長短経 / 将体
《萬機論》曰、“雖有百萬之師、臨時吞敵、在將也。”吳子曰、“凡人之論將、恒觀之于勇。勇之于將、乃萬分之一耳。”故《六韜》曰、“將不仁、則三軍不親、將不勇、則三軍不為動。”孫子曰、“將者、勇、智、仁、信、必也。”勇、則不可犯、智、則不可亂、仁、則愛人、信、則不欺人、必、則無二心。此所謂“五才”者也。
新字:《万機論》曰、“雖有百万之師、臨時呑敵、在将也。”呉子曰、“凡人之論将、恒観之于勇。勇之于将、乃万分之一耳。”故《六韜》曰、“将不仁、則三軍不親、将不勇、則三軍不為動。”孫子曰、“将者、勇、智、仁、信、必也。”勇、則不可犯、智、則不可乱、仁、則愛人、信、則不欺人、必、則無二心。此所謂“五才”者也。
書き下し
万機論に曰く「百万の師有りと雖も、時に臨みて敵を呑むは、将に在るなり」と。呉子曰く「凡そ人の将を論ずるは、恒に之を勇に観る。勇の将に於けるは、乃ち万分の一のみ」と。故に六韜に曰く「将仁ならざれば、則ち三軍親しまず。将勇ならざれば、則ち三軍為に動かず」と。孫子曰く「将なる者は、勇・智・仁・信・必なり」と。勇なれば、則ち犯すべからず。智なれば、則ち乱すべからず。仁なれば、則ち人を愛す。信なれば、則ち人を欺かず。必なれば、則ち二心無し。此れ所謂五才なる者なり。
現代語訳
『万機論』に「百万の軍があっても、その時に臨んで敵を呑み込めるかどうかは将にかかっている」とある。呉起は「人が将を論じるとき、いつも勇気で見る。しかし勇気は将の資質の万分の一にすぎない」と言った。だから『六韜』に「将に仁がなければ全軍は親しまず、将に勇気がなければ全軍は動かない」とある。孫子は「将とは、勇・智・仁・信・必である」と言う。勇気があれば侵されず、知恵があれば乱されず、仁があれば人を愛し、信があれば人を欺かず、必ずやり遂げる心があれば二心がない。これがいわゆる五才である。
解説
将体の篇は、リーダーの資質から始まります。人は将を勇ましさで評価しがちだが、呉起によれば勇気は将の資質の万分の一にすぎない。孫子は将に必要な資質として勇・智・仁・信・必の五つを挙げました。侵されない勇気、乱されない知恵、人を愛する仁、欺かない信、二心なくやり遂げる必。一つだけが突出していても、将にはなれない。百万の兵の力を生かすも殺すも、この五つがそろった一人にかかっているのです。
この章句が説くこと
将体孫子呉起五才リーダーの資質バランス
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