長短経 / 時宜
及楚漢時、酈食其為漢謀撓楚權、曰、「昔湯伐桀、封其後于杞、武王伐紂、封其後于宋。今秦失徳棄義、侵伐諸侯社稷、滅亡六國之後、使無立錐之地。陛下誠能復立六國後、此其君臣百姓必皆戴陛下徳、莫不向風慕義、願為臣妾。徳義以行、陛下南面稱霸、楚必斂衽而朝。」漢王曰、「善。」張良曰、「誠用客之謀、陛下事去矣。」
新字:及楚漢時、酈食其為漢謀撓楚権、曰、「昔湯伐桀、封其後于杞、武王伐紂、封其後于宋。今秦失徳棄義、侵伐諸侯社稷、滅亡六国之後、使無立錐之地。陛下誠能復立六国後、此其君臣百姓必皆戴陛下徳、莫不向風慕義、願為臣妾。徳義以行、陛下南面称覇、楚必斂衽而朝。」漢王曰、「善。」張良曰、「誠用客之謀、陛下事去矣。」
書き下し
楚漢の時に及びて、酈食其、漢の為に楚の権を撓めんことを謀りて曰く「昔、湯は桀を伐ちて、其の後を杞に封じ、武王は紂を伐ちて、其の後を宋に封ず。今、秦は徳を失い義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六国の後を滅亡し、立錐の地無からしむ。陛下誠に能く復た六国の後を立てば、此れ其の君臣百姓、必ず皆陛下の徳を戴き、風に向かい義を慕い、臣妾と為らんことを願わざるは莫からん。徳義以て行わるれば、陛下は南面して霸を称し、楚は必ず衽を斂めて朝せん」と。漢王曰く「善し」と。張良曰く「誠に客の謀を用いば、陛下の事去らん」と。
現代語訳
楚漢の争いの時代になると、酈食其は漢のために楚の力をくじこうとして言った。「昔、殷の湯王は夏の桀を伐っても、その子孫を杞に封じ、周の武王は殷の紂を伐っても、その子孫を宋に封じました。いま秦は徳を失い義を捨て、諸侯の国を侵し、六国の子孫を滅ぼして、錐を立てる土地もなくしました。陛下がもし六国の子孫を再び立てれば、その君臣も民も皆陛下の徳を戴き、風になびくように義を慕い、臣下になることを願わない者はいないでしょう。徳と義が行われれば、陛下は南面して覇者を名乗り、楚も必ず襟を正して参朝するでしょう」。漢王は「よい」と言った。張良は言った。「もし客の謀を用いれば、陛下の大事は終わりです」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』時宜馬を華山の陽に放ちて、為す所無きを示す。今、陛下能く馬を放ちて復た用いざらんか。其の不可なる五なり。牛を桃林の野に休めて、天下に復た輸積せざるを示す。今、陛下能くせんか。其の不可なる六なり。且つ天下の遊士、親戚を離れ、墳墓を棄て、故旧を去りて、陛下に従う者は、日夜咫尺の地を望む。今、六国を復し、韓・魏・燕・趙・斉・楚の後を立てば、余は復た立つる者無し。天下の遊士は各々帰りて其の主に事え、親戚に従い、故旧に反らん。陛下誰と与にか天下を取らん。其の不可なる七なり。且つ楚は惟だ強きこと無からしめんのみ。六国の去る者は復た撓みて之に従わん〔惟だ当に楚をして強きこと無からしむべし。強ければ則ち六国之に従うなり〕。陛下安んぞ得て之を臣とせんや。其の不可なる八なり。誠に客の謀を用いば、則ち大事去らん」と。時に王方に食す。哺を吐きて、酈生を罵りて曰く「豎儒、幾ど我が事を敗らんとす」と。趣やかに印を銷さしむ。此れ形を異にする者なり。
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『新序』善謀第十漢の三年、項羽急に漢王を滎陽に圍む。漢王恐れ憂え、酈生と楚の權を撓ませんことを謀る。酈生曰く、昔湯桀を伐ち、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ち、其の後を宋に封ず。今秦德無く義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六國の後を滅ぼし、立錐の地無からしむ。陛下誠に復た六國の後を立て、畢く印を授け已らば、此の君臣百姓、必ず皆な陛下の德を戴き、風に嚮かい義を慕いて、臣妾と爲らんことを願わざる莫からん。德義已に行われ、陛下南嚮して覇と稱せば、楚必ず衽を歛めて朝せん、と。漢王曰く、善し。趣かに印を刻め。先生因りて行きて之を佩びよ、と。酈先生未だ行かず。張良外より謁を求む。漢王方に食す。曰く、子房前め。客に我が爲に楚の權を撓ますを計る者有り、と。俱に食其の言を以て之に吿ぐ。曰く、其れ子房の意に於いて如何、と。良曰く、誰か陛下の爲に此の計を畫きし者ぞ。陛下の事去らん、と。漢王曰く、何ぞや、と。良對えて曰く、臣請う前箸を借りて之を籌らん、と。曰く、昔湯桀を伐ちて其の後を杞に封ぜしは、斯れ能く桀の死命を制すればなり。陛下能く項籍の死命を制するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる一なり。武王紂を伐ちて其の後を宋に封ぜしは、斯れ能く紂の頭を得ればなり。今陛下能く項籍の頭を得るか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる二なり。武王殷に入り、商容の閭に表し、箕子の門に軾し、比干の墓を封ず。今陛下能く聖人の墓を封じ、賢人の閭に表し、智者の門に軾するか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる三なり。鉅橋の粟を發し、鹿臺の錢を散じ、以て貧羸に賜う。今陛下能く府庫を散じて以て貧羸に賜うか、と。曰く、未だ能わざるなり、と。其の不可なる四なり。
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『長短経』時宜夫れ事に趨同じくして勢い異なる者有り。事の詭なるに非ず、時の変なるのみ。何を以て其の然るを明らかにせん。昔、秦の末、陳渉蘄に起こり、民陳に至る。陳の豪傑、渉に説きて曰く「将軍は堅を披り鋭を執り、士卒を帥いて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立つ。功徳宜しく王たるべし」と。陳渉、陳餘・張耳の両人に問う。両人対えて曰く「将軍は目を瞋らせ胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計にして、天下の為に残賊を除く。今、始めて陳に至りて之に王たるは、天下に示すに私を以てす。願わくは将軍王たること無く、急ぎ兵を引きて進み、人を遣わして六国の後を立て、自ら為に党を樹てよ。此くの如くんば、野に交兵無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて、以て諸侯に令せば、則ち帝業成らん。今、独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。
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『長短経』時宜漢王曰く「何ぞや」と。良因りて八難を発す。其の略に曰く「昔者、湯の桀を伐ちて其の後を杞に封ぜしは、能く桀の死命を制するを度ればなり。今、陛下能く項籍の死命を制せんか。其の不可なる一なり。武王殷に入り、商容の閭を表し、箕子の囚を釈き、比干の墓を封ず。今、陛下能く聖人の墓を封じ、賢者の閭を褒めんか。其の不可なる二なり。鉅橋の粟を発き、鹿台の財を散じて、以て貧民を賑わす。今、陛下能く府庫を散じて以て貧窮に賜わんか。其の不可なる三なり。殷の事已に畢わり、革を偃せて軒と為し、干戈を倒載して、天下に復た武を用いざるを示す。今、陛下能く武を偃せ文を修めて、復た兵を用いざらんか。其の不可なる四なり。
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『長短経』覇図王曰く「先生、何を以て之を知る」と。酈生曰く「漢王と項羽と、力を戮せて西に向かい秦を撃つ。約すらく、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。漢王先ず咸陽に入るも、項王、約に負きて与えず、而して之を漢中に王たらしむ。項羽、義帝を遷して殺す。漢王之を聞き、蜀漢の兵を起こし、三秦を撃ち、武関を出でて、義帝の処を責め、天下の兵を収め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の将を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に分かち、天下と其の利を同じくす。英豪賢士、皆な楽しみて之が用と為る。諸侯の兵、四面より至り、蜀漢の粟、万船にして下る。項王には約に背くの名、義帝を殺すの罪有り。人の功に於ては記す所無く、人の罪に於ては心に忘れず。戦い勝ちて其の賞を得ず、城を抜きて其の封を得ず。項氏に非ざれば、能く事を用うる莫し。人の為に印を刻みて、授くる能わず。城を攻めて賂を得るも、財を積みて賞する能わず。天下之に叛き、賢才之を怨みて、用を為す莫し。故に天下の士、漢王に帰すること、坐して策す可きなり。
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『長短経』時宜〔荀悦曰く「夫れ策を立て勝ちを決するの術は、其の要に三有り。一に曰く形、二に曰く勢、三に曰く情。形なる者は、其の大体得失の数を言うなり。勢なる者は、其の時に臨むの勢い、進退の機を言うなり。情なる者は、其の心志可否の実を言うなり。故に策は事を同じくする者も、三術同じからざるなり。初め、張耳は陳渉に説くに六国の後を復して、自ら為に党を樹つるを以てす。酈生も亦た此の説を用いて漢王に説く。説く所以の者は事同じくして、得失異なるは、何ぞや。陳渉の起こるに当たりてや、天下皆秦を亡ぼさんと欲す。而して楚漢の分は未だ定まる所有らず、今天下は未だ必ずしも項を亡ぼさんと欲せず。且つ項羽の力は能く六国を率従す。秦の勢いの如くならば、則ち能わざるなり。故に六国を陳渉に立つるは、所謂己の党を多くして、秦の弊を益すなり。且つ陳渉は未だ天下の土を専らにすること能わず。所謂其の有に非ざるを取りて、以て人に徳とし、虚恵を行いて実福を収むるなり。六国を漢王に立つるは、所謂己の有を割きて、以て敵に資し、虚名を設けて実禍を受くるなり。此れ事同じくして形を異にする者なり」と。〕