長短経 / 五間
昔漢西域都䕶班超、初為將長史、悉發諸國步騎二萬五千擊莎車、莎車求救龜兹龜兹王遣左將軍發温宿、姑墨、尉頭、合五萬人助之。超召部曲及于闐疎勒王議曰、“兵少不敵、計莫如各解散去。于闐從此東、長史亦從此西歸。夜半聞鼓聲使發。”衆皆以為然。乃隂緩擒得生口、生口歸、以超言告龜兹龜兹聞之、喜、使左將軍將萬騎于西界遮超、温宿王將八千騎于東界遮于闐王。人定後、超密令諸司馬、勒兵勵士。至鷄鳴、馳赴莎車軍營、掩覆之、胡皆驚走、斬首五千級、莎車遂降。
新字:昔漢西域都䕶班超、初為将長史、悉発諸国歩騎二万五千撃莎車、莎車求救亀茲亀茲王遣左将軍発温宿、姑墨、尉頭、合五万人助之。超召部曲及于闐疎勒王議曰、“兵少不敵、計莫如各解散去。于闐従此東、長史亦従此西帰。夜半聞鼓声使発。”衆皆以為然。乃陰緩擒得生口、生口帰、以超言告亀茲亀茲聞之、喜、使左将軍将万騎于西界遮超、温宿王将八千騎于東界遮于闐王。人定後、超密令諸司馬、勒兵励士。至鶏鳴、馳赴莎車軍営、掩覆之、胡皆驚走、斬首五千級、莎車遂降。
書き下し
昔、漢の西域都護班超、初め将長史と為る。悉く諸国の歩騎二万五千を発して莎車を撃つ。莎車、救いを亀茲に求む。亀茲王、左将軍を遣わして温宿・姑墨・尉頭を発し、合わせて五万人もて之を助けしむ。超、部曲及び于闐・疏勒王を召して議して曰く「兵少なくして敵せず。計は各々解散して去るに如くは莫し。于闐は此より東し、長史も亦た此より西に帰らん。夜半に鼓声を聞きて発せしめよ」と。衆皆以て然りと為す。乃ち陰かに擒え得たる生口を緩む。生口帰り、超の言を以て亀茲に告ぐ。亀茲之を聞きて喜び、左将軍をして万騎を将いて西界に超を遮らしめ、温宿王をして八千騎を将いて東界に于闐王を遮らしむ。人定まりて後、超密かに諸司馬に令して、兵を勒し士を励ます。鶏鳴に至りて、馳せて莎車の軍営に赴き、之を掩覆す。胡皆驚き走る。首五千級を斬る。莎車遂に降る。
現代語訳
昔、漢の西域都護班超は、はじめ将兵長史として、諸国の歩兵・騎兵二万五千を集めて莎車を攻めた。莎車は亀茲に救援を求め、亀茲王は左将軍に温宿・姑墨・尉頭の兵を集めさせ、合わせて五万人で莎車を助けた。班超は配下と于闐王・疏勒王を集めて協議した。「兵が少なくて勝てない。それぞれ解散して引き上げるのがいちばんだ。于闐はここから東へ、私もここから西へ帰る。夜中に太鼓が鳴ったら出発せよ」。皆もっともだと思った。班超はそこでひそかに、捕らえていた捕虜の見張りを緩めた。捕虜は逃げ帰り、班超の言葉を亀茲に伝えた。亀茲はこれを聞いて喜び、左将軍に一万騎で西の境で班超を待ち伏せさせ、温宿王に八千騎で東の境で于闐王を待ち伏せさせた。夜が更けると、班超はひそかに部将たちに命じて兵を整え励まし、明け方に莎車の陣営に駆けつけて急襲した。胡兵は皆驚いて逃げ、五千の首を取った。莎車はついに降伏した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』五間死間なる者は、誑事を外に為し、吾が間をして之を知らしめて、敵の間を待つ者なり。〔詐誑の事を外に作し、佯りて之を漏泄す。吾が間をして之を知らしむ。吾が間敵中に至り、敵の得る所と為らば、必ず誑事を以て敵に輸す。敵従いて之に備うるも、吾が行う所は然らず。間は則ち死す。又た、一に云う、敵の間来たりて営に在り、我が誑事を間して持ち帰る。然れども皆吾が図る所に非ず。二間皆幽隠を知らず。故に死間と曰う、と。蕭世誠云う「獲る所の敵人及び己が軍士の重罪有りて繋がるる者、故に免じと為し、相勅して泄らすこと勿からしめ、佯りて秘密ならずして、拘わるる者をして竊かに之を聞かしむ。因りて之を緩め、亡げしむ。亡ぐれば必ず敵に帰し、聞く所を以て之に告ぐ。敵必ず焉を信じ、往けば必ず間ならず。故に死間と曰う者なり」と。〕
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『長短経』五間鄭の武公、胡を伐たんと欲し、先ず其の子を以て胡に妻わす。因りて群臣に問いて曰く「我兵を用いんと欲す。誰か伐つべき者ぞ」と。大夫関期思曰く「胡伐つべし」と。武公怒りて之を戮して曰く「胡は兄弟の国なり。子の之を伐てと言うは、何ぞや」と。胡の君之を聞き、鄭を以て己に親しむと為して鄭に備えず。鄭、胡を襲いて之を取る〔漢は酈生をして斉王田広に説かしむ。広兵を罷め、酈生と酒を縦にす。漢の将韓信、斉の備え無きに因りて、斉を襲いて之を破る。田広は酈生を烹る。酈生は偶々韓信の死間と成る。唐の李靖、匈奴を伐つに、唐倹を以て先ず和親せしめ、而して己は兵を以て其の備えざるに乗じて、之を破る。此れ李靖の唐倹を以て死間と為すなり〕。此れ死間を用うるの勢いなり。
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孫子・用間篇故に間を用うるに五有り。郷間有り、内間有り、反間有り、死間有り、生間有り。
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『長短経』五間又た、耿弇、張歩を討つ。歩之を聞き、乃ち其の大将費邑をして歴下に軍せしめ、又た兵を分かちて祝阿に屯せしめ、別に太山・鐘城に営を列ぬること数十にして以て弇を待つ〔昔、劉備東下して孫権と交戦す。魏の文帝、備の柵を樹て営を連ぬること七百余里なるを聞き、群臣に謂いて曰く「備は兵権を暁らず。豈に七百里の営にして以て敵を拒ぐべき者有らんや。原隰険阻を包みて軍を為す者は、敵の禽とする所と為る。此れ兵の忌なり」と。後七日、権の備を破る書到る。今、張歩は営を列ぬること数十、緩急相救うこと能わず。又た一軍潰ゆれば、則ち衆心固め難し。黥布の荊王を走らす所以に比す。歩の計に非ざるなり。敗るるは其れ宜なり〕。弇、河を渡り、先ず祝阿を撃ちて、之を抜き、故に囲みの一角を開き、其の衆をして鐘城に奔るを得しむ。鐘城の人、祝阿の已に潰ゆるを聞き、大いに懼れ、遂に壁を空しくして亡げ去る〔孫子曰く「三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし」と。耿弇は祝阿の囲みを開き、其の衆をして鐘城に奔らしめ、以て之を震怖せしむ。亦た気を奪い、心を奪うの計なり。妙なるかな〕。
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孫子・用間篇五間の事は、主必ず之を知る。之を知るは必ず反間に在り、故に反間は厚くせざるべからざるなり。
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