長短経 / 三国権
〔議曰、昔三國時、蜀遣宗預使吳。預謂權曰、「蜀土雖云隣國、東西相賴、吳不可無蜀、蜀不可無吳。」孫盛曰、「夫帝王之保、唯道與義、道義既建、雖小可大、殷、周是也、茍仗詐力、雖強必敗、秦、項是也。况乎偏鄙之城、恃山水之固、而欲連横萬里、永相資頼哉!昔九國建合縱之計、而秦人卒并六合、囂、述營輔車之謀、而光武終兼隴蜀。夫以九國之強、隴漢之大、莫能相救、坐觀屠覆、何者?道徳之基不固而離弱之心難一故也。而云、『吳不可無蜀、蜀不可無吴。』豈不諂哉!由此觀之、為國之本、唯道義而已、君若不修徳、舟中之人盡敵國也。有矣夫!」〕
新字:〔議曰、昔三国時、蜀遣宗預使呉。預謂権曰、「蜀土雖云隣国、東西相頼、呉不可無蜀、蜀不可無呉。」孫盛曰、「夫帝王之保、唯道与義、道義既建、雖小可大、殷、周是也、苟仗詐力、雖強必敗、秦、項是也。況乎偏鄙之城、恃山水之固、而欲連横万里、永相資頼哉!昔九国建合縦之計、而秦人卒并六合、囂、述営輔車之謀、而光武終兼隴蜀。夫以九国之強、隴漢之大、莫能相救、坐観屠覆、何者?道徳之基不固而離弱之心難一故也。而云、『呉不可無蜀、蜀不可無呉。』豈不諂哉!由此観之、為国之本、唯道義而已、君若不修徳、舟中之人尽敵国也。有矣夫!」〕
書き下し
〔議に曰く、昔、三国の時、蜀は宗預をして呉に使いせしむ。預、権に謂いて曰く「蜀土は隣国と云うと雖も、東西相頼る。呉は蜀無かるべからず、蜀は呉無かるべからず」と。孫盛曰く「夫れ帝王の保つは、唯だ道と義とのみ。道義既に建たば、小なりと雖も大なるべし。殷・周是れなり。苟も詐力に仗らば、強しと雖も必ず敗る。秦・項是れなり。況んや偏鄙の城、山水の固めを恃みて、万里に連横し、永く相資頼せんと欲するをや。昔、九国は合縦の計を建つるも、秦人卒に六合を并す。囂・述は輔車の謀を営むも、光武終に隴・蜀を兼ぬ。夫れ九国の強き、隴・漢の大なるを以て、能く相救う莫く、坐して屠覆を観る。何となれば、道徳の基固からずして、離弱の心一にし難きが故なり。而して云う『呉は蜀無かるべからず、蜀は呉無かるべからず』と。豈に諂ならずや。此に由りて之を観れば、国を為むるの本は、唯だ道義のみ。君若し徳を修めずんば、舟中の人も尽く敵国なり。有るかな」と。〕
現代語訳
〔論じて言う。昔、三国の時、蜀は宗預を呉に使者として送った。宗預は孫権に言った。「蜀の地は隣国とはいえ、東西で頼り合っています。呉は蜀なしではいられず、蜀は呉なしではいられません」。孫盛は言う。「帝王が国を保つのは、ただ道と義による。道義が立てば、小さくても大きくなれる。殷や周がそうだ。もし詐術と力に頼れば、強くても必ず敗れる。秦や項羽がそうだ。まして辺地の城が山と川の固さを頼みにして、万里を連ねて永く頼り合おうとするなど、なおさらだ。昔、九国は合従の計を立てたが、秦はついに天下を併せた。隗囂と公孫述は車の添え木と車輪のように助け合う謀をめぐらしたが、光武帝は結局隴と蜀を併せた。九国の強さ、隴と漢中の大きさがあっても互いに救えず、座って滅ぼされるのを見ていた。なぜか。道徳の基盤が固くなく、離れ弱る心を一つにするのが難しかったからだ。それなのに『呉は蜀なしでいられず、蜀は呉なしでいられない』と言うのは、へつらいではないか。これで見れば、国を治める根本はただ道義だけである。君主がもし徳を修めなければ、同じ舟に乗る人も皆敵国になる。まことにそのとおりだ」。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権〔議に曰く、国君は社稷の為に死すれば則ち死し、社稷の為に亡ぶれば則ち亡ぶ。譙周、後主に魏に降らんことを勧むるは、可なるか。孫盛曰く「春秋の義、国君は社稷に死し、卿大夫は位に死す。況んや天子と称して人に辱めらるるをや。周は万乗の君をして、生を偸み苟くも存し、礼を亡いて利を希い、微栄を要冀せしむと謂う。惑えり。且つ事勢を以て之を言うも、理に未だ尽くさざる有り。何となれば、禅は庸主なりと雖も、実に桀・紂の酷無く、戦いは屢々北ぐと雖も、未だ土崩の乱有らず。縦い君臣固守し、城を背にして一戦すること能わずとも、自ら退きて東鄙に次り、以て後図を思うべし。
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『長短経』三国権権薨ずるに至り、皓位に即き、淫侈を窮極し、蒸人を割剥し、姦回を崇信し、諫輔を賊虐す。晋の世祖、杜預等をして呉を伐たしめ、之を滅ぼす。〔議に曰く、昔、魏の武侯、西河に浮かび、顧みて呉起に謂いて曰く「山河の固め、此れ魏国の宝なり」と。呉起対えて曰く「昔、三苗氏は洞庭を左にし彭蠡を右にするも、徳義修まらず、禹之を滅ぼす。夏桀の君は、河済を左にし太華を右にし、伊闕其の南に在り、羊腸其の北に在るも、仁政修まらず、湯之を放つ。此に由りて之を観れば、徳に在りて険に在らず」と。今、孫皓は父祖の資に席り、天阻の固め有り。西は巫峡を距て、東は滄海を負い、長江其の区宇を判ち、峻山其の封域を帯ぶ。地は方幾万里、戟を荷う者将に百万ならんとす。而して一朝甲を棄て、人に面縛す。則ち徳に在るの言は、不刊の典と為すか。
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『長短経』三国権葛生云える有り『事済らずんば即ち亡ぶのみ。安んぞ能く復た之が下と為らん』と。壮なるかな斯の言。以て懦夫の志を立つべし。古の燕・斉・荊・越の敗を観るに、或いは国覆り主滅び、或いは魚のごとく懸かり鳥のごとく竄るも、終に能く功を建て事を立て、社稷を康復す。豈に天助と曰わんや。抑も人謀なり。向使し苟存の計を懐き、譙周の言を納れば、何ぞ頽基の能く搆え、令名の獲べけんや。禅は既に闇主にして、周は実に駑臣なり。之を申包胥・田単・范蠡・大夫種に方ぶるに、亦た遠からずや」と。〕
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『長短経』三国権曩に樊・酈・絳・灌をして数十城に拠りて王たらしめば、今は以て残亡すと雖も可なり。信・越の倫をして、列して徹侯と為りて居らしめば、今に至るまで存すと雖も可なり。然らば則ち天下の大計も亦た知るべきのみ。諸侯の皆忠附せんことを欲せば、則ち長沙王の如くならしむるに若くは莫く、臣子の葅醢せられざらんことを欲せば、則ち樊・酈等の如くならしむるに若くは莫く、天下の治安を欲せば、則ち衆く諸侯を建てて其の力を少なくするに若くは莫し」と。此を以て之を観れば、専城に令する者は、皆提封千里にして、人民有り、特に百里の資に非ざるなり。官は才を以て肺附に属し、特に母親の疏きに非ざるなり。呉は江湖に拠り、蜀は天険を阻む。特に山海の利に非ざるなり。州に跨り郡を連ね、形束壌制す。特に偶国の害に非ざるなり。若し万世の変に遭い、七子の禍有らば、則ち諱むべからず。有国者、察せざるべからず。〔魏の明帝、黄権に問いて曰く「今、三国鼎峙す。何れの方か正と為す」と。対えて曰く「当に天文を以て之を正すべし。往年、熒惑、心を守りて、文帝崩ず。呉・蜀二国の主は事無し。是に由りて之を観れば、魏正統なり」と。〕
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『長短経』三国権呉は江に縁りて国を為し、内地有る無く、東西数千里、藩籬を以て自ら恃む。敵する所の者大にして、寧息有る無し。孫皓は情を恣にし意に任せ、下と与に忌むこと多し。名臣重将も、復た自ら信ぜず。是を以て孫秀の徒、皆逼らるるを畏れて至る。臣は朝に疑い、士は野に困しみ、保世の計、一定の心有る無し。平常の日にも猶お去就を懐く。兵臨むの際は、必ず応ずる者有らん。終に力を斉しくして死を致すこと能わざること、已に知るべきなり。其の俗は急速にして、久しきを持すること能わず。弓弩戟楯は中国に如かず。唯だ水戦のみ是れ其の便とする所なり。一たび其の地に入らば、則ち長江は復た固めとする所に非ず。還りて城池を保たば、則ち長を去りて短に入る。而して官軍懸かに進まば、人に節を致すの志有り。呉人は其の地に戦い、城に憑るの心有り。此くの如くんば、軍は時を逾えずして、克つこと必すべし」と。帝深く焉を納る。乃ち王濬等をして呉を滅ぼさしむ。天下、書は文を同じくし、車は軌を同じくす。
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『長短経』三国権〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。