長短経 / 量過
虞卿說魏王曰〔虞卿說春申君伐燕以定身封、然楚之伐燕、路由于魏、恐魏不聼虞卿為春申君說魏君假道也。、〕“夫楚亦强大矣、天下無敵、乃且攻燕。”魏王曰、“向也子云‘天下無敵’、今也子云‘乃且攻燕’者、何也?”對曰、“今謂馬多力則有之矣、若曰勝千鈞則不然者、何也?夫千鈞、非馬之任也。今謂楚强大則有矣、若夫越趙、魏而開兵于燕、則豈楚之任哉?”由是觀之、夫管仲九合諸侯、一匡天下、而孔子小之、楚人不能伐燕、虞卿反以為强大、天下無敵。非詭議也、各從其黨言之耳。不可不察。
新字:虞卿説魏王曰〔虞卿説春申君伐燕以定身封、然楚之伐燕、路由于魏、恐魏不聴虞卿為春申君説魏君仮道也。、〕“夫楚亦強大矣、天下無敵、乃且攻燕。”魏王曰、“向也子云‘天下無敵’、今也子云‘乃且攻燕’者、何也?”対曰、“今謂馬多力則有之矣、若曰勝千鈞則不然者、何也?夫千鈞、非馬之任也。今謂楚強大則有矣、若夫越趙、魏而開兵于燕、則豈楚之任哉?”由是観之、夫管仲九合諸侯、一匡天下、而孔子小之、楚人不能伐燕、虞卿反以為強大、天下無敵。非詭議也、各従其党言之耳。不可不察。
書き下し
虞卿、魏王に説きて曰く〔虞卿は春申君に説きて燕を伐ちて以て身の封を定めしむ。然れども楚の燕を伐つは、路は魏に由る。魏の聴かざるを恐れて、虞卿は春申君の為に魏君に説きて道を仮るなり〕「夫れ楚も亦た強大なり。天下に敵無く、乃ち且に燕を攻めんとす」と。魏王曰く「向に子は『天下に敵無し』と云い、今や子は『乃ち且に燕を攻めんとす』と云うは、何ぞや」と。対えて曰く「今、馬は力多しと謂うは則ち之有り。若し千鈞に勝つと曰えば則ち然らざる者は、何ぞや。夫れ千鈞は、馬の任に非ざるなり。今、楚は強大なりと謂うは則ち有り。若し夫れ趙・魏を越えて兵を燕に開くは、則ち豈に楚の任ならんや」と。是に由りて之を観れば、夫れ管仲は諸侯を九合し、天下を一匡するも、孔子之を小とし、楚人は燕を伐つこと能わざるも、虞卿は反りて以て強大にして天下に敵無しと為す。詭議に非ざるなり。各々其の党に従いて之を言うのみ。察せざるべからず。
現代語訳
虞卿は魏王に説いた〔虞卿は春申君に燕を伐って自分の封地を定めるよう説いた。しかし楚が燕を伐つには魏を通らねばならず、魏が承知しないことを恐れて、虞卿は春申君のために魏の君に道を借りる説得をした〕。「楚も強大で天下に敵がありません。それでいて燕を攻めようとしています」。魏王は言った。「さっきは『天下に敵がない』と言い、今は『燕を攻めようとしている』と言うのはどういうことか」。虞卿は答えた。「馬は力が強いと言うのはそのとおりです。しかし千鈞の重さを引けると言えばそうではない。なぜか。千鈞は馬が担える重さではないからです。いま楚が強大だと言うのはそのとおりです。しかし趙や魏を越えて燕に兵を向けるのは、楚が担えることでしょうか」。これで見れば、管仲は諸侯を九度集め天下を正したのに孔子は小さいとし、楚は燕を伐てないのに虞卿はかえって強大で天下に敵がないとした。でたらめな議論ではない。それぞれその類に従って言っているだけである。よく見極めなければならない。
解説

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