長短経 / 懼戒
〔初、李斯從荀卿學帝王之術、欲西入秦。辭于荀卿曰、「斯聞得時無怠。今萬乘爭時、遊者主事。今秦王欲吞天下、稱帝而治、此布衣馳騖之時而遊談者之秋也。故斯將西説秦王。」至秦、為吕不韋舍人、不韋賢之、任以為郎。説秦王陰遣謀士賫金玉以遊説諸侯。諸侯名士、皆厚給遺之、不肯者、利劍刺之。離其君臣之計、遂吞天下、皆斯之謀也。〕
新字:〔初、李斯従荀卿学帝王之術、欲西入秦。辞于荀卿曰、「斯聞得時無怠。今万乗争時、遊者主事。今秦王欲呑天下、称帝而治、此布衣馳騖之時而遊談者之秋也。故斯将西説秦王。」至秦、為呂不韋舎人、不韋賢之、任以為郎。説秦王陰遣謀士賫金玉以遊説諸侯。諸侯名士、皆厚給遺之、不肯者、利剣刺之。離其君臣之計、遂呑天下、皆斯之謀也。〕
書き下し
〔初め、李斯は荀卿に従いて帝王の術を学び、西のかた秦に入らんと欲す。荀卿に辞して曰く「斯聞く、時を得ては怠ること無し、と。今、万乗時を争い、遊ぶ者事を主る。今、秦王は天下を呑み、帝を称して治めんと欲す。此れ布衣の馳騖するの時にして、遊談する者の秋なり。故に斯将に西のかた秦王に説かんとす」と。秦に至り、呂不韋の舎人と為る。不韋之を賢とし、任じて以て郎と為す。秦王に説きて陰かに謀士を遣わし、金玉を賫らして以て諸侯に遊説せしむ。諸侯の名士、皆厚く之に給遺し、肯んぜざる者は、利剣もて之を刺す。其の君臣の計を離し、遂に天下を呑むは、皆斯の謀なり。〕
現代語訳
〔はじめ李斯は荀子に帝王の術を学び、西の秦に入ろうとした。荀子に別れを告げて言った。「時を得たら怠ってはならないと聞きます。いま大国が時を争い、遊説する者が政治を主導しています。いま秦王は天下を呑み、帝と称して治めようとしています。これは庶民が駆け上がる時であり、遊説家の季節です。だから私は西へ行って秦王に説くのです」。秦に着くと呂不韋の食客となり、呂不韋は李斯を賢いと認めて郎官に任じた。李斯は秦王に、ひそかに謀士を遣わし金や玉を持たせて諸侯に遊説させるよう説いた。諸侯の名士には皆厚く贈り物をし、応じない者は鋭い剣で刺した。君臣の計画を引き離し、ついに天下を呑み込んだのは、すべて李斯の謀であった。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』外篇・治道・道德一にして風俗同じ聖主上に在れば、只だ一種の天理・民彝・經常の道を留め得て在り。其の餘の小道・曲說・異端・橫議は斬然として芟除し、餘類を遺さず。天下の人をして耳を易へ目を改め、心を洗ひ慮りを濯ぎ、一切亂政の術に於て、再生の如く、夢覺の如く、未だ嘗て見聞せざるが若くならしむ。然る後に道德一にして風俗同じく、然る後に純王の治と為る。
-
史記 秦本紀荘襄王の元年、大いに罪人を赦し、先王の功臣を修め、徳を施し骨肉を厚くして恵を民に布く。東周の君諸侯と秦を謀る。秦相国呂不韋をして之を誅せしめ、尽く其の国を入る。秦其の祀を絶たず、陽人の地を以て周の君に賜ひ、其の祭祀を奉ぜしむ。蒙驁をして韓を伐たしむ。韓成皋・鞏を献ず。秦の界大梁に至り、初めて三川郡を置く。二年、蒙驁をして趙を攻めしめ、太原を定む。三年、蒙驁魏の高都・汲を攻め、之を抜く。趙の楡次・新城・狼孟を攻め、三十七城を取る。四月日食す。王齕上党を攻む。初めて太原郡を置く。魏の将無忌五国の兵を率ゐて秦を撃ち、秦河外に却く。蒙驁敗れ、解きて去る。五月丙午、荘襄王卒し、子政立つ。是を秦の始皇帝と為す。秦王政立ちて二十六年、初めて天下を并せて三十六郡と為し、号して始皇帝と為す。始皇帝立ちて十一年にして崩じ、子胡亥立つ。是を二世皇帝と為す。三年、諸侯并び起こりて秦に叛き、趙高二世を殺し、子嬰を立つ。子嬰立ちて月余にして、諸侯之を誅し、遂に秦を滅ぼす。其の語は始皇本紀の中に在り。太史公曰く、秦の先は嬴姓為り。其の後分封せられ、国を以て姓と為す。徐氏・郯氏・莒氏・終黎氏・運奄氏・菟裘氏・将梁氏・黄氏・江氏・修魚氏・白冥氏・蜚廉氏・秦氏有り。然れども秦は其の先の造父の趙城に封ぜらるるを以て、趙氏と為る。
-
『墨子』節用中古者、聖王、制して衣服の法を為りて曰く、「冬は紺緅の衣を服て輕くして且つ暖かく、夏は絺綌の衣を服て輕くして且つ凊しければ、則ち諸を止む」と。費を加えて民の利に加えざる者は、聖王、為さず。
-
『新書』鑄錢且つ世民の銭を用うること、県に異なりて郡に同じからず。或いは軽銭を用い、百に加うること若干、軽小異行す。或いは重銭を用い、平称受けず。法銭立たざれば、将に天下をして権族を操らしめんとす、而して吏急にして之を壱にせんとすれば、則ち吏は煩苛にして民は任えず、且つ力能わずして勢い施す可からず。縦にして苛せざれば、則ち郡県異なりて市肆同じからず、小大用を異にし、銭文大いに乱る。夫れ苟くも其の術に非ざれば、則ち何れに嚮うて可ならんや。
-
『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻吾人はすべからく進んで支那の富源を開発し、その産業を進め、その販路を拡めて、通商上の利益を増加するように心掛けねばならぬ。我が国民の今日まで支那に対する商工業経営の態度を見るに、とかく個々別々であって、その間に少しも聯絡がない。ドイツの政治経済機関が統一して密接な関係を保っているのを見るにつけても、我が国民がこの歴史的においても、はたまた人種的においても、幾多の便宜を有する国柄なるにかかわらず、彼らの後えに瞠若たるようではならぬ。そしてこの覚悟は特に我が青年に対して最も望ましき所である。どうか今日の青年諸氏はかかる所に注目して力を入れてもらいたいのである。
-
史記 秦始皇本紀始皇終始五徳の伝を推し、以為へらく周は火徳を得たり、秦周の徳に代はる、勝たざる所に従ふと。方今水徳の始めなり。年始を改め、朝賀は皆十月朔よりす。衣服・旄旌・節旗は皆黒を上ぶ。数は六を以て紀と為し、符・法冠は皆六寸、而して輿は六尺、六尺を歩と為し、六馬に乗る。河を更名して徳水と曰ひ、以て水徳の始めと為す。剛毅戾深にして、事は皆法に決し、刻削して仁恩和義毋く、然る後に五徳の数に合ふ。是に於て法を急にし、久しき者も赦さず。丞相綰等言ふ、「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地遠く、為に王を置かずんば、以て之を填むる毋し。請ふ諸子を立てんことを、唯だ上幸ひに許せ」と。始皇其の議を群臣に下す。群臣皆以て便と為す。廷尉李斯議して曰く、「周の文武の封ずる所の子弟同姓甚だ衆し。然る後に属疏遠となり、相攻撃すること仇讎の如く、諸侯更相誅伐し、周の天子禁止する能はず。今海内陛下の神霊に頼りて一統し、皆郡県と為る。諸子功臣は公の賦税を以て重く之を賞賜せば、甚だ足りて制し易し。天下に異意無きは、則ち安寧の術なり。諸侯を置くは便ならず」と。始皇曰く、「天下共に戦闘の休まざるに苦しむは、侯王有るを以てなり。宗廟に頼り、天下初めて定まる。又復た国を立つるは、是れ兵を樹つるなり。而して其の寧息を求むるは、豈に難からずや。廷尉の議是なり」と。天下を分かちて以て三十六郡と為し、郡に守・尉・監を置く。民を更名して「黔首」と曰ふ。大いに酺す。天下の兵を収め、之を咸陽に聚め、銷して以て鐘鐻・金人十二と為す。重さ各千石、廷宮の中に置く。法度・衡石・丈尺を一にす。車は軌を同じくす。書は文字を同じくす。地は東は海に至りて朝鮮に暨び、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸に至り、北は河に拠りて塞と為し、陰山に并ひて遼東に至る。天下の豪富を咸陽に徙すこと十二万戸。諸廟及び章台・上林は皆渭南に在り。