長短経 / 正論
屬辭比事而不亂、則深於《春秋》也。〔壺遂曰、“昔孔子何為作《春秋》哉?”太史公曰、“余聞之董生曰、‘由周道哀微、孔子為魯司冦、諸侯害之、大夫壅之。孔子知言之不用、道之不行也、是非二百四十二年之中、以為天下儀表、貶天子、退諸侯、討大夫、以達王事而已矣。’子曰、‘我欲載之空言、不如見之於行事之深切著明也。’夫《春秋》、上明三王之道、下辨人事之紀、别嫌疑、明是非、定猶豫、善善惡惡、賢賢賤不肖、存亡國、繼絶代、補弊起廢、王道之大者也。揆亂代、反之正道、莫近于《春秋》。《春秋》之中、弑君三十六、亡國五十二、諸侯奔走不得保其社稷者、不可勝數。察其所以、皆失其本也。”
新字:属辞比事而不乱、則深於《春秋》也。〔壺遂曰、“昔孔子何為作《春秋》哉?”太史公曰、“余聞之董生曰、‘由周道哀微、孔子為魯司寇、諸侯害之、大夫壅之。孔子知言之不用、道之不行也、是非二百四十二年之中、以為天下儀表、貶天子、退諸侯、討大夫、以達王事而已矣。’子曰、‘我欲載之空言、不如見之於行事之深切著明也。’夫《春秋》、上明三王之道、下弁人事之紀、別嫌疑、明是非、定猶予、善善悪悪、賢賢賤不肖、存亡国、継絶代、補弊起廃、王道之大者也。揆乱代、反之正道、莫近于《春秋》。《春秋》之中、弑君三十六、亡国五十二、諸侯奔走不得保其社稷者、不可勝数。察其所以、皆失其本也。”
書き下し
辞を属ね事を比べて乱れざれば、則ち春秋に深きなり。〈壺遂曰く「昔、孔子は何為れぞ春秋を作れるか」と。太史公曰く「余、之を董生に聞けり。曰く『周道の哀微せるに由り、孔子は魯の司寇と為るも、諸侯は之を害し、大夫は之を壅ぐ。孔子、言の用いられず、道の行われざるを知るなり。二百四十二年の中を是非して、以て天下の儀表と為し、天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討ちて、以て王事を達するのみ』と。子曰く『我、之を空言に載せんと欲するは、之を行事に見すの深切著明なるに如かず』と。夫れ春秋は、上は三王の道を明らかにし、下は人事の紀を弁じ、嫌疑を別ち、是非を明らかにし、猶予を定め、善を善しとし悪を悪しとし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶代を継ぎ、弊を補い廃を起こす。王道の大なる者なり。乱代を揆りて、之を正道に反すは、春秋より近きは莫し。春秋の中、君を弑すること三十六、国を亡ぼすこと五十二、諸侯の奔走して其の社稷を保つを得ざる者は、勝げて数う可からず。其の所以を察するに、皆な其の本を失えるなり」と。
現代語訳
言葉を連ね事を並べて乱れなければ、春秋に深く通じている。〈壺遂が言った。「昔、孔子はなぜ春秋を作ったのですか」。太史公は言った。「私は董仲舒からこう聞いた。『周の道が衰えたので、孔子は魯の司法長官になったが、諸侯はこれを害し、大夫はこれを塞いだ。孔子は言葉が用いられず道が行われないと悟った。そこで二百四十二年間の是非を定めて天下の基準とし、天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討って、王のなすべきことを表したのだ』。孔子はこう言った。『私が空虚な言葉に載せようとするのは、実際の出来事に即して示すことの深く切実で明白なことには及ばない』。春秋は、上は三王の道を明らかにし、下は人の営みの筋道を分け、紛らわしさを分かち、是非を明らかにし、ためらいを決し、善を善とし悪を悪とし、賢者を賢とし愚か者を賤しみ、滅んだ国を存続させ、絶えた代を継ぎ、欠けを補い廃れたものを起こす。王道の大きなものである。乱れた世を測って正道に返すのに、春秋ほど近いものはない。春秋の中で、君主が弑されたのが三十六回、国が滅んだのが五十二回、諸侯が逃げ回って国を保てなかった例は数え切れない。その理由を調べれば、みな根本を失っていた」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』正論壺遂曰く「孔子の時、上に明君無く、下は任用せらるるを得ず。故に春秋を作り、空文を垂れて以て礼義を断じ、一王の法に当つ。今、夫子は上は明天子に遇い、下は其の社稷を保つを得て職守を曠しくせず。夫子の論ずる所は、何を以て明らかにせんと欲するか」と。太史公曰く「伏羲は至って純厚にして、八卦を作る。堯舜の盛んなる、尚書之を載せ、礼楽作る。湯武の隆んなる、詩人之を歌う。春秋は善を採り悪を貶し、三代の徳を推し、周室を褒む。独り刺譏するのみに非ざるなり。漢興りて以来、明天子に至り、命を穆清に受け、沢は罔極に流る。臣下百官、力めて聖徳を誦するも、猶お其の意を宣べ尽くす能わず。且つ士、賢能にして用いられざるは、国を有つ者の恥なり。主上明聖にして、徳の布聞せざるは、有司の過ちなり。且つ余、其の官を掌り、明聖を廃するは、罪、焉より大なるは莫し。余の所謂述は、所謂作に非ざるなり。而るに君、之を春秋に比するは、謬れり」と。〉
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『淮南子』主術訓成・康 文・武の業を繼ぎ、明堂の制を守り、存亡の跡を觀、成敗の變を見、道に非ざれば言わず、義に非ざれば行わず、言は苟くも出でず、行いは苟くも為さず、善を擇びて而る後に事に從う。此に由りて之を觀れば、則ち聖人の行い 方なり。孔子の通、智は萇弘に過ぎ、勇は孟賁を服し、足は躡菟に效い、力は城關を招く。能も亦た多し。然れども勇力 聞こえず、伎巧 知られず、專ら教道を行いて、以て素王を成す。事も亦た鮮なし。『春秋』二百四十二年、亡國五十二、弑君三十六、善を采り醜を鉏りて、以て王道を成す。論も亦た博し。然れども匡に圍まれて、顏色 變ぜず、弦歌 輟めず、死亡の地に臨み、患難の危を犯し、義に據り理を行いて志 懾れず。分も亦た明らかなり。然れども魯の司寇と為るや、獄を聽きて必ず斷を為し、『春秋』を作為するや、鬼神を道わず、敢えて己を專らにせず。夫れ聖人の智は、固より已に多し。其の守る所の者 約なり。故に舉げて必ず榮ゆ。愚人の智は、固より已に少なし。其の事とする所の者 多し。故に動きて必ず窮す。吳起・張儀は、智 孔・墨に若かずして、萬乘の君と爭う。此れ其の車裂支解せらるる所以なり。夫れ正を以て教化する者は、易くして必ず成る。邪を以て世に巧む者は、難くして必ず敗る。凡そ將に行を設け趣を天下に立てんとして、其の成り易き者を舍てて、難くして必ず敗るる者に從事するは、愚惑の致す所なり。凡そ此の六反なる者は、察せざる可からざるなり。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「王者の迹熄んで詩亡ぶ。詩亡んで然る後春秋作らる。晉の乘、楚の檮杌(トウ・コツ)、魯の春秋は一なり。其の事は則ち齊桓・晉文。其の文は則ち史。孔子曰く、『其の義は則ち丘竊かに之を取れり。』」 <語釈> ○「王者之迹熄而詩亡」、趙注:王者は聖王なり、太平の道衰え、王迹止熄し、頌聲作らず、故に詩亡ぶ。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著公經筵に侍せし時、仁宗春秋髙し。公經傳の同異、訓詁の得失に於いては皆粗ミ其の略を陳ぶ。治亂安危の要にして之を聞けば以て戒むるに足る者に至りては、乃ち上の爲に之を反覆申陳す。仁宗嘗て講官に詔す、凡そ經傳に載する所の逆亂の事は皆直言して諱む毋かれと。公因りて進講して言う、弑逆の事は臣子の忍びて言わざる所。而して仲尼之を春秋に書す所以は、深く後世の人君を戒め、其の微を防ぎ漸を杜ぎ、安きに居て危うきを慮り、君臣父子の道を素より明らかにし、長幼嫡庶の分を早く定めしめんと欲するなり。則ち亂臣賊子其の姦心を萌す所無し。故に易に曰く、霜を履みて堅氷至ると。辯ずるの早く辯ぜざるに由るなりと。
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『長短経』正論〈議に曰く、反経・是非・適変の三篇は、博く利害を弁ずと雖も、然れども其の弊は流遁漫羨として帰する所無し。故に正論を作りて以て之を質す。〉孔子曰く「六芸の治に於けるは一なり。礼は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を導き、詩は以て意を達し、易は以て化を神にし、春秋は以て義とす」と。〈司馬談曰く「易は天地陰陽・四時五行を著す。故に変に長ず。礼は人倫を経紀す。故に行に長ず。書は先王の事を記す。故に政に長ず。詩は山川谿谷・禽獣草木・牝牡雌雄を記す。故に風に長ず。楽は立つ所以なり。故に和に長ず。春秋は是非す。故に人を理むるに長ずるなり」と。〉
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孔子家語・曲禮子貢問子貢、孔子に問いて曰く、「晉の文公は実に天子を召して諸侯をして朝せしむ。夫子『春秋』を作りて云う、『天王河陽に狩す』と。何ぞや」と。孔子曰く、「臣を以て君を召すは、以て訓うべからず。亦た其の諸侯を率いて天子に事うるを書するのみ」と。