長短経 / 是非
翼奉曰、“治道之要、在知下之邪正。人誠向正、雖愚為用、若其懐邪、智益為害。”〔非曰〕夫人主莫不愛己也。莫知己者、不足愛也。故桓子曰、“捕猛獸者、不令美人舉手、釣巨魚者、不使稚子輕預。非不親也、力不堪也。奈何萬乗之主、而不擇人哉?故曰、夫犬之為猛、有非則鳴吠、而不遑于夙夜。此自効之至也。昔宋人有沽酒者、酒酸而不售、何也?以有猛犬之故。夫犬知愛其主、而不能為其主慮酒酸之患者、智不足也。”〔是曰〕
新字:翼奉曰、“治道之要、在知下之邪正。人誠向正、雖愚為用、若其懐邪、智益為害。”〔非曰〕夫人主莫不愛己也。莫知己者、不足愛也。故桓子曰、“捕猛獣者、不令美人舉手、釣巨魚者、不使稚子軽預。非不親也、力不堪也。奈何万乗之主、而不択人哉?故曰、夫犬之為猛、有非則鳴吠、而不遑于夙夜。此自効之至也。昔宋人有沽酒者、酒酸而不售、何也?以有猛犬之故。夫犬知愛其主、而不能為其主慮酒酸之患者、智不足也。”〔是曰〕
書き下し
翼奉曰く「治道の要は、下の邪正を知るに在り。人、誠に正に向かえば、愚と雖も用を為す。若し其れ邪を懐かば、智も益ます害を為す」と。〔非に曰く〕夫れ人主は己を愛せざる莫きなり。己を知る莫きは、愛するに足らざるなり。故に桓子曰く「猛獣を捕らうる者は、美人をして手を挙げしめず。巨魚を釣る者は、稚子をして軽がるしく預らしめず。親しからざるに非ず、力の堪えざればなり。奈何ぞ万乗の主にして、人を択ばざらんや。故に曰く、夫れ犬の猛たる、非有れば則ち鳴吠して、夙夜に遑あらず。此れ自ら効すの至りなり。昔、宋人に酒を沽る者有り。酒酸りて售れざるは何ぞや。猛犬有るの故を以てなり。夫れ犬は其の主を愛するを知りて、而も其の主の為に酒の酸るの患いを慮る能わざるは、智足らざればなり」と。〔是に曰く〕
現代語訳
翼奉はこう言った。「治める道の要点は、下の者が正しいかよこしまかを知ることにある。人が本当に正しいほうへ向かっていれば、愚かでも役に立つ。もしよこしまな心を抱いていれば、賢いほどますます害になる」。〔非の側。〕人の主で自分を愛さない者はいない。自分を知らない者は、愛するに足りない。だから桓子はこう言った。「猛獣を捕らえる者は、美人に手を出させない。大魚を釣る者は、幼子に軽々しく関わらせない。親しくないからではなく、力が及ばないからである。どうして万乗の君主が人を選ばずにいられよう。だからこう言う。犬が猛々しいのは、異変があれば吠えて、昼も夜も休まないことである。これは自分を尽くすことの極みである。昔、宋の人に酒を売る者がいた。酒が酸っぱくなって売れないのはなぜか。猛犬がいたからである。犬は主人を愛することを知っていながら、主人のために酒が酸ることを心配できない。知恵が足りないからである」。
解説
この章句が説くこと
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