長短経 / 是非
韓子曰、“古之人、目短于自見故以鏡觀面、智疑於自知、故以道正已〔非曰〕老子曰、“反聽之謂聰、内視之謂明、自勝之謂强。”〔是曰〕
新字:韓子曰、“古之人、目短于自見故以鏡観面、智疑於自知、故以道正已〔非曰〕老子曰、“反聴之謂聰、内視之謂明、自勝之謂強。”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕韓子曰く「古の人は、目は自ら見るに短し。故に鏡を以て面を観る。智は自ら知るに疑わし。故に道を以て己を正す」と。〔非に曰く〕老子曰く「反聴するを之を聡と謂い、内視するを之を明と謂い、自ら勝つを之を強と謂う」と。
現代語訳
〔是の側。〕韓非子はこう言った。「昔の人は、目は自分を見るには足りない。だから鏡で顔を見た。知恵は自分を知るには頼りない。だから道によって自分を正した」。〔非の側。〕老子はこう言った。「内へ向けて聴くことを聡といい、内へ向けて見ることを明といい、自分に勝つことを強という」。
解説
外に鏡を置けという韓非子と、内を見よという老子。自分を知る方法が、正反対の方向から示されます。どちらも自分の目では自分を見られないという前提は共有していて、違うのは鏡を外に置くか内に置くかだけです。人に聞いて自分を知る人と、内省して自分を知る人。両方を使わないと、片方の死角が残ります。外の鏡は都合の悪いことを映さない人が持ちがちで、内の鏡は自分に甘くなりがちです。
この章句が説くこと
是非鏡韓非子老子反聴内視自己認識
関連する章句
-
老子・第33章人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。其の所を失わざる者は久し、死して而も亡びざる者は寿し。
-
『鬼谷子』反応篇其の事に非ずと雖も、㣲を見て類を知る。人を探りて其の内に居るが若く、其の能を量り、其の意を射る。符應失わざること、螣蛇の指す所の如く、羿の矢を引くが若し。故に之を知るの始めは己なり。自ら知りて後に人を知るなり。
-
『墨子』耕柱子墨子曰く、「世俗の君子は、貧しくして之を富めりと謂えば則ち怒り、義無くして之を義有りと謂えば則ち喜ぶ。豈に悖らざらんや」と。
-
『韓非子』觀行第二十四古の人、目は自ら見るに短なり、故に鏡を以て面を觀、智は自ら知るに短なり、故に道を以て己を正す。
-
『韓非子』老第二十一知の難きは、人を見るに在らず、自ら見るに在り。故に曰く、「自ら見るを之れ明と謂う。」
-
葉隠・聞書第一浪人の身にて、上を怨み候事〔あり〕。何某(なにがし)浪人、内実(ないじつ)に非を知りて崩す。前方(ぜんぽう)仰付(おおせつけ)御断(おことわ)り、二度目に御請誓詞(おうけせいし)の事。同筋(どうすじ)にて浪人の事。斯様(かよう)の我が非を存ぜざる間(あいだ)は、帰参有るまじき事。今にも御情(おなさけ)無きの、誰がにくい者などと計(ばか)り、胸をこがし候て、なお天道(てんとう)の悪(にく)みを受くるなり。何某の評判に、御罰(おばち)よと申されたるとなり。人がのがれぬなり。罪一人に有りと思い返され候え。