長短経 / 三国権
〔後主用譙周䇿、奉璽書於艾曰、「限分江漢、遇值深逺階縁蜀土。斗絶一隅、干運犯冐漸苒歴載。每惟黄初中、宣温宻之詔、申三好之恩、開示門戸大義炳然。而不徳闇劣、貪竊遺緒、俛仰累紀、未率大教、天威既震、人鬼歸能之數、怖駭王師、神武所次、敢不革面、順以從命?」
新字:〔後主用譙周策、奉璽書於艾曰、「限分江漢、遇値深遠階縁蜀土。斗絶一隅、干運犯冐漸苒歴載。毎惟黄初中、宣温密之詔、申三好之恩、開示門戸大義炳然。而不徳闇劣、貪窃遺緒、俛仰累紀、未率大教、天威既震、人鬼帰能之数、怖駭王師、神武所次、敢不革面、順以従命?」
書き下し
〔後主、譙周の策を用い、璽書を艾に奉じて曰く「限りて江漢を分かち、深遠に遇値し、蜀土に階縁す。一隅に斗絶し、運に干い冒を犯し、漸苒として載を歴たり。毎に惟うに黄初中、温密の詔を宣べ、三好の恩を申べ、門戸を開示し、大義炳然たり。而るに不徳闇劣にして、遺緒を貪竊し、俛仰して紀を累ね、未だ大教に率わず。天威既に震い、人鬼能に帰するの数、王師を怖駭す。神武の次る所、敢えて面を革め、順いて以て命に従わざらんや」と。
現代語訳
〔後主劉禅は譙周の策を用い、璽を添えた降伏の書を鄧艾に奉じて言った。「長江と漢水で隔てられ、遠く奥深い地にあったために蜀の地に拠り、一隅に切り離されて、天運に逆らい罪を犯し、ずるずると年月を過ごしてきました。思えば黄初年間、魏の文帝は温かく行き届いた詔を下し、三国の友好の恩を述べ、帰順の門を開いて大義を明らかにされました。それなのに私は徳がなく愚かで、父祖の遺業をむさぼり、ぐずぐずと何十年も過ごし、大いなる教えに従いませんでした。天の威光がいまや震い、人も鬼神も能力ある者に帰する定めに、王の軍を恐れおののいております。神のごとき武威の至るところ、どうして顔を改め、従って命を受けないことがありましょう」。
解説
劉禅の降伏文書は、自らを徹底的に低くしています。辺地に隔てられて天運に逆らい、魏の文帝の温情にも応えず、父祖の遺業をむさぼってきた。父劉備と諸葛亮が掲げた漢室再興の大義は、ここでは罪として語られます。国を明け渡すとき、言葉は勝者の物語に合わせて書き換えられる。四十年以上続いた国の理念が、一通の書状で過ちとして閉じられました。負けた側は、自分の歴史を語る言葉まで失うのです。
この章句が説くこと
三国権劉禅降伏譙周蜀滅亡理念
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