長短経 / 正論
〔司馬談曰、“道家使人精神専一、動合無形、贍足萬物、其為術也、因隂陽之大順、采儒墨之善、撮名法之要、與時遷徙、應物變化、立俗施事、無所不宜。指約而易操、事少而功多。夫道家無為又曰無不為、其實易行、其辭難知、其術以虛無為本、以因循為用、無成勢、無常形。故能究萬物之情、不為物先、不為物後、故能為萬物主。有法無法、因時為業、有度無度、因物與合。故曰、‘聖人不朽、時變是守。’虛者、道之常、因者、君之綱、君臣並至、使自明也。”〕
新字:〔司馬談曰、“道家使人精神専一、動合無形、贍足万物、其為術也、因陰陽之大順、采儒墨之善、撮名法之要、与時遷徙、応物変化、立俗施事、無所不宜。指約而易操、事少而功多。夫道家無為又曰無不為、其実易行、其辞難知、其術以虚無為本、以因循為用、無成勢、無常形。故能究万物之情、不為物先、不為物後、故能為万物主。有法無法、因時為業、有度無度、因物与合。故曰、‘聖人不朽、時変是守。’虚者、道之常、因者、君之綱、君臣並至、使自明也。”〕
書き下し
〈司馬談曰く「道家は人をして精神専一ならしめ、動けば無形に合し、万物を贍足す。其の術為るや、陰陽の大順に因り、儒墨の善を采り、名法の要を撮り、時と遷徙し、物に応じて変化し、俗を立て事を施し、宜しからざる所無し。指は約にして操り易く、事は少なくして功多し。夫れ道家は無為と曰い、又た為さざる無しと曰う。其の実は行い易く、其の辞は知り難し。其の術は虚無を以て本と為し、因循を以て用と為す。成勢無く、常形無し。故に能く万物の情を究む。物に先んぜず、物に後れず。故に能く万物の主と為る。法有り法無し、時に因りて業を為す。度有り度無し、物に因りて与に合す。故に曰く『聖人は朽ちず、時の変、是れ守る』と。虚なる者は、道の常なり。因る者は、君の綱なり。君臣並び至りて、自ら明らかならしむるなり」と。〉
現代語訳
〈司馬談はこう言った。「道家は人の精神を専一にさせ、動けば形のないものに合い、万物を満ち足らせる。その術は陰陽の大きな順序に沿い、儒家と墨家の善いところを採り、名家と法家の要点をつまみ、時とともに移り、物に応じて変化し、風俗を立て事業を施して、ふさわしくないところがない。要旨は簡潔で扱いやすく、手数は少なくて功は多い。道家は無為といい、また為さないことがないともいう。その実際は行いやすく、その言葉は分かりにくい。その術は虚無を根本とし、従うことを働きとする。出来合いの勢いも定まった形もない。だから万物の実情を究められる。物に先んじず、物に遅れない。だから万物の主となれる。法があるようでなく、時に応じて業をなす。尺度があるようでなく、物に応じて合わせる。だからこう言う。『聖人は朽ちない。時の変化、これを守る』。虚は道の常であり、従うことは君主の綱である。君と臣がともに至って、おのずと明らかになる」。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・陽貨篇子曰く、飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博弈なる者有らずや。之を為すは、猶お已むに賢れり。
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説苑・君道晋の平公、師曠に問いて曰く、「人君の道は如何」と。対えて曰く、「人君の道は、清浄無為、務めて博愛にあり、趨りて賢を任ずるにあり、広く耳目を開きて以て万方を察し、流俗に固溺せず、左右に拘繋せられず、廓然として遠く見、踔然として独立し、屡々考績を省みて、以て臣下に臨む。此れ人君の操なり」と。平公曰く、「善し」と。
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