長短経 / 量才
彧曰、「紹兵雖多、而法令不整。田豐剛而犯上、許攸貪而不治。審配專而無謀、逢紀果而自用、此二人留知後事。許攸貪而犯法、必不能縱、不縱、必為變。顔良、文醜、一夫之勇耳、可一戰而擒也。」後許攸貪不奉法、審配收其妻子、攸怒、奔曹公。又顔良臨陣授首、田豐以諫死、皆如彧所料也。〕吾以此知勝之謂矣
新字:彧曰、「紹兵雖多、而法令不整。田豊剛而犯上、許攸貪而不治。審配専而無謀、逢紀果而自用、此二人留知後事。許攸貪而犯法、必不能縦、不縦、必為変。顔良、文醜、一夫之勇耳、可一戦而擒也。」後許攸貪不奉法、審配収其妻子、攸怒、奔曹公。又顔良臨陣授首、田豊以諫死、皆如彧所料也。〕吾以此知勝之謂矣
書き下し
彧曰く「紹の兵は多しと雖も、而れども法令整わず。田豊は剛にして上を犯し、許攸は貪にして治めず。審配は専らにして謀無く、逢紀は果にして自ら用う。此の二人は留まりて後事を知る。許攸は貪にして法を犯さば、必ず縦す能わず。縦さざれば、必ず変を為さん。顔良・文醜は一夫の勇のみ。一戦にして擒にす可きなり」と。後に許攸貪にして法を奉ぜず、審配其の妻子を収む。攸怒りて曹公に奔る。又た顔良は陣に臨みて首を授け、田豊は諫を以て死す。皆な彧の料る所の如し。〕吾れ此を以て勝を知ると謂うなり。
現代語訳
荀彧は言った。「袁紹の兵は多いが、軍法が整っていない。田豊は剛直で上に逆らい、許攸は貪欲で身を修めない。審配は独断的で謀がなく、逢紀は果断だが独りよがりである。この二人は留守を預かって後方を取り仕切る。許攸が貪欲のあまり法を犯せば、二人は必ず見逃さない。見逃さなければ、必ず内輪もめが起こる。顔良と文醜は一人前の勇にすぎない。一度の戦で捕らえられる」。のちに許攸は貪欲で法に従わず、審配がその妻子を捕らえた。許攸は怒って曹操のもとへ逃げた。また顔良は陣に臨んで首を取られ、田豊は諌言によって殺された。すべて荀彧が読んだとおりになった。〕私はこれによって勝敗を知るというのである。
解説

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