長短経 / 七雄略
〔白起將兵來伐楚、楚襄王使黄歇説秦昭王曰、「天下莫强於秦、楚、今則聞大王欲伐楚、此猶兩虎相與鬬、而駑犬受其弊、不如善楚。臣請言其説、臣聞之、物至則反、冬夏是也、智至則危、累碁是也。今大國之地、半天下、有三垂、此從生人已來、萬乗之地未嘗有也。王若能持公守威、黜攻伐之心、肥仁義之德、則三王不足四、五覇不足六也、王若負人徒之衆、挾兵革之强、欲以力臣天下之主臣恐其有患也。《詩》云、『靡不有初、鮮克有終。』《易》曰、『狐涉水、濡其尾。』此言始之易而終之難也。
新字:〔白起将兵来伐楚、楚襄王使黄歇説秦昭王曰、「天下莫強於秦、楚、今則聞大王欲伐楚、此猶両虎相与闘、而駑犬受其弊、不如善楚。臣請言其説、臣聞之、物至則反、冬夏是也、智至則危、累碁是也。今大国之地、半天下、有三垂、此従生人已来、万乗之地未嘗有也。王若能持公守威、黜攻伐之心、肥仁義之徳、則三王不足四、五覇不足六也、王若負人徒之衆、挟兵革之強、欲以力臣天下之主臣恐其有患也。《詩》云、『靡不有初、鮮克有終。』《易》曰、『狐渉水、濡其尾。』此言始之易而終之難也。
書き下し
〈白起、兵を将いて来たりて楚を伐つ。楚の襄王、黄歇をして秦の昭王に説かしめて曰く「天下、秦・楚より強きは莫し。今、則ち聞く、大王、楚を伐たんと欲すと。此れ猶お両虎相い与に闘いて、駑犬、其の弊を受くるがごとし。楚を善くするに如かず。臣請う、其の説を言わん。臣、之を聞く、物、至れば則ち反る。冬夏、是なり。智、至れば則ち危うし。累碁、是なり。今、大国の地は、天下に半ばし、三垂を有つ。此れ生人より已来、万乗の地、未だ嘗て有らざるなり。王、若し能く公を持し威を守り、攻伐の心を黜け、仁義の徳を肥やさば、則ち三王も四とするに足らず、五覇も六とするに足らざるなり。王、若し人徒の衆きを負み、兵革の強きを挟み、力を以て天下の主を臣とせんと欲せば、臣、其の患い有らんことを恐るるなり。詩に云う『初め有らざるは靡し。克く終わり有るは鮮し』と。易に曰く『狐、水を渉り、其の尾を濡らす』と。此れ始めの易くして終わりの難きを言うなり。
現代語訳
〈白起が兵を率いて楚を伐ちに来た。楚の襄王は黄歇に秦の昭王へ説かせた。「天下に秦と楚より強い国はない。いま大王が楚を伐とうとしていると聞く。これは二頭の虎が争って、駄犬がその疲れに乗じるようなものです。楚と仲良くするに越したことはない。その説を申し上げます。私が聞くところでは、物は極まれば反転する。冬と夏がそれです。智が極まれば危うい。碁石を積み上げるのがそれです。いま大国の土地は天下の半ばを占め、三方を保っている。人が生まれて以来、万乗の国でこれほどの土地はなかった。王がもし公平を保ち威を守り、攻め伐つ心を退け、仁義の徳を肥やせば、三王に加えて四人目でも足りず、五覇に加えて六人目でも足りません。王がもし人の多さを頼み、武力の強さを恃んで、力で天下の主を臣にしようとすれば、私は患いがあることを恐れます。詩に『初めのない者はいない。よく終われる者は少ない』とあり、易に『狐が水を渡って尾を濡らす』とあります。始めは易しく終わりは難しいということです。
解説
この章句が説くこと
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『新序』善謀第九楚黃歇を秦に使いせしむ。秦の昭王白起をして韓・魏を攻めしむ。韓・魏服して秦に事う。昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとす。黃歇適ミ至り、其の計を聞く。是の時秦已に白起をして楚を攻め數縣を取らしむ。楚の頃襄王東に徙る。黃歇書を秦の昭王に上る。秦をして遠く楚に交わりて韓・魏を攻めしめ、以て楚を解かんと欲す。其の書に曰く、天下秦・楚より强きは莫し。今王楚を伐たんと欲すと聞く。此れ猶お兩虎相い與に鬭うがごとし。兩虎相い與に鬭いて駑犬其の弊を受くるなり。楚を善くするに如かず。臣請う其の說を言わん。臣之を聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。高きを致せば則ち危うし、棊を累ぬる是れなり、と。今大國の地は天下に徧く、其の二垂を有つ。此れ生民より以來、萬乘の地、未だ嘗て有らざるなり。今王盛橋をして韓に守事せしむ。盛橋其の地を以て秦に入る。是れ王甲を用いず威を信べずして、百里の地を得るなり。王能くすと謂う可し。王又た甲を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜ぎ、河内を舉げ、燕・酸棗・虚桃を攻め、邢に入る。魏の兵雲翔して敢えて救わず。王の功も亦た多し。王甲を休め衆を息わしめ、二年にして之を復す。滿・衍・首・垣を取り、以て仁・平丘・黃・濟陽・甄城に臨む有り。而して魏氏服す。王又た濮・歷の北を割き、之を秦齊の要に注ぎ、楚・趙の脊を絶つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢えて相い救わず。王の威も亦た單くせり。
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史記 春申君列伝春申君は、楚人なり、名は歇、姓は黄氏。游学博聞、楚の頃襄王に事ふ。秦の昭王白起をして楚を攻めしむ。頃襄王黄歇をして秦の昭王に説かしむ。歇書を上りて曰く、「天下秦楚より彊きは莫し。今大王楚を伐たんと欲すと聞く、此れ猶ほ両虎相ひ与に鬬ふがごとし。両虎相ひ与に鬬ひて駑犬其の獘を受く、楚を善くするに如かず。臣聞く、物至れば則ち反る、冬夏是なり。致(きわ)め至れば則ち危し、累棋是なり。今大国の地、天下に遍く其の二垂を有つ、此れ生民より已来、万乗の地未だ嘗て有らざるなり」と。昭王曰く、「善し」と。是に於いて乃ち白起を止めて韓魏に謝す。使を発して楚に賂し、約して与国と為す。
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『長短経』七雄略臣、王の為に慮るに、楚を善くするに若くは莫し。楚・秦合して一と為り以て韓に臨まば、韓必ず手を歛めん。王、施すに山東の険を以てし、帯ぶるに河曲の利を以てせば、韓は必ず関内侯と為らん。是くの若くして、王、十万を以て鄭を戍らば、梁の人、心を寒からしめん。許・鄢・陵・嬰、城して、上蔡・召陵、往来せざらん。是くの如くんば、魏も亦た関内侯と為らん。王、楚を善くして、両万乗の主を関内侯とし、地を斉に注がば、斉の右壌、手を拱きて取る可きなり。然る後に燕・趙を危動し、斉・楚を揺蕩せば、此の四国なる者、痛むを待たずして服せん」と。秦王曰く「善し」と。止めて楚を伐たず。
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戦国策・頃襄王二十年頃襄王二十年、秦の白起楚の西陵を拔き、或は鄢・郢・夷陵を拔き、先王の墓を燒く。王東北に徙り、陳城に保つ、楚遂に削弱し、秦の輕んずる所と爲る。是に於て白起又兵を將ゐて來り伐たんとす。楚人に黃歇なる者有り、游學博聞、襄王以て辯と爲す、故に秦に使す。昭王に說きて曰く、「天下秦・楚より強きは莫し、今大王楚を伐たんと欲すと聞く、此れ猶ほ兩虎相鬥ひて駑犬其の弊を受くるがごとし、楚に善くするに如かず。臣請ふ其の說を言はん。臣之を聞く、『物至れば反る、冬夏是れなり。致りて至れば危ふし、累碁是れなり』と。今大國の地天下に半ばし、二垂有り、此れ生民以來、萬乘の地未だ嘗て有らざるなり。先帝文王・莊王、王の身、三世にして齊に地を接せず、以て從親の要を絕つ。今王三たび盛橋をして韓に事を守らしめ、成橋以北燕に入る。是れ王甲を用ゐず、威を伸べずして、百里の地を出だす、王能と謂ふ可し。王又甲兵を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜(ふさ)ぎ、河內を舉げ、燕・酸棗・虛・桃人を拔き、楚・燕の兵云翔して敢へて校せず、王の功亦た多し。王眾を申息すること二年、然る後之を復し、又蒲・衍・首垣を取り、以て仁・平兵に臨み、小黃・濟陽城を嬰(めぐ)らし、魏氏服せり。王又濮・磨の北を割きて之を燕に屬し、齊・秦の要を斷ち、楚・魏の脊を絕つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢へて救はず、王の威亦た憚らる。王若し能く功を持し威を守り、攻伐の心を省きて仁義の誡を肥やし、復た後患無からしめば、三王も四に足らず、五伯も六に足らざらん。「王若し人徒の眾きを負み、兵甲の強きを材とし、壹に魏氏の威を毀ちて、力を以て天下の主に臣たらしめんと欲せば、臣恐らくは後患有らん。詩に云ふ、『初め有らざる靡く、克く終り有ること鮮し』と。易に曰く、『狐其の尾を濡らす』と。此れ始の易くして、終の難きを言ふなり。何を以て其の然るを知るや。智氏趙を伐つの利を見て、榆次の禍を知らざりき。吳齊を伐つの便を見て、干隧の敗を知らざりき。此の二國は、大功無きに非ざるなり、利を前に設けて、患を後に易くするなり。呉の越を信ずるや、從ひて齊を伐ち、既に齊人に艾陵に勝ちしも、還りて越王の爲に三江の浦に禽にせられたり。智氏韓・魏を信じ、從ひて趙を伐ち、晉陽の城を攻め、勝つこと日有らんとせしに、韓・魏之に反き、智伯瑤を鑿臺の上に殺せり。今王楚の毀たれざるを妒みて、楚を毀ちて魏を強くするを忘る。臣大王の爲に慮りて取らざるなり。詩に云ふ、『大武は遠宅に涉らず』と。此より之を觀れば、楚國は、援なり。鄰國は、敵なり。詩に云ふ、『他人心有り、予之を忖度す。躍躍たる毚兔、犬に遇ひて獲らる』と。今王中道にして韓・魏の王を善くするを信ず、此れ正に呉の越を信ずるなり。臣聞く、敵は易(あなど)る可からず、時は失ふ可からず、と。臣恐らくは韓・魏の辭を卑くして患を慮るは、實に大國を欺くならん。此れ何ぞや。王既に重世の德韓・魏に無くして、累世の怨有ればなり。韓・魏の父子兄弟踵を接して秦に死する者、百世なり。本國殘れ、社稷壞れ、宗廟隳(こぼ)たれ、腹を刳られ頤を折られ、首身分離し、骨を草澤に暴し、頭顱僵仆し、相ひ境に望み、父子老弱係虜せられて、相ひ路に隨ひ、鬼神狐祥食する所無く、百姓聊生せず、族類離散し、流亡して臣妾と爲る者、海內に滿つ。韓・魏の亡びざるは、秦社稷の憂ひなり。今王の楚を攻むる、亦た失(あやま)たざらんや。是れ王楚を攻むるの日、則ち惡(いづ)くにか兵を出ださん。王將に路を仇讎の韓・魏に藉らんとするか。兵出づるの日にして王其の反らざるを憂へば、是れ王兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に藉らずんば、必ず陽・右壤を攻めん。陽・右壤に隨へば、此れ皆廣川大水、山林谿谷の不食の地なり、王之を有すと雖も、地を得たりと爲さず。是れ王楚を毀つの名有りて、地を得るの實無きなり。「且つ王楚を攻むるの日、四國必ず應じて悉く起ちて王に應ぜん。秦・楚の構へて離れざるに、魏氏將に兵を出だして留・方與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めんとし、故宋必ず盡きん。齊人南面し、泗北必ず舉げん。此れ皆平原四達、膏腴の地なり、而して王之をして獨り攻めしむ。王楚を破りて以て韓・魏を中國に肥やして齊を勁からしめば、韓・魏の強きは以て秦に校するに足らん。齊南は泗を以て境と爲し、東は海を負ひ、北は河に倚りて、後患無し、天下の國、齊より強きは莫し。齊・魏地を得て利を葆(たも)ち、詳らかに下吏に事へしめば、一年の後、帝と爲ること未だ能はざるが若きも、以て王の帝と爲るを禁ずるに餘り有らん。夫れ王の壤土の博きを以て、人徒の眾きを以て、兵革の強きを以て、一たび眾を舉げて地を楚に注ぎ、令を韓・魏に詘し、帝の重きを齊に歸せしむるは、是れ王の計を失ふなり。「臣王の爲に慮るに、楚に善くするに如くは莫し。秦・楚合して一と爲り、臨むに韓を以てせば、韓必ず首を授けん。王襟とするに山東の險を以てし、帶とするに河曲の利を以てせば、韓必ず關中の候たらん。是くの若くならば、王十を以て鄭を成し、梁氏心を寒くし、許・鄢陵城を嬰らし、上蔡・召陵往來せざらん。此くの如くならば、魏も亦た關內の候たらん。王一たび楚に善くせば、關內の二萬乘の主齊に地を注ぎ、齊の右壤拱手して取る可し。是れ王の地一に兩海を任じ、天下を要絕するなり。是れ燕・趙齊・楚無くんば、燕・趙無きなり。然る後燕・趙を危動し、齊・楚を持せば、此の四國は、痛みを待たずして服せん。」
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『長短経』七雄略虎賁の士、百有余万、車千乗、騎万匹、粟は丘山の如し。法令既に明らかにして、士卒安楽す。主は明にして以て厳、将は智にして以て武なり。甲を出だす無しと雖も、常山の険を席巻し、必ず天下の脊を折らん。天下の後に服する者は先ず亡びん。且つ夫れ縦を為す者は、以て群羊を駆りて猛虎を攻むるに異なる無し。虎と羊と、格せざること明らかなり。今、王、虎と与にせずして群羊と与にす。臣、竊かに以為えらく大王の計、過てり。凡そ天下の強国は、秦に非ずんば楚、楚に非ずんば秦なり。両国交々争い、其の勢い両立せず。大王、秦と与にせずんば、秦、甲を下して宜陽に拠らば、韓の上地通ぜず。兵を河東・成皋に下さば、韓、必ず入りて臣たらん。則ち梁も亦た風に従いて動かん。秦、楚の西を攻め、韓、其の北を攻めば、社稷、安くんぞ危うき無きを得んや。臣聞く『兵、如かざる者は、与に挑戦する勿かれ。粟、如かざる者は、与に持久する勿かれ』と。
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『長短経』七雄略大王、誠に能く臣に聴かば、臣請う、山東の国をして、四時の献を奉じて、以て大王の明詔を承け、社稷を委ね、宗廟を奉じ、士を陳ね兵を厲まし、大王の之を用うる所に在らしめん。故に縦合すれば則ち楚王たり、横成れば則ち秦帝たり。今、覇王の業を釈てて、人に事うるの名有り。竊かに大王の為に取らざるなり。夫れ秦は、虎狼の国なり。天下を呑むの心有り。秦は、天下の仇讐なり。衡人は皆な諸侯の地を割きて以て秦に事えんと欲す。此れ所謂仇を養いて讐に奉ずるなり。大逆不忠、此に過ぐるは無し。故に従親すれば則ち諸侯は地を割きて以て楚に事え、衡合すれば則ち楚は地を割きて以て秦に事う。此の両策は相い去ること遠し。二者、大王、何くに居らんや。故に敝邑の趙王、臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ。大王の詔に在り」と。楚王曰く「善し。謹みて社稷を奉じて以て従わん」と。