長短経 / 三国権
至晋永嘉中、中原喪亂、晋元帝復渡江、王江南。宋、齊、梁、陳、皆都焉〔事在覇紀上。〕此吳國形也。〈魏〉古者天子、守在四夷、天子卑弱、守在諸侯。當漢之季、姦臣擅朝、九有不澄、四郊多壘。雖復諸侯釋位、以閒王政、然皆包藏禍心、各圖非冀。魏太祖畧不世出、靈武冠時。值炎精幽昧之期、逢風塵無妄之世、瞋目張膽、首建義旗。時韓暹、楊奉挟獻帝自河東還洛陽。
新字:至晋永嘉中、中原喪乱、晋元帝復渡江、王江南。宋、斉、梁、陳、皆都焉〔事在覇紀上。〕此呉国形也。〈魏〉古者天子、守在四夷、天子卑弱、守在諸侯。当漢之季、姦臣擅朝、九有不澄、四郊多塁。雖復諸侯釈位、以閒王政、然皆包蔵禍心、各図非冀。魏太祖略不世出、霊武冠時。値炎精幽昧之期、逢風塵無妄之世、瞋目張胆、首建義旗。時韓暹、楊奉挟献帝自河東還洛陽。
書き下し
晋の永嘉中に至り、中原喪乱し、晋の元帝復た江を渡りて、江南に王たり。宋・斉・梁・陳、皆焉に都す〔事は覇紀の上に在り〕。此れ呉国の形なり。〈魏〉古者、天子は守り四夷に在り。天子卑弱なれば、守りは諸侯に在り。漢の季に当たりて、姦臣朝を擅にし、九有澄まず、四郊に塁多し。復た諸侯位を釈きて、以て王政を間すと雖も、然れども皆禍心を包蔵し、各々非冀を図る。魏の太祖は略世に出でず、霊武時に冠たり。炎精幽昧の期に値い、風塵無妄の世に逢い、目を瞋らせ胆を張りて、首めて義旗を建つ。時に韓暹・楊奉、献帝を挟みて河東より洛陽に還る。
現代語訳
晋の永嘉年間になると中原が乱れ、晋の元帝はまた長江を渡って江南の王となった。宋・斉・梁・陳は皆ここに都を置いた〔そのことは覇紀の上にある〕。これが呉という国の形勢である。〈魏〉昔、天子の守りは四方の異民族の地にあった。天子が衰え弱くなると、守りは諸侯にあった。漢の末、奸臣が朝廷を独占し、天下は澄まず、都の四方の郊外には砦が多かった。諸侯が持ち場を離れて王の政治を助けに来たといっても、皆禍の心を隠し持ち、それぞれ分不相応な望みを図っていた。魏の太祖曹操は世に稀な才略を持ち、神のような武勇は当代随一だった。漢の火徳が暗くなる時に当たり、風塵の乱世に遭い、目を見張り胆をすえて、真っ先に義兵の旗を立てた。そのころ韓暹と楊奉が献帝を擁して河東から洛陽に帰ってきた。
解説
この章句が説くこと
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