長短経 / 是非
慮不先定、不可以應卒、兵不先辦、不可以應敵。《左傳》曰、“豫備不虞、古之善政。”〔非曰〕《左傳》曰、“士蒍謂晉侯曰、‘臣聞之、無䘮而戚、憂必讐焉、無戎而城、讐必保焉。”《春秋外傳》曰、“周景王將鑄錢。單穆公曰、‘不可。古者天灾降戾、于是乎量資幣、權輕重、以振救人。夫備預、有未至而設之〔脩國備也。預備不虞、安不忘危。、〕有至而後救之〔若救火、療疾、量資幣之屬。、〕是不相入也〔二者先後各有宜、不相入。〕可先而不備、謂之怠〔怠、緩也。、〕可後而先之、謂之召災〔謂人未有患、輕而重之、離離人召匱財、是以召災也。〕周固羸國也、天未厭禍焉、而又離人以佐災、無乃不可乎!’”〔是曰〕
新字:慮不先定、不可以応卒、兵不先辦、不可以応敵。《左伝》曰、“予備不虞、古之善政。”〔非曰〕《左伝》曰、“士蒍謂晋侯曰、‘臣聞之、無喪而戚、憂必讐焉、無戎而城、讐必保焉。”《春秋外伝》曰、“周景王将鋳銭。単穆公曰、‘不可。古者天災降戻、于是乎量資幣、権軽重、以振救人。夫備預、有未至而設之〔脩国備也。預備不虞、安不忘危。、〕有至而後救之〔若救火、療疾、量資幣之属。、〕是不相入也〔二者先後各有宜、不相入。〕可先而不備、謂之怠〔怠、緩也。、〕可後而先之、謂之召災〔謂人未有患、軽而重之、離離人召匱財、是以召災也。〕周固羸国也、天未厭禍焉、而又離人以佐災、無乃不可乎!’”〔是曰〕
書き下し
慮、先ず定まらざれば、以て卒に応ず可からず。兵、先ず弁ぜざれば、以て敵に応ず可からず。左伝に曰く「不虞に予め備うるは、古の善政なり」と。〔非に曰く〕左伝に曰く「士蒍、晋侯に謂いて曰く『臣之を聞く、喪無くして戚めば、憂い必ず讐す。戎無くして城けば、讐必ず保たん』と」と。春秋外伝に曰く「周の景王、将に銭を鋳んとす。単穆公曰く『不可なり。古者、天災の戻を降すや、是に於て資幣を量り、軽重を権りて、以て人を振救す。夫れ備え預るには、未だ至らずして之を設くる有り〈国の備えを脩むるなり。虞えざるに預め備うるは、安くして危うきを忘れざるなり。〉至りて後に之を救う有り〈火を救い疾を療するが若き、資幣を量るの属。〉是れ相い入らざるなり〈二者は先後各々宜しき有りて、相い入らず。〉先にす可くして備えざる、之を怠と謂う〈怠は緩なり。〉後にす可くして之を先にする、之を災を召くと謂う〈人未だ患え有らざるに、軽んじて之を重んじ、人を離れ財を匱しくするを召く、是を以て災を召くなり。〉周は固より羸国なり。天未だ禍に厭かず。而るに又た人を離して災を佐く。乃ち不可ならざらんや』と」と。
現代語訳
考えが先に定まっていなければ、急な事態に応じられない。兵が先に整っていなければ、敵に応じられない。春秋左氏伝にこうある。「思いがけない事態にあらかじめ備えるのが、古の良い政治である」。〔非の側。〕春秋左氏伝にこうある。「士蒍が晋侯に言った。『臣が聞くところでは、喪もないのに悲しめば憂いが必ず仕返しに来る。戦もないのに城を築けば、敵が必ずそれを守りに来る』」。春秋外伝にこうある。「周の景王が貨幣を鋳ようとした。単穆公が言った。『いけません。昔は天災が下ったとき、蓄えと貨幣を量り、軽重を計って民を救いました。備えには、まだ来ないうちに設けるものがあり〈国の備えを修めること。思いがけない事態に前もって備えるのは、安らかなときに危うさを忘れないことである。〉、来てから救うものがあります〈火を消し病を治すように、蓄えと貨幣を量る類。〉。この二つは入れ替えられません〈二つは先後それぞれ適切さがあって、入れ替えられない。〉。先にすべきなのに備えないのを怠といい〈怠とは緩むこと。〉、後にすべきなのに先にするのを災いを招くといいます〈民にまだ憂いがないのに、軽いものを重く扱い、民を離れさせ財を乏しくさせる、だから災いを招く。〉。周はもともと弱い国です。天はまだ禍に飽きていません。それなのにさらに民を離れさせて災いを助けるのは、いけないのではありませんか』」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。