長短経 / 禁令
若期㑹不到、聞鼓不行、乘寛自留、迴避務止、初近而後逺、喚名而不應、軍甲不具、兵器不備、此謂「輕軍」。〔有此者、斬之。〕受令不傳、傳之不審、以惑吏士。金鼓不聞、旌旗不覩此謂「慢軍」。〔有此者、斬之。〕食不廩粮、軍不部兵、賦賜不均、阿私所親、取非其物、借貸不還、奪人頭首、以獲功名、此謂「盜軍」。〔有此者、斬之。〕
新字:若期会不到、聞鼓不行、乗寛自留、迴避務止、初近而後遠、喚名而不応、軍甲不具、兵器不備、此謂「軽軍」。〔有此者、斬之。〕受令不伝、伝之不審、以惑吏士。金鼓不聞、旌旗不睹此謂「慢軍」。〔有此者、斬之。〕食不廩粮、軍不部兵、賦賜不均、阿私所親、取非其物、借貸不還、奪人頭首、以獲功名、此謂「盗軍」。〔有此者、斬之。〕
書き下し
若し期会に到らず、鼓を聞きて行かず、寛に乗じて自ら留まり、迴避して止まるに務め、初め近くして後に遠く、名を喚びて応ぜず、軍甲具わらず、兵器備わらざる、此を軽軍と謂う〔此れ有る者は、之を斬る〕。令を受けて伝えず、之を伝えて審らかならず、以て吏士を惑わす。金鼓聞こえず、旌旗覩えざる、此を慢軍と謂う〔此れ有る者は、之を斬る〕。食うに糧を廩けず、軍に兵を部せず、賦賜均しからず、親しむ所に阿私し、其の物に非ざるを取り、借貸して還さず、人の頭首を奪いて、以て功名を獲る、此を盗軍と謂う〔此れ有る者は、之を斬る〕。
現代語訳
集合の期日に来ない、太鼓を聞いても進まない、ゆるみに乗じて勝手にとどまる、避けて止まろうとする、初めは近くにいて後で遠ざかる、名を呼んでも答えない、鎧がそろわない、武器が備わらない。これを軽軍という〔これがある者は斬る〕。命令を受けても伝えない、伝えても詳しくなく、役人や兵を惑わせる。鉦や太鼓が聞こえず、旗が見えない。これを慢軍という〔これがある者は斬る〕。食糧を配給どおりに受けない、兵を部隊に配属しない、配分や褒美が不公平、親しい者をひいきする、自分のものでない物を取る、借りて返さない、他人が取った首を奪って手柄にする。これを盗軍という〔これがある者は斬る〕。
解説

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