長短経 / 察相
若務腧脥□者、蛆嫉人也。急□夾者、不嫉妬則虗妄人也。盯睢眰血者、惡性人也。□䀽矘晃者、憨□人也。貼念䁠切珉□者、淫亂人也。弥詞矒贈者、姦詐人也。㶐澄抝巧巧者、崛强人也。羊目□江瞳江者、毒害人也。睢盱䀹爍者、回邪人也。精色襍而光彩浮淺者、心意不定、無信人也。精清光溢者、聰明人也。精沈光定者、大膽人也。上目眥下眥中深厚、氣色穠厚者、有威武亦大膽人也。氣色彯眇、淺薄人也。土地不潔者、無威、怯懦人也。精紫黑而光彩端定者、剛烈人也。精潔白而端定者、好隠遁人也。精多光而不溢散、清澈而視端審者、直性人也。精黄而光彩澄澈者、慕道術人也。
新字:若務腧脥□者、蛆嫉人也。急□夾者、不嫉妬則虚妄人也。盯睢眰血者、悪性人也。□䀽矘晃者、憨□人也。貼念䁠切珉□者、淫乱人也。弥詞矒贈者、姦詐人也。㶐澄抝巧巧者、崛強人也。羊目□江瞳江者、毒害人也。睢盱䀹爍者、回邪人也。精色襍而光彩浮浅者、心意不定、無信人也。精清光溢者、聰明人也。精沈光定者、大胆人也。上目眥下眥中深厚、気色穠厚者、有威武亦大胆人也。気色彯眇、浅薄人也。土地不潔者、無威、怯懦人也。精紫黒而光彩端定者、剛烈人也。精潔白而端定者、好隠遁人也。精多光而不溢散、清澈而視端審者、直性人也。精黄而光彩澄澈者、慕道術人也。
書き下し
若し務腧脥□なる者は、蛆嫉の人なり。急□夾なる者は、嫉妬せずんば則ち虚妄の人なり。盯睢眰血なる者は、悪性の人なり。□䀽矘晃なる者は、憨□の人なり。貼念䁠切珉□なる者は、淫乱の人なり。弥詞矒贈なる者は、姦詐の人なり。㶐澄抝巧巧なる者は、崛強の人なり。羊目□江瞳江なる者は、毒害の人なり。睢盱䀹爍なる者は、回邪の人なり。精色雑にして光彩浮浅なる者は、心意定まらず、信無き人なり。精清くして光溢るる者は、聡明の人なり。精沈みて光定まる者は、大胆の人なり。上目眥・下眥の中深厚にして、気色穠厚なる者は、威武有り亦た大胆の人なり。気色彯眇なるは、浅薄の人なり。土地潔からざる者は、威無く怯懦の人なり。精紫黒にして光彩端定なる者は、剛烈の人なり。精潔白にして端定なる者は、隠遁を好む人なり。精多く光ありて溢れ散ぜず、清澈にして視ること端審なる者は、直性の人なり。精黄にして光彩澄澈なる者は、道術を慕う人なり。
現代語訳
もし目つきが(底本の字が読めない箇所がある)このようであれば、ねたむ人である。せわしく細めるような目は、ねたみ深くなければ中身のない人である。にらみつけて血走った目は、性質の悪い人である。ぼんやりかすんだ目は、愚かな人である。とろりとした目は、淫らな人である。落ち着かず見回す目は、よこしまで偽る人である。澄んでいながらねじれた目は、強情な人である。羊のような目で瞳が動かないのは、人を害する人である。見開いてまばたきの多い目は、ねじけた人である。瞳の色が混ざって輝きが浮ついて浅い者は、心が定まらず信のない人である。瞳が清く光が溢れる者は、聡明な人である。瞳が沈んで光が定まっている者は、大胆な人である。上下のまぶたの間が深く厚く、顔色が濃く厚い者は、威武があり、これも大胆な人である。顔色がひらひらと薄い者は、浅薄な人である。目のまわりが清らかでない者は、威がなく臆病な人である。瞳が紫黒で輝きが端正に定まっている者は、剛烈な人である。瞳が清らかに白く端正に定まっている者は、隠遁を好む人である。瞳に光が多く溢れ散らず、清く澄んで見つめ方が端正な者は、素直な性質の人である。瞳が黄色くて輝きが澄みきっている者は、道術を慕う人である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』外篇・品藻・四種の人名を藏し利を遠ざけ、夙夜汲汲乎として實行する者は、聖人なり。名の為に修め、利の為に勸め、夙夜汲汲乎として實行する者は、賢人なり。名標を占めず、利孔を尋ねず、氣昏く志惰りて、德を荒らし業を廢する者は、眾人なり。虛名を炫らかし、實利を漁りて、內に狡獪の心を存し、陰に鳥獸の行を為す者は、盜賊なり。
-
『呻吟語』外篇・物理・敗俗の書或いは其の要領を撮み、或いは其の雋腴を類す。『四書』、『六經集注』、『通簽』の類の如し。此れを要書と謂ふ。時務に當たり、機宜に中り、之を用ひて物阜かに民安く、功成り事濟る。此れを經世の書と謂ふ。言は理に近しと雖も、陳言を掇拾して、以て經史を羽翼するに足らず、是れを贅書と謂ふ。醫技農卜、生を養ひ患ひを防ぎ、善を勸め惡を懲らす、是れを益人の書と謂ふ。天下國家に關はる無く、身心性命に益無く、語は心に根ざさず、言は皆な世に應じて、當世の務めを妨ぐ、是れを無用の書と謂ふ。又た贅に如かざるは佛老莊列、是れを病道の書と謂ふ。迂儒の腐說、賢智の偏言、是れを雜道の書と謂ふ。淫邪幻誕、機械誇張、是れを敗俗の書と謂ふ。世道の責有る者、毅然として沙汰して之を芟鋤せずんば、其の世教人心の害為るや小さからず。
-
『墨子』非攻下今、還た夫の攻伐を好むの君、乂た其の説を飾りて以て子墨子を非として曰く、攻伐を以て不義と為すは、利物に非ざるか。昔者、禹は有苗を征し、湯は桀を伐ち、武王は紂を伐つ。此れ皆な立ちて聖王と為る。是れ何の故ぞや、と。子墨子曰く、子は未だ吾が言の類を察せず、未だ其の故に明らかならざる者なり。彼は謂う所の攻に非ず、誅と謂うなり。
-
『茶の本』第五章 芸術鑑賞・あまりに分類し過ぎて楽しむことが少ない進化論の盛んであった十九世紀には、人類のことを考えて個人を忘れる習慣が作られた。収集家は一時期あるいは一派を説明する資料を得んことを切望して、ただ一個の傑作が、よく一定の時期あるいは一派のいかなる多数の凡俗な作にもまさって、われわれを教えるものであるということを忘れている。われわれはあまりに分類し過ぎて、あまりに楽しむことが少ない。いわゆる科学的方法の陳列のために、審美的方法を犠牲にしたことは、これまで多くの博物館の害毒であった。
-
孫子・用間篇故に間を用うるに五有り。郷間有り、内間有り、反間有り、死間有り、生間有り。
-
孫子・九地篇これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。