長短経 / 懼戒
由此觀之、是知、天下者、非一人之天下也、天下人之天下也。所以王者必通三統、明天命所受者博、非獨一姓也。昔孔子論《詩》、至于「殷士膚敏、祼將于京。」喟然嘆曰、「富貴無常、不如是、王公其何以誡慎、民萌其何以勸勉!」《易》曰、「安不忘危、存不忘亾。是以身安而國家可保也。」故知懼而思誡、乃有國之福者矣。
新字:由此観之、是知、天下者、非一人之天下也、天下人之天下也。所以王者必通三統、明天命所受者博、非独一姓也。昔孔子論《詩》、至于「殷士膚敏、祼将于京。」喟然嘆曰、「富貴無常、不如是、王公其何以誡慎、民萌其何以勧勉!」《易》曰、「安不忘危、存不忘亾。是以身安而国家可保也。」故知懼而思誡、乃有国之福者矣。
書き下し
此に由りて之を観れば、是に知る、天下は一人の天下に非ず、天下の人の天下なり、と。王者の必ず三統に通じ、天命の受くる所の者の博くして、独り一姓のみに非ざるを明らかにする所以なり。昔、孔子詩を論じて「殷士は膚敏にして、京に祼将す」に至り、喟然として嘆じて曰く「富貴は常無し。是くの如くならずんば、王公は其れ何を以て誡慎せん。民萌は其れ何を以て勧勉せん」と。易に曰く「安くして危うきを忘れず、存して亡ぶるを忘れず。是を以て身安くして国家保つべきなり」と。故に知る、懼れて誡めを思うは、乃ち有国の福なる者なり。
現代語訳
これで見れば、天下は一人の天下ではなく、天下の人々の天下であるとわかる。王者が必ず夏・殷・周の三統に通じ、天命を受ける者は広く、一つの姓に限らないことを明らかにする理由である。昔、孔子は『詩経』を論じて「殷の立派な士たちが周の都で祭祀を手伝っている」という句に至ると、深くため息をついて言った。「富貴は常ではない。そうでなければ、王公は何によって戒め慎み、民は何によって励むだろうか」。『易』に「安泰でも危うさを忘れず、存続していても滅亡を忘れない。だから身は安らかで国家を保てる」とある。だから、恐れて戒めを思うことこそ、国を持つ者の福なのである。
解説
懼戒の篇は、天下は一人のものではないという言葉で締めくくられます。殷の貴族たちが周の都で祭りの手伝いをしている詩を読んで、孔子は、富貴が永遠でないからこそ上に立つ者は慎み、民は励むのだと嘆じた。長い篇に並んだ簒奪と反乱の話は、すべて上に立つ者への警告でした。安泰なときに危うさを忘れない。恐れを持って自分を戒め続けることが、地位を守る唯一の方法なのです。
この章句が説くこと
懼戒孔子易安不忘危戒め天下公
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