長短経 / 三国権
丞相諸葛亮慮權聞先主殂、有異計、乃遣鄧芝修好於權。權果狐疑不時見芝、芝自表請見。權語芝曰、「孤誠願與蜀和親、然恐蜀主㓜弱、國小勢逼、為魏所乗、不自保全。以此猶豫耳。」芝對曰、「吳蜀二國、四州之地大王命世之英、諸葛亮一時之傑也。蜀有重關之固、吳有三江之阻、合此二長、共為脣齒、進可兼并天下、退可鼎足而立、此理勢之自然也。大王今若委質於魏、魏必上望大王之入朝、下求太子之内侍。若其不從、則奉辭伐叛、蜀必順流、見可而進。如此、江南之地、非復大王之有也。」權黙然良久曰、「君言是也。」遂自絶魏、與蜀連和。
新字:丞相諸葛亮慮権聞先主殂、有異計、乃遣鄧芝修好於権。権果狐疑不時見芝、芝自表請見。権語芝曰、「孤誠願与蜀和親、然恐蜀主幼弱、国小勢逼、為魏所乗、不自保全。以此猶予耳。」芝対曰、「呉蜀二国、四州之地大王命世之英、諸葛亮一時之傑也。蜀有重関之固、呉有三江之阻、合此二長、共為脣歯、進可兼并天下、退可鼎足而立、此理勢之自然也。大王今若委質於魏、魏必上望大王之入朝、下求太子之内侍。若其不従、則奉辞伐叛、蜀必順流、見可而進。如此、江南之地、非復大王之有也。」権黙然良久曰、「君言是也。」遂自絶魏、与蜀連和。
書き下し
丞相諸葛亮、権の先主の殂を聞きて異計有らんことを慮り、乃ち鄧芝を遣わして好を権に修めしむ。権果たして狐疑して時に芝に見えず。芝自ら表して見えんことを請う。権、芝に語りて曰く「孤は誠に蜀と和親せんことを願う。然れども蜀主幼弱にして、国小さく勢い逼り、魏の乗ずる所と為りて、自ら保全せざらんことを恐る。此を以て猶予するのみ」と。芝対えて曰く「呉・蜀の二国は四州の地、大王は命世の英、諸葛亮は一時の傑なり。蜀に重関の固め有り、呉に三江の阻有り。此の二長を合わせ、共に脣歯と為さば、進みては天下を兼并すべく、退きては鼎足して立つべし。此れ理勢の自然なり。大王今若し質を魏に委ねば、魏は必ず上は大王の入朝を望み、下は太子の内侍を求めん。若し其れ従わずんば、則ち辞を奉じて叛を伐ち、蜀は必ず流れに順い、可を見て進まん。此くの如くんば、江南の地は、復た大王の有に非ざるなり」と。権黙然として良久しくして曰く「君の言是なり」と。遂に自ら魏と絶ち、蜀と連和す。
現代語訳
丞相諸葛亮は、孫権が劉備の死を聞いて別の計を抱くのではないかと心配し、鄧芝を遣わして孫権と友好を修めさせた。孫権は果たして疑ってなかなか鄧芝に会わなかった。鄧芝は自ら上表して面会を求めた。孫権は鄧芝に言った。「私は本当に蜀と親しくしたい。しかし蜀の主は幼く弱く、国は小さく勢いは追い詰められていて、魏に乗じられて自分を保てないのではと心配している。だからためらっているのだ」。鄧芝は答えた。「呉と蜀の二国は四州の地を持ち、大王は世に名高い英雄、諸葛亮は当代の傑物です。蜀には幾重もの関所の守りがあり、呉には三つの大河の守りがあります。この二つの長所を合わせて唇と歯のように支え合えば、進んでは天下を併せられ、退いては三国鼎立を保てます。これは道理と形勢の自然な成り行きです。大王がもし魏に臣従すれば、魏は必ず上には大王の参朝を求め、下には太子を人質に差し出させようとするでしょう。従わなければ、反逆を討つという名目で攻めてくる。そのとき蜀も必ず長江の流れに乗り、機を見て進みます。そうなれば江南の地はもう大王のものではありません」。孫権は長いこと黙っていたが、「あなたの言うとおりだ」と言った。そしてついに魏と縁を切り、蜀と手を結んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権〔時に孫権、使いを遣わして備に報じ、共に蜀を取らんと欲して曰く「米賊張魯、巴・漢に居王し、曹操の耳目と為りて、益州を規図す。劉璋は自ら守ること能わず。若し操蜀を得ば、則ち荊州危うし。今、先ず攻めて璋を取り、進みて張魯を討ち、首尾相連ね、呉・楚を一統せんと欲す。十操有りと雖も、憂うる所無きなり」と。或るひと備に宜しく報じて聴許すべし、呉は終に荊を越えて蜀を有つこと能わず、蜀の地は有つべきなりと説く。主簿殷観曰く「若し呉の先駆と為りて進みて未だ蜀に克つこと能わず、返りて呉の乗ずる所と為らば、則ち大事去らん」と。備之に従い、拒みて権に答えて曰く「益州は民富み国強く、土地阻険なり。劉璋弱しと雖も、以て自ら守るに足る。張魯は虚偽にして、未だ必ずしも尽く操に忠ならず。今、師を蜀・漢に暴し、転運を万里にし、戦えば克ち攻むれば取り、挙げて利を失わざらしめんと欲するは、此れ呉起も其の規を定むること能わず、孫武も其の事を善くすること能わず。今、曹操は天下を三分して其の二を有し、将に馬に滄海に飲ませ、兵を呉に観せんとす。而るに同盟故無くして自ら相攻伐し、枢を操に借し、敵をして其の隙に乗ぜしむるは、計に非ざるなり」と。権、備の意を知り、乃ち止むなり。〕
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『長短経』三国権是より先、呉主孫権、和を請う。〔呉は張温をして蜀に使いせしむ。権、温に謂いて曰く「卿は宜しく遠く出づべからず。恐らくは諸葛孔明、吾が曹氏と意を通ずる所以を知らざらん。故に卿を行人の義に屈す。命を受けて辞を受けざるなり」と。対えて曰く「臣は入りては腹心の規無く、出でては専対の用無し。張老の誉れを延ぶるの功無く、又た子産の事を陳ぶるの効無きを懼る。然れども諸葛亮は達見にして計数あり、必ず神慮屈伸の宜しきを知り、加えて朝廷天覆の恵みを受く。亮の心を推すに、必ず疑弐無からん」と。
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『長短経』三国権〔議に曰く、呉・蜀は脣歯の国、蜀滅ぶれば則ち呉亡ぶと、信なるか。陸士衡曰く「夫れ蜀は蓋し藩援の与国にして、呉人の存亡に非ざるなり。何となれば、其の郊境の接するや、重山積険にして、陸に長轂の径無く、川隘く流れ迅くして、水に驚波の難有り。鋭師百万有りと雖も、啓行するは千夫に過ぎず。舳艫千里なるも、前駆は百艦に過ぎず。故に劉氏の陸公を伐つや、之を長蛇に譬う。其の勢い然るなり」と。故に黄権称して曰く「以て往くべく、以て返り難し。此れ兵の絶地なり」と。古に云う「夫れ道狭く路険しきは、譬えば両鼠の穴に闘うが如し。将の勇なる者勝つなり」と。〈〕
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『長短経』三国権備、亮の計を用い、好を孫権に結び、共に曹公を赤壁に拒ぎ、之を破る。曹公北に還り、権乃ち荊州を以て備に業とす。〔周瑜上疏して諫めて曰く「劉備は梟雄の姿を以てし、而して関羽・張飛は熊虎の将なり。必ず久しく屈して人の用を為す者に非ず。愚謂えらく、大計は宜しく備を徙して呉に置き、盛んに為に室を築き、其の美女玩好の物を多くして、以て其の耳目を娯しましむべし。此の二人を分かちて、各々一方に置き、瑜の如き者をして、挟みて与に攻戦するを得しめば、大事定むべきなり。今、猥りに土地を割きて、以て之に資業し、此の三人を聚めて俱に疆場に在らしむ。恐らくは蛟龍雲雨を得ば、復た池中の物に非ざらん」と。権は曹公北方に在るを以て、当に広く英雄を攬るべしとし、故に納れざるなり。〕
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『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。
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『長短経』三国権豈に南面して孤と称すると同じからんや。与えずして、徐ろに其の変を観るに如かず。若し曹氏義を率いて以て天下を正さば、将軍之に事うるも未だ晩からず。若し暴乱を為さんと図らば、兵は猶お火のごとし、戢めずんば必ず将に自ら焚かんとす。勇を韜み威を抗げ、以て天命を待つ。何の質を送ることか之れ有らん」と。権の母曰く「公瑾の議是なり」と。遂に質を送らず。〔策薨じ、権年少にして、初めて事を統ぶ。太妃之を憂え、張昭・董襲等を引見して、問いて曰く「江東は保安すべきや不や」と。襲対えて曰く「江東の地勢は山川の固め有り。而して討逆明府は、恩徳人に在り。討虜は基を承け、大小命を用う。張昭は衆事を秉り、襲等は爪牙と為る。此れ地利人和の時なり。万に一も憂うる所無し」と。衆皆其の言を壮とするなり。〕