長短経 / 詭信
”對曰、“足下不知也。臣鄰家有逺為吏者、其妻私人。其夫且歸、其妻私者憂之、其妻曰、‘公勿憂也。吾已為藥酒待之矣。’後二日、夫至、妻使妾奉巵酒進之。妾知其藥酒也、進之則殺主父、言之則逐主母、乃佯僵棄酒、主父大怒而笞之。妾之棄酒、上以活主父、下以存主母。忠至如此、然不免於笞、此以忠信得罪也。臣之事、適不幸而類妾之棄酒也。且臣之事足下、亢義益國、今乃得罪、臣恐天下後事足下者、莫敢自必也。且臣之説齊、曽不欺之也。後之說齊者、莫如臣之言、雖堯、舜之智、不敢取之。”燕王曰、“善!”復厚遇之。由此觀之、故知譎即信也、詭即忠也。夫譎詭之行、乃忠信之本焉。
新字:”対曰、“足下不知也。臣鄰家有遠為吏者、其妻私人。其夫且帰、其妻私者憂之、其妻曰、‘公勿憂也。吾已為薬酒待之矣。’後二日、夫至、妻使妾奉巵酒進之。妾知其薬酒也、進之則殺主父、言之則逐主母、乃佯僵棄酒、主父大怒而笞之。妾之棄酒、上以活主父、下以存主母。忠至如此、然不免於笞、此以忠信得罪也。臣之事、適不幸而類妾之棄酒也。且臣之事足下、亢義益国、今乃得罪、臣恐天下後事足下者、莫敢自必也。且臣之説斉、曽不欺之也。後之説斉者、莫如臣之言、雖堯、舜之智、不敢取之。”燕王曰、“善!”復厚遇之。由此観之、故知譎即信也、詭即忠也。夫譎詭之行、乃忠信之本焉。
書き下し
対えて曰く「足下知らざるなり。臣の隣家に遠く吏と為る者有り。其の妻、人に私す。其の夫且に帰らんとす。其の妻の私する者之を憂う。其の妻曰く『公憂うること勿かれ。吾已に薬酒を為りて之を待つ』と。後二日、夫至る。妻、妾をして巵酒を奉じて之を進めしむ。妾其の薬酒なるを知り、之を進めば則ち主父を殺し、之を言えば則ち主母を逐う。乃ち佯りて僵れて酒を棄つ。主父大いに怒りて之を笞うつ。妾の酒を棄つるは、上は以て主父を活かし、下は以て主母を存す。忠至ること此くの如し。然れども笞を免れず。此れ忠信を以て罪を得るなり。臣の事は、適に不幸にして妾の酒を棄つるに類す。且つ臣の足下に事うるや、義を亢くし国を益すも、今乃ち罪を得たり。臣恐らくは天下の後に足下に事うる者、敢えて自ら必する莫からん。且つ臣の斉に説くや、曽て之を欺かざるなり。後の斉に説く者は、臣の言に如くは莫し。堯・舜の智と雖も、敢えて取らざらん」と。燕王曰く「善し」と。復た厚く之を遇す。此に由りて之を観れば、故に知る、譎は即ち信なり、詭は即ち忠なり。夫れ譎詭の行いは、乃ち忠信の本なり。
現代語訳
蘇秦は答えた。「王はおわかりでない。私の隣の家に、遠くへ役人として赴いた者がいました。その妻は他の男と通じていました。夫が帰ってくることになり、妻と通じていた男は心配しました。妻は『心配いりません。もう毒酒を作って待っています』と言いました。二日後に夫が帰ると、妻は下女に杯の酒を捧げて夫に勧めさせました。下女はそれが毒酒だと知っていました。勧めれば主人を殺し、言えば奥様が追い出される。そこで転んだふりをして酒をこぼしました。主人は大いに怒って下女を鞭で打ちました。下女が酒をこぼしたのは、上は主人を生かし、下は奥様を守るためでした。忠がこれほど極まっていても、鞭打ちを免れなかった。これが、忠信によって罪を得るということです。私のことは、不幸にもちょうど下女が酒をこぼしたのに似ています。しかも私が王に仕えて義を高く掲げ国を益したのに、いま罪を得ました。これでは、今後王に仕える天下の者は、誰も自分の身が大丈夫だとは思えなくなるでしょう。しかも私が斉を説いたとき、少しも欺いてはいません。今後斉を説く者で、私ほどの言葉を言える者はいません。堯・舜の知恵があっても、取り返せなかったでしょう」。燕王は「よくわかった」と言い、再び厚く遇した。これで見れば、欺きこそが信であり、偽りこそが忠であるとわかる。欺き偽る行いは、忠信の根本なのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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説苑・雜言孔子、呂梁を観る。懸水四十仞、環流九十里、魚鱉過ぐる能わず、黿鼉敢えて居らず。一丈夫有り、方に将に之を渉らんとす。孔子人をして崖に並びて之を止めしめて曰く、「此の懸水四十仞、圜流九十里、魚鱉敢えて過ぎず、黿鼉敢えて居らず、意うに済り難からんか」と。丈夫意に錯かず、遂に渡りて出づ。孔子問う、「子巧みなるか。且つ道術有るか。能く入りて出づる所以は何ぞや」と。丈夫曰く、「始め吾入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるや、又従うに忠信を以てす。忠信吾が軀を波流に錯くも、吾敢えて私を用いず。吾の能く入りて復た出づる所以なり」と。孔子弟子に謂いて曰く、「水すら尚お忠信を以てす可し、義久しくして身之に親しめば、況んや人に於いてをや」と。
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孔子家語・儒行解儒に金玉を宝とせずして、忠信を以て宝と為し、土地を祈らずして、仁義を以て土地と為し、多積を求めずして、多文を以て富と為す有り。得難くして禄し易く、禄し易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、亦た難得ならずや。義に非ざれば合わず、亦た難畜ならずや。労を先にして禄を後にす、亦た易禄ならずや。其の人情に近きこと此くの如き者有り。儒に之に委ぬるに財貨を以てして貪らず、之を淹すに楽好を以てして淫せず、之を劫すに衆を以てして懼れず、之を阻むに兵を以てして懾れず、利を見て其の義を虧かず、死を見て其の守りを更めず、鷙虫の攫搏も其の勇を程らず、重鼎を引くも其の力を程らず、往く者を悔いず、来る者を予めせず、過言再びせず、流言極めず、其の威を断たず、其の謀を習わず有り。其の特立すること此くの如き者有り。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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孔子家語・致思孔子衛より魯に反り、駕を河梁に息めて観る。懸水三十仞、圜流九十里なる有り、魚鱉導く能わず、黿鼉居る能わず。一丈夫の方に厲らんとする有り、孔子人をして涯に並びて之を止めしめて曰わく、「此の懸水三十仞、圜流九十里なるは、魚鱉黿鼉も居る能わざるなり、意うに済る可からざらん。」 丈夫意に措せず、遂に渡りて出づ。 孔子之に問いて曰わく、「子道術有るか。入りて出づる能わゆる所以は、何ぞや。」 丈夫対えて曰わく、「始め吾の入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるに及びても、又忠信を以て従う。忠信吾が軀を波流に措く、而して吾敢えて私を用いず、入りて復た出づる能う所以なり。」 孔子弟子に謂いて曰わく、「二三子之を識せ、水すら且つ猶忠信を以て身を成し之に親しむ可し、而るを況んや人に於てをや。」
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説苑・尊賢哀公孔子に問いて曰く、「人如何にして取るべきか」と。孔子対えて曰く、「拑者を取ること毋かれ、健者を取ること無かれ、口鋭き者を取ること毋かれ」と。哀公曰く、「何の謂いぞや」と。孔子曰く、「拑者は大いに給利にして尽くは用うべからず。健者は必ず人を兼ねんと欲す、以て法と為すべからず。口鋭き者は誕多くして信寡し、後恐らくは験あらざらん。夫れ弓矢は和調して後に其の中を求む。馬は愨愿順にして、然る後に其の良材を求む。人は必ず忠信重厚にして、然る後に其の知能を求む。今人有りて忠信重厚ならずして知能多ければ、此くの如き人は、譬えば猶お豺狼のごとし、身を以て近づくべからず。是の故に先ず其の仁義の誠なる者、然る後に之に親しむ。是に於いて知能有る者、然る後に之に任ず。故に曰く、仁に親しみて能を使うと。夫れ人を取るの術や、其の言を観て其の行いを察す。夫れ言なる者は其の匈を抒べて其の情を発する所以の者なり。能く行う士は必ず能く之を言う。是の故に先ず其の言を観て其の行いを揆る。夫れ言を以て其の行いを揆れば、姦軌の人有りと雖も、以て其の情を逃るる無し」と。哀公曰く、「善し」と。