長短経 / 臣行
或曰、“樂毅不屠二城、遂喪洪業、為非乎?”夏侯𤣥曰、“觀樂生與燕恵王書、其殆乎知機合道、以禮終始者歟!夫欲極道德之量、務以天下為心者、豈其局迹當時、止於兼并而已哉?夫兼并者、非樂生之所屑、强燕而廢道、又非樂生之所求。不屑茍利、不求小成、斯意兼天下者也。
新字:或曰、“楽毅不屠二城、遂喪洪業、為非乎?”夏侯玄曰、“観楽生与燕恵王書、其殆乎知機合道、以礼終始者歟!夫欲極道徳之量、務以天下為心者、豈其局迹当時、止於兼并而已哉?夫兼并者、非楽生之所屑、強燕而廃道、又非楽生之所求。不屑苟利、不求小成、斯意兼天下者也。
書き下し
或るひと曰く「楽毅、二城を屠らず、遂に洪業を喪う。非と為すか」と。夏侯玄曰く「楽生の燕の恵王に与うる書を観るに、其れ殆ど機を知り道に合し、礼を以て終始する者か。夫れ道徳の量を極め、務めて天下を以て心と為さんと欲する者は、豈に其れ迹を当時に局り、兼并に止まるのみならんや。夫れ兼并なる者は、楽生の屑しとする所に非ず。燕を強くして道を廃するは、又た楽生の求むる所に非ず。苟利を屑しとせず、小成を求めず。斯れ意は天下を兼ぬる者なり。
現代語訳
ある人が言った。「楽毅が二つの城を攻め落とさなかったために、ついに大業を失った。これは間違いですか」。夏侯玄は言った。「楽毅が燕の恵王に与えた手紙を見れば、おそらく機を知り道に合し、礼をもって始めから終わりまで貫いた人ではないか。そもそも道徳の器量を極め、天下を心とすることに努めようとする者が、どうして足跡をその場かぎりに限り、併呑するだけで止まるだろうか。併呑は楽毅がよしとするところではない。燕を強くして道を廃するのも、楽毅の求めるところではない。その場の利をよしとせず、小さな成功を求めない。これこそ天下を兼ねる志である。
解説
楽毅は斉の七十余城を落としながら、最後の二城を落とさずに三年を費やし、その間に燕王が代わって失脚しました。世間はこれを失敗と見ます。夏侯玄の反論は、そもそも楽毅は併呑を目指していなかった、というもの。目的が違えば、失敗の判定も変わる。ある人の行動を失敗と呼ぶ前に、その人が何を目指していたかを確かめる必要があります。
この章句が説くこと
臣行楽毅夏侯玄兼并目的判定
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『長短経』臣行両邑に淹留すと雖も、乃ち速かなるを天下に致すなり。不幸の変は、世の図らざる所なり。垂成に敗るるは、時変の然らしむる所なり。若し乃ち之に逼るに兵を以てし、之を劫かすに威を以てし、殺傷の残を奓にして、以て四海の人に示さば、二城は幾んど抜く可しと雖も、則ち霸王の事は、逝きて其れ遠からん。楽生、豈に二城を抜くの速やかに了るを知らざらんや。顧だ城抜けて業の乖くなり。豈に速やかならざるの変を致すを慮らざらんや。顧だ業の速やかなるは変と同じきなり。是に由りて之を観れば、楽生の二城を屠らざるは、未だ量る可からざるなり」と。
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『長短経』臣行斉を挙ぐるの事は、其の機を運らして四海を動かす所以なり。城を囲みて害は百姓に加えず。此れ仁心の遐邇に著るるなり。令徳を邁めて以て列国を率いれば、則ち湯武の事に幾し。楽生は方に大網を恢めて以て二城を縦ち、人の明信を収め、以て其の弊るるを待つ。将に即墨・莒の人をして、顧みて其の上を仇とせしめんとす。弘広の路を開きて、以て田単の徒を待ち、容善の風を長じて、以て斉士の志を申べしむ。之を東海に昭らかにし、之を華裔に属す。我が沢は春の如く、人の応は草の如し。燕王を思い戴き、風声を仰がば、二城必ず従わん。則ち王業隆んならん。
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『長短経』臣行〔或るひと曰く「楽毅は弱燕に相たり、強斉を破り、五国の兵を合わせ、君王の恥を雪ぐ。城を囲みて急に攻めず、将に道窮まりて義服せしめんとす。則ち仁者の師なり。咸な以て武侯に謨謀勝ると為す。可なるか」と。張輔曰く「夫れ五国の兵を以て共に一斉を伐つは、強しと為すに足らず。大いに済西に戦い、尸を伏せ血を流すは、仁と為すに足らず。彼の孔明は文武の徳を包み、長嘯して時を俟つ。劉玄徳は人を知るの明を以て、屢しば其の廬に造り、咨るに済世を以てす。
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史記 楽毅列伝楽毅報じて燕の恵王に書を遺りて曰く、「先王之に命じて曰く、我斉に積怨深怒有り、斉を以て事と為さんと欲す、と。臣曰く、斉は霸国の余業なり。王若し之を伐たんと欲せば、必ず天下と之を図れ。天下と之を図るは、趙に結ぶに如くは莫し、と。先王以て然りと為し、臣を趙に使はす。兵を起こして斉を撃ち、大いに斉人を敗り、軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王遁れて莒に走り、珠玉財宝尽く収めて燕に入る。五伯より已来、功未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て志に慊れりと為し、故に地を裂きて之を封じ、小国の諸侯に比するを得しむ。臣聞く、賢聖の君は、禄を以て親を私せず、其の功多き者を賞し、其の能当たる者を処く。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行を論じて交はりを結ぶ者は、名を立つるの士なり」と。
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戦国策・昌國君樂毅為燕昭王合五國之兵而攻齊昌国君楽毅、燕の昭王の為に五国の兵を合して斉を攻め、七十余城を下し、尽く之を郡県として以て燕に属せしむ。三城未だ下らざるに、燕の昭王死す。恵王位に即き、斉人の反間を用い、楽毅を疑いて騎劫をして之に代わりて将たらしむ。楽毅趙に奔る、趙封じて以て望諸君と為す。斉の田単騎劫を欺詐し、卒に燕軍を敗り、復た七十城を収めて以て斉を復す。燕王悔い、趙の楽毅を用いて燕の弊に乗じて以て燕を伐たんことを懼る。燕王乃ち人をして楽毅を譲めしめ、且つ之に謝して曰く、「先王国を挙げて将軍に委ね、将軍燕の為に斉を破り、先王の讎に報い、天下振動せざる莫し、寡人豈敢えて一日も将軍の功を忘れんや。会たま先王群臣を棄て、寡人新たに位に即き、左右寡人を誤れり。寡人の騎劫をして将軍に代わらしめし所以は、将軍の久しく外に暴露するが為、故に将軍を召して且く事を計るを休めしめんとすればなり。将軍過ちて聴き、以て寡人と郄有りとし、遂に燕を捐てて趙に帰す。将軍自ら計を為すは則ち可なり、而も亦何を以て先王の将軍を遇する所以の意に報いんや」と。 望諸君乃ち人をして書を献じて燕王に報ぜしめて曰く、「臣不佞にして、先王の教えを奉承し、以て左右の心に順う能わず、斧質の罪に抵れて以て先王の明を傷い、而も又足下の義を害せんことを恐れ、故に遁逃して趙に奔る。自ら不肖の罪を負う、故に敢えて辞説を為さず。今王使者をして之を数めしむ、臣侍御者の先王の臣を畜幸せし所以の理を察せずして、而も又臣の先王に事えし所以の心を白かにせざらんことを恐る、故に敢えて書を以て対う。 「臣聞く、賢聖の君は、禄を以て其の親を私せず、功多き者之を授く。官を以て其の愛に随わず、能く当たる者之に処る。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行いを論じて交わりを結ぶ者は、名を立つるの士なり。臣学ぶ所を以て之を観るに、先王の挙錯、世に高きの心有り、故に節を魏王に仮り、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過ちて挙げ、之を賓客の中より擢んで、之を群臣の上に立て、父兄に謀らずして、臣をして亜卿為らしめたり。臣自ら以為えらく、令を奉じ教えを承くれば、以て幸いに罪無かるべし、と、故に命を受けて辞せず。 「先王之に命じて曰く、『我斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す』と。臣対えて曰く、『夫れ斉は霸国の余教にして、驟勝の遺事なり、兵甲に閑にして、戦攻に習う。王若し之を攻めんと欲せば、則ち必ず天下を挙げて之を図らん。天下を挙げて之を図るは、趙に結ぶより径なるは莫し。且つ又淮北・宋地は、楚・魏の同じく願う所なり。趙若し許さば、楚・魏を約し、宋力を尽くさば、四国之を攻め、斉大いに破るべし』と。先王曰く、『善し』と。臣乃ち口に令を受け、符節を具え、南のかた臣を趙に使わす。顧みて命に反り、兵を起こして隨いて斉を攻む。天の道、先王の霊を以て、河北の地、先王の挙に隨いて之を済上に有てり。済上の軍、令を奉じて斉を撃ち、大いに之に勝つ。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王逃遁して莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝、車甲珍器、尽く収めて燕に入る。大呂は元英に陳ね、故鼎は暦室に反り、斉器は寧台に設く。薊丘の植は、汶皇に植う。五伯自り以来、功未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て其の志に愜うと為し、臣を以て命を頓かずと為し、故に地を裂きて之を封じ、小国の諸侯に比するを得しめたり。臣不佞にして、自ら以為えらく、令を奉じ教えを承くれば、以て幸いに罪無かるべし、と、故に命を受けて辞せず。 「臣聞く、賢明の君は、功立ちて廃せず、故に春秋に著る。蚤知の士は、名成りて毀れず、故に後世に称せらる。先王の怨に報い恥を雪ぎ、万乗の強国を夷らげ、八百年の蓄積を収め、群臣を棄つるの日に至りて、余令後嗣に詔ぐの遺義、政を執り事に任ずるの臣、能く法令に循い庶孽に順う所以の者、施して萌隸に及ぶが若きは、皆以て後世に教うべし。 「臣聞く、善く作す者は、必ずしも善く成さず。善く始むる者は、必ずしも善く終えず。昔者伍子胥説かれて闔閭に聴かれ、故に呉王遠く跡して郢に至る。夫差是とせず、之に鴟夷を賜いて江に浮かべたり。故に呉王夫差先論の以て功を立つべきを悟らず、故に子胥を沈めて悔いず。子胥主の量を同じくせざるを蚤く見ざりし、故に江に入りて改めず。夫れ身を免れ功を全うし、以て先王の跡を明らかにするは、臣の上計なり。毀辱の非に離れ、先王の名を堕とすは、臣の大いに恐るる所なり。不測の罪に臨みて、幸いを以て利と為すは、義の敢えて出ださざる所なり。 「臣聞く、古の君子は、交わり絶つとも悪声を出ださず。忠臣の去るや、其の名を潔くせず。臣不佞と雖も、数々君子に教えを奉れり。侍御者の左右の説に親しみて、疏遠の行いを察せざらんことを恐る。故に敢えて書を以て報ず、唯だ君の留意せんことを」と。
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