長短経 / 覇図
晉帝加髙祖位相國、總百揆、揚州牧、封十郡、為宋公。晉安帝崩、大司馬瑯琊王即位、徴帝入輔、禪位於宋〔帝奉表陳譲表不獲通。宋臺臣勸進、猶不許。太史令駱達陳天文符應曰、按晉至太白晝見經天。凡七占、曰、『太白晝經天、人更主、異姓興。』五虹見於東方。占曰、『五虹見、天子黜、聖人出。』九年、鎮星、嵗星、太白、熒惑聚於東井。十三年、鎮星入太微占曰、『鎮星守太微有立王、有徙王。』黒龍四登於天、《易傳》曰、『冬龍見、天子亡社稷、大人受命。』漢建武至建安末一百九十六年而禪魏、魏自黄初至咸熙末四十六年而禪晉、晉自太始至今百五十六年。三代揖讓、咸窮於六六亢位也。」帝乃從之。〕
新字:晋帝加高祖位相国、総百揆、揚州牧、封十郡、為宋公。晋安帝崩、大司馬瑯琊王即位、徴帝入輔、禅位於宋〔帝奉表陳譲表不獲通。宋台臣勧進、猶不許。太史令駱達陳天文符応曰、按晋至太白昼見経天。凡七占、曰、『太白昼経天、人更主、異姓興。』五虹見於東方。占曰、『五虹見、天子黜、聖人出。』九年、鎮星、歳星、太白、熒惑聚於東井。十三年、鎮星入太微占曰、『鎮星守太微有立王、有徙王。』黒竜四登於天、《易伝》曰、『冬竜見、天子亡社稷、大人受命。』漢建武至建安末一百九十六年而禅魏、魏自黄初至咸熙末四十六年而禅晋、晋自太始至今百五十六年。三代揖譲、咸窮於六六亢位也。」帝乃従之。〕
書き下し
晋帝、高祖に位を加えて相国と為し、百揆を総べ、揚州牧、十郡を封じて、宋公と為す。晋の安帝崩じ、大司馬瑯琊王即位す。帝を徴して入りて輔けしめ、位を宋に禅る。〈帝、表を奉じて譲を陳ぶるも、表、通ずるを獲ず。宋台の臣、進むを勧むるも、猶お許さず。太史令駱達、天文の符応を陳べて曰く「晋を按ずるに太白、昼に見れて天を経たるに至る。凡そ七占して曰く『太白、昼に天を経れば、人、主を更め、異姓興る』と。五虹、東方に見る。占じて曰く『五虹見れば、天子黜けられ、聖人出づ』と。九年、鎮星・歳星・太白・熒惑、東井に聚まる。十三年、鎮星、太微に入る。占じて曰く『鎮星、太微を守れば、王を立つる有り、王を徙す有り』と。黒龍四たび天に登る。易伝に曰く『冬に龍見れば、天子、社稷を亡い、大人、命を受く』と。漢は建武より建安の末に至る一百九十六年にして魏に禅り、魏は黄初より咸熙の末に至る四十六年にして晋に禅り、晋は太始より今に至る百五十六年なり。三代の揖譲、咸な六六亢位に窮まるなり」と。帝、乃ち之に従う。〉
現代語訳
晋帝は高祖の位を相国に上げ、すべての政務を総べさせ、揚州牧とし、十郡を封じて宋公とした。晋の安帝が崩じ、大司馬瑯琊王が即位した。高祖を召して入って輔けさせ、位を宋に禅った。〈高祖は上表して辞退したが、上表は取り次がれなかった。宋の台臣が即位を勧めたが、まだ許さなかった。太史令の駱達が天文の符合を述べた。「晋を調べると、金星が昼に現れて天を横切ることがありました。七つの占いがあり『金星が昼に天を横切れば、人が主を替え、異姓が興る』とあります。五色の虹が東に現れた。占いに『五色の虹が現れれば、天子は退けられ、聖人が出る』とあります。九年、土星・木星・金星・火星が東井に集まった。十三年、土星が太微に入った。占いに『土星が太微を守れば、王を立てることがあり、王を移すことがある』とあります。黒い龍が四度天に登った。易伝に『冬に龍が現れれば、天子は国家を失い、大いなる人が天命を受ける』とあります。漢は建武から建安末まで百九十六年で魏に禅り、魏は黄初から咸熙末まで四十六年で晋に禅り、晋は太始から今まで百五十六年です。三代の譲り合いは、みな六六の極まる位で尽きます」。高祖はそこでこれに従った。〉
解説

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『長短経』三国権曹氏は義を率いて乱を撥め、代々其の功を載す。文帝の時に至りて、天人能に与す。遂に漢の禅りを受く。〔劉廙、勧進して曰く「臣聞く、符命は虚しく見れず、衆心は違うべからず、と。故に孔子曰く『周公は其れ聖ならざるか。天下を以て譲るは、是れ天地日月の軽々しく其の万物を去るなり』と。是を以て舜は天下を享くるに、拝せずして受く。今、火徳の気尽き、炎上の数終わる。帝は明徳に遷り、祚は大魏に隆んなり。符瑞昭晢にして命を受くること既に固し。光天の下、神人同じく応ず。有虞の儀鳳、周の躍魚有りと雖も、之を今の事に方ぶるに、未だ喩えと為すに足らず。而るに陛下は天命に違いて以て小行を飾り、人心に逆らいて以て私志を守る。上は皇穹の眷みる旨に忤い、中は聖人の達節の数を忘れ、下は人臣の翹首の望みに孤く。聖道を高衢に揚げ、無窮の懿勲を垂るる所以に非ざるなり。臣等聞く、君に事うるに可を献じ否を替うるの道有り、上に奉ずるに逆鱗固争の義有り、と。臣等敢えて死を以て請う」と。
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