長短経 / 囲師
孫子曰、“圍師必闕。”何以明之?黄巾賊韓忠據宛、朱儁張超圍之。結壘起土山以臨城、因鳴鼓攻其西南、賊悉衆赴之、乃掩其東北、乘城而入。忠退保小城、乞降、諸將欲聴之。儁曰、“兵有形同而勢異者。昔秦項之際、民無定主、故賞附以勸來耳。今海内一統、惟黄巾造寇、納降無以勸善、討之足以懲惡今若受之、更開逆意。賊利則進戰、鈍則乞降、縱敵長寇、非良計也。”因急攻之、不克。儁登土山、顧謂張超曰、“吾知之矣。賊今外圍周固、連營逼急、乞降不受、欲出不得、所以死戰也。萬人一心、猶不可當、况十萬乎?其害甚矣!不如徹圍、并兵入城、忠見解圍、勢必自出、出則意散、易破之道也。”既而解圍、忠果出戰、遂破忠等。
新字:孫子曰、“囲師必闕。”何以明之?黄巾賊韓忠拠宛、朱儁張超囲之。結塁起土山以臨城、因鳴鼓攻其西南、賊悉衆赴之、乃掩其東北、乗城而入。忠退保小城、乞降、諸将欲聴之。儁曰、“兵有形同而勢異者。昔秦項之際、民無定主、故賞附以勧来耳。今海内一統、惟黄巾造寇、納降無以勧善、討之足以懲悪今若受之、更開逆意。賊利則進戦、鈍則乞降、縦敵長寇、非良計也。”因急攻之、不克。儁登土山、顧謂張超曰、“吾知之矣。賊今外囲周固、連営逼急、乞降不受、欲出不得、所以死戦也。万人一心、猶不可当、況十万乎?其害甚矣!不如徹囲、并兵入城、忠見解囲、勢必自出、出則意散、易破之道也。”既而解囲、忠果出戦、遂破忠等。
書き下し
孫子曰く「囲師は必ず闕く」と。何を以て之を明らかにせん。黄巾の賊韓忠、宛に拠る。朱儁・張超之を囲む。塁を結び土山を起こして以て城に臨み、因りて鼓を鳴らして其の西南を攻む。賊悉く衆もて之に赴く。乃ち其の東北を掩い、城に乗りて入る。忠退きて小城を保ち、降らんことを乞う。諸将之を聴かんと欲す。儁曰く「兵に形同じくして勢い異なる者有り。昔、秦・項の際、民に定主無し。故に附くを賞して以て来たるを勧むるのみ。今、海内一統し、惟だ黄巾のみ寇を造す。降るを納るるも以て善を勧むる無く、之を討つは以て悪を懲らすに足る。今若し之を受けば、更に逆意を開かん。賊は利あれば則ち進み戦い、鈍ければ則ち降らんことを乞う。敵を縦ち寇を長ずるは、良計に非ざるなり」と。因りて急に之を攻むるも、克たず。儁、土山に登り、顧みて張超に謂いて曰く「吾之を知れり。賊は今外囲周固にして、連営逼急なり。降らんことを乞うも受けられず、出でんと欲するも得ず。死戦する所以なり。万人一心なるも、猶お当たるべからず。況んや十万をや。其の害甚だし。囲みを徹し、兵を并せて城に入るに如かず。忠は囲みの解くるを見て、勢い必ず自ら出でん。出づれば則ち意散ず。破り易きの道なり」と。既にして囲みを解く。忠果たして出でて戦い、遂に忠等を破る。
現代語訳
孫子は「包囲した軍には必ず逃げ道を開けておく」と言う。何によってこれを明らかにするか。黄巾賊の韓忠が宛に拠った。朱儁と張超がこれを包囲した。砦を築き土の山を盛って城を見下ろし、太鼓を鳴らして西南を攻めた。賊が全軍で西南に向かうと、東北を不意に襲い、城壁を乗り越えて入った。韓忠は退いて小城を守り、降伏を願い出た。諸将は受け入れようとした。朱儁は言った。「兵には、形は同じでも勢いが違うことがある。昔、秦と項羽の時代は民に決まった主がいなかったから、帰順する者を賞して人を招いただけだ。いま天下は一つにまとまり、黄巾だけが乱をなしている。降伏を受け入れても善を勧めることにはならず、討てば悪を懲らしめるに足る。いま受け入れれば、かえって反逆の心を開くことになる。賊は有利なら進んで戦い、不利になれば降伏を願う。敵を放って賊を増長させるのは良い計ではない」。そこで急に攻めたが、勝てなかった。朱儁は土の山に登り、振り返って張超に言った。「わかった。賊はいま外を固く包囲され、陣営に迫られている。降伏を願っても受け入れられず、出ようにも出られない。だから死に物狂いで戦うのだ。一万人が心を一つにしても当たれないのに、まして十万ならなおさらだ。その害は大きい。包囲を解き、兵を合わせて城に入るのがよい。韓忠は包囲が解けたのを見れば、形勢上必ず自ら出てくる。出てくれば心は散る。破りやすい道だ」。そこで包囲を解くと、韓忠は果たして出てきて戦い、ついに韓忠らを破った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』先勝孫子曰く「善く兵を用うる者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ」と。何を以て之を明らかにせん。梁州の賊王国、陳倉を囲む。乃ち皇甫嵩・董卓を拝し、各々二万人を率いて之を拒がしむ。卓速やかに進みて陳倉に赴かんと欲す。嵩聴かず。卓曰く「智者は時を緩くせず、勇者は決を留めず。速やかに戦えば則ち城全く、救わずんば則ち城滅ぶ。全滅の勢いは、此に在るなり」と。嵩曰く「然らず。百戦百勝は、戦わずして人の兵を屈するに如かず。是を以て先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは此に在り、勝つべきは彼に在り〔范蠡曰く「時至らざれば、強いて生ずべからず。事究まらざれば、強いて成すべからず」と。此の謂いなり〕。彼は守るに足らず、我は攻むるに余り有り。余り有る者は、九天の上に動き、足らざる者は、九地の下に陥る。今、陳倉は小なりと雖も、城守固く備わる。九地の陥りに非ざるなり。王国は強しと雖も、而も我の救わざる所を攻む。九天の勢いに非ざるなり。夫れ勢い九天に非ざれば、攻むる者は害を受け、陥り九地に非ざれば、守る者は抜けず。国は今已に害を受くるの地を蹈み、而して陳倉は抜けざるの城を保つ。我は兵を煩わし衆を動かさずして、全勝の功を取るべし。将た何ぞ救わん」と。
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『長短経』囲師魏の太祖、壺関を囲み、令を下して曰く「城抜けば皆之を坑にせん」と。連月下らず。曹仁、太祖に言いて曰く「城を囲むには必ず之に門を示す。其の生路を開く所以なり。今、公は之に必ず死すと許す。将に人人自ら守りを為さんとす。且つ城固くして糧多し。之を攻むれば則ち士卒傷つき、守れば則ち日を引き久しきを持す。今、兵を堅城の下に頓めて、以て必死の虜を攻むるは、良計に非ざるなり」と。太祖之に従う。城降る。
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『長短経』蛇勢語に曰く「兵を散地に投ずれば、則ち六親も相保つこと能わず。舟を同じくして済れば、胡越も何ぞ心を異にすることを患えん」と。孫子曰く「善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し」と。何を以て之を明らかにせん。漢の宣帝の時、先零寇を為す。帝、趙充国に命じて之を征せしむ。兵を引きて先零の所在に至る。虜久しく屯聚し、解弛す。大軍を望見し、車重を棄てて、湟水を渡らんと欲す。道阨狭なり。充国徐ろに行きて之を駆る。或るひと曰く「利を逐うに行くこと遅し」と。充国曰く「此れ窮寇なり、迫るべからず。之を緩くすれば、則ち走りて顧みず。之を急にすれば、則ち還りて死を致さん」と。諸将校皆曰く「善し」と。虜果たして水に赴き、溺死する者数百。是に於て之を破る。
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『長短経』先勝青州の黄巾の衆百余万人、東平に入る。劉岱之を撃たんと欲す。鮑信諫めて曰く「今、賊衆百万にして、百姓皆震恐し、士卒に闘志無し。敵すべからざるなり。賊衆を観るに、群輩相随い、軍に輜重無く、唯だ抄掠を以て資と為す。今若し士衆の力を畜え、先ず固守を為さば、彼戦わんと欲するも得ず、攻むるも則ち能わず、其の勢い必ず離散せん。然る後に精鋭を選び、既に其の要害に拠りて、之を撃たば、破るべきなり」と。岱従わず、果たして賊の敗る所と為る。
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『長短経』格形魏、趙を伐つ。趙、急に救いを斉に請う。斉の威王、田忌を以て将と為し、孫臏を以て師と為し、輜車の中に居りて計謀を為さしむ。田忌、兵を引きて趙に之かんと欲す。孫子曰く「夫れ雑乱糾紛を解く者は、拳を控かず。闘を救う者は、戟を搏たず。亢を批ち虚を擣き、形格し勢い禁ずれば、則ち自ら解くるを為すのみ。今、梁・趙相攻め、軽兵鋭卒は必ず外に竭き、老弱は内に疲る。君、兵を引きて疾く大梁に走り、其の街路に拠り、其の方に虚なるを衝くに若かず。彼必ず趙を釈きて自ら救わん。是れ我一挙にして趙の囲みを解き、而して魏を弊らすなり」と。田忌之に従う。魏果たして邯鄲を去る。
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『長短経』利害孫子曰く「之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に投じて而る後に存す」と。又た曰く「利に雑えて務め伸ぶべく、害に雑えて患い解くべし」と。何を以て之を明らかにせん。漢の将韓信、趙を攻む。趙は兵を井陘口に盛んにす。信乃ち兵を引きて未だ井陘口に至らざること三十里にして、止まり舎す。夜半に伝え発し、軽騎二千人を選び、一赤幟を持たしめ、間道より山に萆れて〔音は蔽〕趙の軍を望見せしむ。之を誡めて曰く「趙は吾が走るを見ば、必ず壁を空しくして吾を逐わん。若疾く趙の壁に入り、趙の幟を抜きて、漢の赤幟を立てよ」と。其の裨将をして飱を伝えしめて曰く「今日趙を破りて会食せん」と。諸将皆信ずる莫く、佯り応じて曰く「諾」と。信、軍吏に謂いて曰く「趙は已に先に便地に拠りて壁を為す。且つ彼は未だ我が大将の旗鼓を見ずんば、未だ肯えて前行を撃たず。吾が阻険に至りて還らんことを恐るればなり」と。信乃ち万人をして出でて、背水の陣を行わしむ。趙の軍望見して、大いに之を笑う。〔太公曰く「智衆と同じきは、人の師に非ざるなり。伎衆と同じきは、国士に非ざるなり。動くこと不意より神なるは莫く、勝つこと不識より大なるは莫し」と。趙の軍をして韓信の勢いを識らしめば、安んぞ敗るるを得んや。故に之を笑いて敗るるなり。〕