長短経 / 政体
故仲長子曰、“昔秦用商君之法、張彌天之網。然陳渉大呼於沛澤之中、天下響應。人不為用者、怨毒結於天下也。”桓範曰、“桀、紂之用刑也、或脯醢人肌肉、或刳割人心腹、至乃叛逆衆多、卒用傾危者、此不用仁義為本者也。”故曰、“仁者、法之恕、義者、法之斷也。是知仁義者乃刑之本。故孫子曰、“令之以文、齊之以武、是謂必取。”此之謂矣。〕
新字:故仲長子曰、“昔秦用商君之法、張弥天之網。然陳渉大呼於沛沢之中、天下響応。人不為用者、怨毒結於天下也。”桓範曰、“桀、紂之用刑也、或脯醢人肌肉、或刳割人心腹、至乃叛逆衆多、卒用傾危者、此不用仁義為本者也。”故曰、“仁者、法之恕、義者、法之断也。是知仁義者乃刑之本。故孫子曰、“令之以文、斉之以武、是謂必取。”此之謂矣。〕
書き下し
故に仲長子曰く「昔、秦は商君の法を用い、弥天の網を張る。然れども陳渉、沛沢の中に大呼して、天下響応す。人の用を為さざる者は、怨毒、天下に結ばるればなり」と。桓範曰く「桀・紂の刑を用うるや、或いは人の肌肉を脯醢し、或いは人の心腹を刳割す。乃ち叛逆衆多に至り、卒に傾危を用うる者は、此れ仁義を用いて本と為さざる者なり」と。故に曰く「仁なる者は法の恕なり。義なる者は法の断なり」と。是れ仁義なる者は乃ち刑の本なるを知る。故に孫子曰く「之を令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是れを必取と謂う」と。此れ之を謂うなり。〕
現代語訳
だから仲長子はこう言った。「昔、秦は商鞅の法を用い、天をおおう網を張った。それでも陳勝が沛の沢のなかで大声を上げると、天下は響き合うように応じた。人が用をなさなかったのは、怨みの毒が天下に結ばれていたからである」。桓範はこう言った。「桀や紂の刑罰の用い方は、人の肉を干し肉や塩漬けにし、人の腹を割いた。ついに謀反する者が多くなり、最後には国が傾いた。これは仁義を本としなかったからである」。だからこう言う。「仁とは法における思いやりであり、義とは法における決断である」。だから仁義こそが刑罰の本だと分かる。だから孫子はこう言った。「文によって命令し、武によって揃える。これを必ず取ると言う」。まさにこのことである。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』政体尸子に曰く「徳なる者は、天地万物の得なり。義なる者は、天地万物の宜なり。礼なる者は、天地万物の体なり。天地万物をして皆な其の宜を得、其の体に当たらしむ、之を大仁と謂う」と。文子曰く「夫れ人に廉恥無ければ、以て治む可からず。礼義を知らざれば、以て法を行う可からず。法は能く人を殺すも、人をして孝悌ならしむる能わず。能く盗を刑するも、人をして廉恥有らしむる能わず。故に聖王上に在りて、好悪を明らかにして以て之を示し、非誉を経して以て之を導き、賢を親しみて之を進め、不肖を賤しみて之を退く。刑措きて用いず、礼義修まりて任ずるに賢を得るなり」と。又た曰く「夫れ義なる者は、能く尽く天下を利する者に非ざるなり。一人を利して天下従う。暴なる者は、能く尽く海内を害する者に非ざるなり。一人を害して天下叛く。故に挙措廃置は、審らかにせざる可からざるなり」と。〕
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『長短経』政体袁子曰く「夫れ仁義礼智なる者は法の本なり。法令刑罰なる者は治の末なり。本無き者は立たず、末無き者は成らず。何となれば、夫れ礼教の法は、之に先んずるに仁義を以てし、之に示すに礼譲を以てし、之をして善に遷らしめ、日用して知らず。儒者、其の此くの如きを見て、因りて国を治むるに刑法を須たずと為す。刑法、下に承けて、而る後に仁義、上に興るを知らざるなり。法令なる者は、善を賞し淫を禁じ、理に居るの要なり。商・韓、其の此くの如きを見て、因りて曰く、国を治むるに仁義を待ちて体と為さず、故に法令、下に行わるると。故に刑法有りて仁義無ければ則ち人怨む。怨めば則ち怒るなり。仁義有りて刑法無ければ則ち人慢る。慢れば則ち姦起こるなり。之を本づくるに仁を以てし、之を成すに法を以てし、両道をして偏重無からしむれば、則ち治の至りなり」と。
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『長短経』反経〔議に曰く、国を理むるの要は、仁義賞罰、此れ其の大略なり。然れども用うるに其の宜しきを失えば、反って以て害と為る。故に反経一章を著して以て之を明らかにするなり。〕臣聞く、三代の亡ぶるは、法の亡ぶるに非ざるなり。法を御する者、其の人に非ざればなり。故に知る、法なる者は先王の陳迹なり。苟くも其の人に非ざれば、道は虚しく行われず。故に尹文子曰く「仁義礼楽、名法刑賞、此の八者は、五帝三王治世の術なり」と。故に仁なる者は、物に博く施す所以にして、亦た偏私を生ずる所以なり。
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『長短経』政体成す可からざるを為さざるは、人力を量るなり。〔文子曰く「夫れ債少なければ償い易きなり。職寡なければ守り易きなり。任軽ければ勧め易きなり。上、操ること約少なれば、下、効すこと為し易きの功なり。是を以て君と為り臣と為り、久しくして相い厭わざるなり。末世の法は、高く量を為して罪、及ばず、重く任を為して罰、勝えず、危うく難を為して誅、敢えてせず。人、三責に困しめば、即ち智を飾りて以て上を詐る。峻法厳刑と雖も、其の姦を禁ずる能わざるなり」と。新語に曰く「秦の始皇、刑法を設け、車裂の誅を為し、城域を築きて以て呉越に備う。事愈いよ煩わしくして、下愈いよ乱る。法愈いよ衆くして、姦愈いよ縦なり。秦、治めんと欲せざるに非ざるなり。然れども之を失う者は、挙措太だ衆く、刑罰太だ極まる故なり」と。〕
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『商君書』画策故に曰く、仁者は能く人に仁なるも、而も人をして仁ならしむること能わず。義者は能く人を愛するも、而も人をして愛せしむること能わず、と。是を以て仁義の以て天下を治むるに足らざるを知るなり。聖人は必信の性有り、又た天下をして信ぜざるを得ざらしむるの法有り。所謂る義なる者は、人臣と為りては忠、人子と為りては孝、少長に禮有り、男女に別有り、その義に非ざれば、饑うるも苟くも食らわず、死すとも苟くも生きず。これ乃ち法有るの常なり。聖王なる者は、義を貴ばずして法を貴ぶ——法は必ず明らかに、令は必ず行わるれば、則ち已む。
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『淮南子』泰族訓故に仁義なる者は、治の本なり。今 其の本を修むるを事とするを知らずして、其の末を沼くするに務むるは、是れ其の根を釋てて其の枝に灌ぐなり。且つ法の生ずるや、以て仁義を輔く。今 法を重んじて義を棄つるは、是れ其の冠履を貴びて其の頭足を忘るるなり。故に仁義なる者は、厚基を爲す者なり。其の厚きを益さずして其の廣きを張る者は毀れ、其の基を廣めずして其の高きを增す者は覆る。趙政 其の德を增さずして其の高きを累ぬ。故に滅ぶ。智伯 仁義を行わずして地を廣むるに務む。故に其の國を亡ぼす。