言った。韓信が「左右の者は下がれ」と言うと、蒯通は言った。「あなたの顔を見ると、諸侯止まりで、しかも危うく安らかではありません。あなたの背を見ると、その貴さは言葉にできないほどです」。〔背を向けて背けば大いに貴くなる、という意味である〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒夫れ鋭気は険塞に挫け、而して糧食は内蔵に竭き、百姓罷極して、怨望依倚する所無し。臣を以て之を料るに、其の勢い天下の聖賢に非ずんば、固より天下の禍を息むること能わず。当今、両主の命は足下に懸かる。足下漢の為にすれば則ち漢勝ち、楚に与すれば則ち楚勝つ。臣願わくは腹心を披き、肝胆を輸し、愚計を効さん。恐らくは足下用いざらん。誠に能く臣の計を聴かば、両つながら利して俱に之を存し、天下を三分し、鼎足して居るに若くは莫し。其の勢い敢えて先に動く莫し。夫れ足下の賢聖を以て、甲兵の衆有り、強斉に拠り、燕・趙を従え、空虚の地に出でて其の後を制し、民の欲に因りて、西に嚮かいて百姓の為に命を請わば、則ち天下風のごとく起こりて響応せん。孰か敢えて聴かざらん。大を割き強を弱めて、以て諸侯を立て、諸侯已に立たば、天下服聴して徳を斉に帰せん。斉の故を案じ、膠・泗の地を有ち、諸侯を懐くるに徳を以てし、深く拱して揖譲せば、則ち天下の君王相率いて斉に朝せん。蓋し聞く、天与うるに取らずんば、反りて其の咎を受け、時至りて行わずんば、反りて其の殃を受く、と。願わくは足下之を熟慮せよ」と。
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『長短経』懼戒後数日、蒯通復た説きて曰く「夫れ聴く者は事の候なり。計る者は事の機なり。聴くこと過ち計ること失いて、能く久しく安き者は鮮し。聴くこと一二を失わざる者は、乱すに言を以てすべからず。計ること本末を失わざる者は、紛らすに辞を以てすべからず。夫れ廝養の役に随う者は、万乗の権を失い、儋石の禄を守る者は〔一儋は一斛の余なり〕、卿相の位を欠く。故に智なる者は、決の断なり。疑う者は、事の害なり。毫釐の小計を審らかにして、天下の大数を遺れ、智は誠に之を知るも、決して敢えて行わざる者は、百事の禍なり。故に猛虎の猶予は、蜂蠆の螫を致すに如かず。騏驥の跼躅は、駑馬の安歩に如かず。孟賁の狐疑は、庸夫の必ず至るに如かず。舜・禹の智有りと雖も、沈吟して言わずんば、瘖聾の指麾に如かず。夫れ功は成り難くして敗れ易し。時は得難くして失い易し。時は再び来たらず。願わくは足下之を詳察せよ」と。韓信猶予して漢に背くに忍びず、又た自ら以為えらく功多し、漢王終に吾が斉を奪わじと。遂に蒯生に謝す。蒯生曰く「夫れ苛細に迫らるる者は、与に大事を図るべからず。臣虜に拘わる者は、固より君王の意無し」と。説聴かれず、因りて去り、佯狂して巫と為る。
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『長短経』懼戒且つ臣聞く、勇略主を震わす者は身危うく、而して功天下を蓋う者は賞せられず、と。臣請う、大王の功略を言わん。西河を渉り、魏王を虜にし、夏説を擒にし、兵を引きて井陘を下り、成安君を誅し、趙を徇え、燕を脅かし、斉を定め、南は楚人の兵二十万を摧き、東は龍且を殺し、西に嚮かいて以て報ず。此れ所謂功は天下に二無く、略は世に出でざる者なり。今、足下は主を震わすの威を載せ、賞せられざるの功を挟む。以て楚に帰すれば、楚人信ぜず。漢に帰すれば、漢人震恐す。足下是を持して安くにか帰せんと欲する。夫れ勢いは人臣の位に在りて、主を震わすの威有り、名は天下に高し。竊かに足下の為に之を危ぶむ」と。韓信謝して曰く「先生且く休め。我将に之を念わん」と。
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『長短経』懼戒韓信曰く「何の謂いぞや」と。蒯通曰く「天下初めて難を発するや、俊雄豪傑、号を建てて一呼し、天下の士、雲のごとく合し霧のごとく集まり、魚鱗雑遝し、煙のごとく至り風のごとく起こる。此の時に当たりては、憂いは秦を亡ぼすに在るのみ。今、楚漢分争し、天下の無罪の人をして肝胆地に塗れ、父子骸を暴し、骨肉中野に流離せしむること、勝げて数うべからず。楚人は彭城より起こり、転闘して北ぐるを逐い、滎陽に至り、利に乗じて席巻し、威は天下に振るう。然れども兵は京・索の間に困しみ、西山に迫りて進むこと能わざる者、此に三年なり。漢王は数十万の衆を将いて、鞏・洛に距ぎ、山河の険を阻み、一日に数戦するも、尺寸の功無く、折北して救われず、滎陽に敗れ、成皋に傷つき、還りて宛・葉の間に走る。此れ所謂智勇俱に困しむ者なり。
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『長短経』詭順韓信初め斉王と為る時、蒯通、信に説きて天下を三分せしめんとするも、信聴かず。後に漢の其の能を畏るるを知り、乃ち陳豨と謀反す。事泄れ、呂太后計を以て之を禽にす。方に斬られんとして、曰く「吾、蒯通の計を聴かず、乃ち児女子の詐る所と為りしを悔ゆ。豈に天に非ずや」と。〔高祖自ら将いて、陳豨を鉅鹿に伐つ。信は疾と称して従わず、中より起たんと欲す。信の舎人、罪を信に得。信因りて之を殺さんと欲す。舎人の弟、変を上りて信の反せんと欲するの状を呂后に告ぐ。呂后召さんと欲するも、其の党の就かざるを恐れ、乃ち蕭相国と謀り、詐りて人をして上の所より来たらしめ、豨已に死を得たりと言わしむ。列侯群臣皆賀す。相国、信を詐りて曰く「病むと雖も、強いて入りて賀せよ」と。信入る。呂后、武士をして信を縛らしめ、之を斬るなり。〕
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史記 淮陰侯列伝斉人蒯通天下の権の韓信に在るを知り、信を説きて自立せしめんと欲す。信曰く、「漢王我を遇すること甚だ厚し、我を載するに其の車を以てし、我に衣するに其の衣を以てし、我に食せしむるに其の食を以てす。吾之を聞く、人の車に乗る者は人の患ひを載せ、人の衣を衣る者は人の憂ひを懐き、人の食を食む者は人の事に死す、と。吾豈に利に郷ひて義に倍く可けんや」と。蒯生曰く、「始め常山王・成安君布衣為りし時、相与に刎頸の交はりを為すも、後事を争ひ、二人相怨み、卒に相禽にす。此の二人相与するは、天下の至驩なり、然れども卒に相禽にする者は、患ひ多欲より生じて人心測り難ければなり。今足下忠信を行ひて以て漢王に交はらんと欲するも、必ずしも二君の相与するよりも固からざるなり。且つ勇略主を震はす者は身危く、功天下を蓋ふ者は賞せられず」と。信猶豫して漢に倍くに忍びず、又自ら功多しと以て、漢終に我が斉を奪はざらんと為し、遂に蒯通を謝す。