長短経 / 七雄略
〔范雎説秦王曰、「秦韓之地形相錯如繡、秦之有韓、譬如木之有蠧人之有腹心病也。天下無變則已、有變、其為秦患者、孰大於韓乎?王何不收韓。」王曰、「吾固欲收韓、韓不聽、為之奈何?」對曰、「韓安得不聽。王若下兵攻滎陽、則成臯之道不通、北斷太行之道、則上黨之師不下。王一興兵而攻滎陽、則其國斷而為三、韓必見危亡矣。安得不聽!若聽、則覇事固可慮矣。」王曰、「善。」乃從之。〕
新字:〔范雎説秦王曰、「秦韓之地形相錯如繍、秦之有韓、譬如木之有蠹人之有腹心病也。天下無変則已、有変、其為秦患者、孰大於韓乎?王何不収韓。」王曰、「吾固欲収韓、韓不聴、為之奈何?」対曰、「韓安得不聴。王若下兵攻滎陽、則成皋之道不通、北断太行之道、則上党之師不下。王一興兵而攻滎陽、則其国断而為三、韓必見危亡矣。安得不聴!若聴、則覇事固可慮矣。」王曰、「善。」乃従之。〕
書き下し
〈范雎、秦王に説きて曰く「秦・韓の地形は相い錯わること繡の如し。秦の韓有るは、譬えば木の蠧有り、人の腹心の病有るがごときなり。天下に変無くんば則ち已む。変有らば、其の秦の患いと為る者、孰れか韓より大ならんや。王、何ぞ韓を収めざる」と。王曰く「吾、固より韓を収めんと欲す。韓、聴かず。之を為すこと奈何」と。対えて曰く「韓、安くんぞ聴かざるを得んや。王、若し兵を下して滎陽を攻めば、則ち成皋の道通ぜず。北のかた太行の道を断たば、則ち上党の師下らず。王、一たび兵を興して滎陽を攻めば、則ち其の国、断たれて三と為る。韓、必ず危亡を見ん。安くんぞ聴かざるを得んや。若し聴かば、則ち覇事、固より慮る可し」と。王曰く「善し」と。乃ち之に従う。〉
現代語訳
〈范雎が秦王に説いた。「秦と韓の地形は、刺繍のように入り組んでいる。秦に韓があるのは、たとえば木に虫がいるようなもの、人に内臓の病があるようなものです。天下に変事がなければそれまで。変事があれば、秦の患いとなるもので韓より大きいものはない。王はなぜ韓を収めないのですか」。王は言った。「私はもとより韓を収めたい。韓が聴かない。どうすればよいか」。答えた。「韓が聴かないでいられましょうか。王が兵を下して滎陽を攻めれば、成皋の道が通じなくなる。北の太行の道を断てば、上党の軍が下れない。王が一度兵を挙げて滎陽を攻めれば、その国は三つに断たれる。韓は必ず危亡を見る。聴かないでいられましょうか。聴けば、覇業は思いのままです」。王は「もっともだ」と言い、これに従った。〉
解説

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『長短経』地形又た六地有り。通有り、挂有り、支有り、隘有り、険有り、遠有り〔六地の名なり〕。我以て往くべく、彼以て来たるべきを、通と曰う〔俱に平陵に在りて、往来通利なるを謂うなり〕。通地に居りては、先ず其の高陽に処り、糧道を利し、以て戦えば則ち利あり〔寧ろ人を致すも、人に致されず。已に先ず高地に処り、分かちて帰来の路に屯守を為し、敵をして已が糧道を絶たしめざるなり〕。以て往くべく、以て反り難きを、挂と曰う〔挂は相挂牽するなり〕。挂形に曰く、敵備え無くんば、出でて之に勝て。敵備え有らば、出でて勝たずして、以て反り難く、利あらず〔敵備え無くして之を攻むれば、勝つこと可なり。備え有りて之に勝つことを得ざれば、則ち還反し難きなり〕。
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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『長短経』地形平原相遠く〔遠は、離なり〕、高きを仰ぎ下に臨むは、此れ弓弩の地にして、短兵は十も一に当たらず。両陣相近く、平地浅草にして、前むべく後るべきは、此れ長戟の地にして、剣楯は三も一に当たらず。萑葦竹簫〔簫は、蒿なり〕、草木蒙蘢として林葉茂接するは、此れ矛鋋の地にして、長戟は二も一に当たらず。曲道相伏し、険阨相薄るは、此れ剣楯の地にして、弓弩は三も一に当たらず。故に曰く「地形なる者は、兵の助けなり」と。又た曰く「兵を用うるの道は、地利を宝と為す」と。趙奢は山に趨りて、秦の師所以に覆敗し、韓信は水を背にして、漢の兵由りて其の克勝す。此れ地利を用うるの略なり。
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『長短経』地形我得れば則ち利あり、彼得るも亦た利ある者を、争地と為す〔少を以て衆に勝ち、弱を以て強に勝つべし。山水の阨口、険固の利有りて、両敵の争う所を謂う。故に経に曰く、争地は、吾将に其の後に趣かんとす、と〕。我以て往くべく、彼以て来たるべきを、交地と為す〔道上相交錯し、平地に数道有りて、往来交通し、絶つべき無きなり。故に経に曰く、交地は、吾将に其の結を固めんとす、と〕。諸侯の地三属し〔我と敵と相対して、旁に他国有るなり〕、先に至りて天下の衆を得る者を、衢地と為す〔先に其の地に至らば、諸侯の衆を交結して助けと為すべきなり。故に経に曰く、衢地は、吾将に其の守りを謹まんとす、と〕。
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『長短経』地形孫子曰く「三に曰く地利。地利なる者は、遠近・険易・広狭・死生なり。故に山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざれば、地利を得ること能わず。故に兵を用うるに、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、汜地有り、囲地有り、死地有り〔九地の名なり〕。諸侯自ら其の地に戦うを、散地と為す〔其の境内の地に戦えば、士卒の意専らならず、自ら潰ゆるの心有るなり。故に経に曰く、散地は、吾将に其の志を一にせんとす、と〕。人の地に入りて深からざる者を、軽地と為す〔人の地に入りて未だ深からざれば、士卒の意尚お未だ専らならずして、軽く走るなり。故に経に曰く、軽地は、吾将に之をして属せしめんとす、と〕。
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『長短経』地形険形に曰く、我先に之に居らば、必ず高陽に居りて以て敵を待て〔高陽の地に居りて、以て敵人を待つ。敵人其の下陰より来たらば、之を撃ちて、勝つなり〕。若し敵先に居らば、則ち引きて之を去り、従うこと勿かれ〔地険しければ、先に人に至るべからざるなり〕。夫れ遠形は、鈎勢にして、以て戦いを挑み難く、而して利あらず〔挑は、敵に近づくなり。遠形は、国を去ること遠きなり。地鈎等しく、独り便利なる無し。先に之に挑み戦えば、利あらず〕。凡そ此の六者は、地の道なり。皆将の至任にして、察せざるべからず。