長短経 / 三国権
〔時劉表薨、諸葛亮説攻琮、荆州可有。先主曰、「荆州臨亡、託我以遺孤、吾不忍也。」荆州人多歸先主、先主日行十餘里。或曰、「宜速行保江陵。」先主曰、「夫濟大事者、以人為夲今人歸吾、何忍棄去。」習鑿齒曰、「劉主雖顛沛險難、而信義愈明、勢逼事危、而言不失道、追景升之顧、則情感三軍、戀赴義之士、則甘與同敗。視其所以結物情、豈徒投醪、撫寒、含蓼、問疾而已?其終濟大葉者、不亦宜乎?」〕
新字:〔時劉表薨、諸葛亮説攻琮、荆州可有。先主曰、「荆州臨亡、託我以遺孤、吾不忍也。」荆州人多帰先主、先主日行十余里。或曰、「宜速行保江陵。」先主曰、「夫済大事者、以人為本今人帰吾、何忍棄去。」習鑿歯曰、「劉主雖顛沛険難、而信義愈明、勢逼事危、而言不失道、追景升之顧、則情感三軍、恋赴義之士、則甘与同敗。視其所以結物情、豈徒投醪、撫寒、含蓼、問疾而已?其終済大葉者、不亦宜乎?」〕
書き下し
〔時に劉表薨ず。諸葛亮、琮を攻めば荊州有つべしと説く。先主曰く「荊州亡ぶるに臨み、我に託するに遺孤を以てす。吾忍びざるなり」と。荊州の人多く先主に帰し、先主日に行くこと十余里。或るひと曰く「宜しく速やかに行きて江陵を保つべし」と。先主曰く「夫れ大事を済す者は、人を以て本と為す。今、人吾に帰す。何ぞ棄て去るに忍びん」と。習鑿齒曰く「劉主は顛沛険難すと雖も、信義愈々明らかに、勢逼り事危うくして、言道を失わず。景升の顧みを追えば、則ち情三軍を感ぜしめ、義に赴くの士を恋えば、則ち甘んじて与に敗るるを同じくす。其の物情を結ぶ所以を視るに、豈に徒に醪を投じ、寒を撫し、蓼を含み、疾を問うのみならんや。其の終に大業を済すこと、亦た宜ならずや」と。〕
現代語訳
〔そのころ劉表が亡くなった。諸葛亮は、劉琮を攻めれば荊州を手に入れられると説いた。劉備は言った。「劉表殿は亡くなるとき、私に遺児を託された。私にはできない」。荊州の人々の多くが劉備について来たので、劉備は一日に十余里しか進めなかった。ある人が「急いで江陵を押さえるべきです」と言うと、劉備は言った。「大事を成す者は人を根本とする。いま人々が私を頼ってきているのに、どうして見捨てて行けようか」。習鑿齒は言う。「劉備は倒れつまずき危難にあっても、信義はいよいよ明らかで、情勢が差し迫り事が危うくても、言葉は道を外れなかった。劉表の恩顧を思えば情が三軍を感動させ、義に従う士を慕えば甘んじて共に敗れた。人の心を結んだやり方を見ると、酒を川に注いで兵と分け合い、寒さに震える者をなで、苦い蓼を口に含み、病を見舞うといった程度のことではない。最後に大業を成したのも当然ではないか」。〕
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・人に当てにせらるる人物十人の見るところ、百人の指すところにて、「何某は慥かなる人なり、たのもしき人物なり、この始末を託しても必ず間違いなからん、この仕事を任しても必ず成就することならん」と、あらかじめその人柄を当てにして世上一般より望みをかけらるる人を称して、人望を得る人物という。およそ人間世界に人望の大小軽重はあれども、かりそめにも人に当てにせらるる人にあらざれば、なんの用にも立たぬものなり。その小なるを言えば、十銭の銭を持たせて町使いに遣る者も、十銭だけの人望ありて、十銭だけは人に当てにせらるる人物なり。十銭より一円、一円より千円万円、ついには幾百万円の元金を集めたる銀行の支配人となり、または一府一省の長官となりて、ただに金銭を預かるのみならず、人民の便不便を預かり、その貧富を預かり、その栄辱をも預かることあるものなれば、かかる大任に当たる者は、必ず平生より人望を得て、人に当てにせらるる人にあらざれば、とても事をなすことは叶い難し。
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