長短経 / 覇図
東都太守翟義反、敗死〔義丞相方進子地立劉信為天子也。〕莽自謂威徳遂盛、獲天人之助、用銅匱符命、遂即真〔梓橦人哀章上銅匱符命。〕其九年、赤眉賊起〔瑯邪女子、吕母為子報仇、黨衆復浸多、號「赤眉賊」。〕十四年、世祖起兵、與王匡等共立劉聖公為更始皇帝。〔更始、即世祖族兄。世祖及兄伯升與新市平林兵士王匡等、合軍攻棘陽。〕莽遣王尋、王邑擊更始。二人兵敗於昆陽、漢兵遂入城中、人皆降。莽走漸臺、蔵於室中北隅、間校尉孫賓就斬莽、遂傳首詣更始於宛。
新字:東都太守翟義反、敗死〔義丞相方進子地立劉信為天子也。〕莽自謂威徳遂盛、獲天人之助、用銅匱符命、遂即真〔梓橦人哀章上銅匱符命。〕其九年、赤眉賊起〔瑯邪女子、呂母為子報仇、党衆復浸多、号「赤眉賊」。〕十四年、世祖起兵、与王匡等共立劉聖公為更始皇帝。〔更始、即世祖族兄。世祖及兄伯升与新市平林兵士王匡等、合軍攻棘陽。〕莽遣王尋、王邑撃更始。二人兵敗於昆陽、漢兵遂入城中、人皆降。莽走漸台、蔵於室中北隅、間校尉孫賓就斬莽、遂伝首詣更始於宛。
書き下し
東都太守翟義反し、敗れて死す。〈義は丞相方進の子。地に劉信を立てて天子と為すなり。〉莽、自ら謂えらく威徳遂に盛んにして、天人の助けを獲たりと。銅匱の符命を用いて、遂に真に即く。〈梓潼の人哀章、銅匱の符命を上る。〉其の九年、赤眉の賊起こる。〈瑯邪の女子、呂母、子の為に仇を報ず。党衆、復た浸く多し。赤眉の賊と号す。〉十四年、世祖兵を起こし、王匡等と共に劉聖公を立てて更始皇帝と為す。〈更始は、即ち世祖の族兄なり。世祖及び兄伯升と新市・平林の兵士王匡等と、軍を合わせて棘陽を攻む。〉莽、王尋・王邑を遣わして更始を撃たしむ。二人、兵を昆陽に敗る。漢兵、遂に城中に入る。人皆な降る。莽、漸台に走り、室中の北隅に蔵る。間、校尉孫賓就、莽を斬る。遂に首を伝えて宛の更始に詣らしむ。
現代語訳
東都太守の翟義が反して、敗れて死んだ。〈翟義は丞相翟方進の子である。任地で劉信を立てて天子とした。〉王莽は自分の威と徳がついに盛んになり、天と人の助けを得たと思った。銅の箱に入った天命の符を用いて、ついに真の帝位についた。〈梓潼の人哀章が銅の箱の符命を献上した。〉その九年、赤眉の賊が起こった。〈瑯邪の女、呂母が子のために仇を討った。仲間は次第に増え、赤眉の賊と呼ばれた。〉十四年、世祖が兵を起こし、王匡らとともに劉聖公を立てて更始皇帝とした。〈更始は世祖の族兄である。世祖と兄の伯升は新市・平林の兵士王匡らと軍を合わせて棘陽を攻めた。〉王莽は王尋と王邑を派遣して更始を撃たせた。二人は昆陽で敗れた。漢の兵は城中に入り、人々はみな降った。王莽は漸台へ走り、部屋の北の隅に隠れた。ほどなく校尉の孫賓就が王莽を斬った。そして首を宛の更始のもとへ送った。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』覇図赤眉の賊、函関に入り、更始を攻む。世祖、鄧禹を遣わして兵を引きて西し、以て更始・赤眉の乱に乗ぜしむ。〈赤眉の賊樊崇、劉盆子を立てて天子と為し、長安に入り、更始を殺し、関中を寇掠す。〉是に於て諸将、尊号を上る。乃ち有司に命じて壇を鄗南の千秋亭五成陌に設けしめ、皇帝の位に即く。〈諸将、上奏して曰く「漢、王莽に遭い、宗廟廃絶し、豪傑憤怒し、兆人塗炭たり。王と伯升と、首めに義兵を挙ぐ。更始、其の資に因りて以て帝位に拠るも、大統を奉承する能わず、而して綱紀を敗乱し、盗賊日に多く、群生危蹙たり。大王、初め昆陽を征して、王莽自ら潰え、後に邯鄲を抜きて、北州弭定し、天下を三分して其の二を有つ。州に跨がり土に拠り、帯甲百万。武力を言えば則ち之に敢えて抗する莫く、文徳を論ずれば則ち与に辞する所無し。臣聞く、帝王は以て久しく曠しくす可からず、天下は以て謙拒す可からず、と。唯だ大王、社稷を以て計と為し、万姓を以て心と為せ」と。又た彊華、関中より赤伏符を奉じて曰く「劉秀、兵を発して不道を捕らう。四夷雲のごとく聚まり龍、野に闘う。四七の際、火、主と為る」と。然る後に皇帝の位に即く。〉
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『長短経』覇図哀帝崩ず。時に莽、侯を以て第に在り。太皇太后、莽をして喪事を佐け備えしむ。〈太皇太后は、元帝の皇后なり。〉復た大司馬と為る。徴して中山王を立てて帝と為す。〈即ち平帝。帝の名は衍、中山王と為る。即ち孝王の子なり。〉太皇太后、朝に臨み、莽、政を秉る。百官、己を総べて以て莽に聴く。〈順に附く者は抜擢し、忤い恨む者は誅滅す。王尋・王邑を以て腹心と為し、甄豊・甄邯、撃断を主り、平晏、枢機を典り、劉歆、文章を典り、孫建、爪牙と為る。皆な才能を以て並びに顕職に任ず。莽、色厲しくして言方し。為す所有らんと欲すれば、微かに風采を見わす。党与、意を承けて之を顕奏す。莽、因りて固く譲り、已むを得ざるを示し、上は以て太后を感ぜしめ、下は以て信を衆庶に取る。越裳氏、重訳して白雉一、黒雉二を献ず。莽、益州をして群臣を諷せしめ、奏して莽の功徳は周公に比す、宜しく安漢公の号を賜うべしと言わしむ。〉平帝崩ず。莽、宣帝の玄孫広成侯の子嬰を徴して之を立つ。年三歳。遂に居摂を謀ること、周公の故事の如し。〈時に元帝の統絶ゆ。宣帝の曽孫五人あり。莽、其の長ずる者を悪み、託するに卜相の宜しく吉なるを以てし、乃ち嬰を立つるなり。〉
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『長短経』覇図十月、駕、東のかた洛陽に幸す。赤眉降る。〈大司徒鄧禹・馮異・劉弘等、赤眉を征す。異曰く「異、前に与に華陰に拒ぐこと、数十日を経たり。屢しば雄将を獲ると雖も、余衆尚お多し。稍く恩信を以て傾誘す可し。卒かに兵を用いて破り難きなり。上、今、諸将をして澠池に屯して、其の東を要せしめ、異、兵を以て其の西を撃たば、一挙にして之を取らん。此れ万成の計なり」と。禹・弘、従わず。遂に大いに戦う。赤眉、佯り敗れ、輜重を棄てて走る。車は皆な土を載せ、豆を以て其の上を覆う。兵士、飢えて、争いて之を取る。赤眉、引き還して弘等を撃つ。弘等の軍、潰乱す。異と禹と之を救う。赤眉、小しく却く。異、壁に帰り、期を約して会戦す。異、壮士をして服色を変じて赤眉と同じくせしめ、道の側に伏せしむ。旦日、赤眉、万人をして異の前部を攻めしむ。異、裁かに兵を出だして之を救う。賊、勢いの弱きを見て、遂に衆を悉くして異を攻む。異、兵を縦ちて大いに戦う。日昃き、賊の気衰う。伏兵、卒かに起こり、衣服相い乱る。赤眉、復た識らず、遂に驚き潰ゆ。赤眉の君臣、面縛して皇帝の璽綬を奉じて世祖に降る。〉隗囂を平らげ、公孫述を滅ぼし、天下大いに定まる。南宮に崩ず。時に年六十三。〈世祖の初め兵を起こすや、時に年二十八。〉
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『長短経』覇図新市の人王匡等、劉聖公を立てて天子と為し、伯升を害す。〈劉玄、字は聖公、世祖の族兄なり。吏を平林に避く。王匡等、之を立つ。初め、伯升は王莽の漢を簒いしより、常に憤憤として社稷を匡復するの慮を懐く。家人の居業を事とせず、身を傾け産を破りて、天下の雄俊を交結す。王莽の末、盗賊群れ起こる。伯升、諸豪傑を召して計議す。是に於て親客鄧晨をして新野に起こらしめ、世祖・李軼、宛に起こり、伯升、舂陵に発し、子弟七八千人、賓客を部署し、自ら柱天都部と称す。劉嘉をして新市・平林の兵の王匡・陳牧等を誘いて軍を合わせて進ましめ、長聚を屠る。諸将、劉氏を立てて、以て人望に従わんことを議す。豪傑、咸な伯升に帰せんと欲す。而して新市・平林の将帥は放縦を楽しみ、伯升の威明を憚り、聖公の懦弱なるを貪り、先ず策を定めて之を立て、然る後に伯升を召して其の議を示す。
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『長短経』覇図更始と号し、便ち世祖を偏将軍と為し、昆陽を徇えしむ。王莽、漢帝立つと聞き、大いに懼る。大司徒王尋・大司空王邑を遣わし、兵百万を将いて、世祖を昆陽に撃たしむ。世祖、之を破る。〈初め、伯升、宛を抜きて已に三日なるも、世祖は尚お未だ知らず。乃ち偽りて人をして書を持ちて城中に報ぜしむ「宛下の兵到る」と。而して佯りて其の書を堕とす。尋・邑、之を得て、喜ばず。諸将、既に屢々捷を経て、胆気益々壮んに、一を以て百に当たらざる無し。世祖、乃ち敢死の者三千人と、城の西より出で、中堅を衝く。尋・邑、陳乱る。鋭に乗じて之に奔り、遂に王尋を殺す。莽の兵、大いに潰ゆ。走る者、自ら相い騰践し、奔り殪るること百余里。間、大雷風に会い、雨、下ること注ぐが如し。滍水盛んに溢れ、虎豹皆な戦慓し、溺死する者万を以て数え、水、之が為に流れず。〉
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『長短経』覇図偽新室の王莽なる者は、成帝の舅王曼の子、元帝の王皇后の姪なり。元帝崩じ、成帝即位し、元舅の鳳を以て大司馬と為す。兄弟五人、皆な侯と為る。〈元帝の皇后は、魏郡王禁の女なり。成帝を生む。時に鳳、政を秉る。同日に兄弟五人を封じて五侯と為す。〉曼、早く卒す。鳳、将に薨ぜんとし、莽を以て太后に託す。〈太后は、莽の姑なり。〉封じて新都侯と為す。五侯、競いて僭を為し、起ちて第舎を治む。莽、幼くして孤にして貧し。独り節を折りて恭謹なり。当世の名士、多く莽の為に言う。上、是に由りて之を賢とし、拝して侍中と為す。〈莽、□相と結交し、名士を収贍し、賓客に賑施す。故に虚誉隆洽して、其の諸父を傾熾せり。〉時に、成帝、許后を廃して趙飛燕を立つ。飛燕の女弟、昭儀と為る。昭儀、後宮の皇太子を害す。帝、嗣無し。乃ち定陶王欣を立てて皇太子と為す。〈欣は、宣帝の孫、成帝の弟の子なり。初め、王の祖母傅太后、陰かに王の為に漢の嗣と為らんことを求め、私かに趙皇后・昭儀及び帝の舅王鳳に事う。故に之を立つるを勧む。〉