長短経 / 臣行
或曰、“然則竇武、陳蕃、與宦者同朝廷争衡、終為所誅、為非乎?”范曄曰、“桓靈之世、若陳蕃之徒、咸能樹立風聲、抗論昏俗、驅馳岨峗之中、而與腐夫争衡、終取滅亡者、彼非不能潔情志、違埃霧也。憫夫世士、以離俗為髙、而人倫莫相恤也、以遯世為非義、故屢退而不去、以仁心為己任、雖道逺而彌厲。及遭值際㑹、協䇿竇武、可謂萬代一時也。功雖不終、然其信義足以攜持世心矣。”〔議曰、此所謂義重于生、捨生可也。〕
新字:或曰、“然則竇武、陳蕃、与宦者同朝廷争衡、終為所誅、為非乎?”范曄曰、“桓霊之世、若陳蕃之徒、咸能樹立風声、抗論昏俗、駆馳岨峗之中、而与腐夫争衡、終取滅亡者、彼非不能潔情志、違埃霧也。憫夫世士、以離俗為高、而人倫莫相恤也、以遯世為非義、故屡退而不去、以仁心為己任、雖道遠而弥厲。及遭値際会、協策竇武、可謂万代一時也。功雖不終、然其信義足以攜持世心矣。”〔議曰、此所謂義重于生、捨生可也。〕
書き下し
或るひと曰く「然らば則ち竇武・陳蕃、宦者と朝廷に衡を争い、終に誅せらる。非と為すか」と。范曄曰く「桓・霊の世、陳蕃の徒の若きは、咸な能く風声を樹立し、昏俗に抗論し、岨峗の中に駆馳して、腐夫と衡を争う。終に滅亡を取る者は、彼は情志を潔くし、埃霧を違るる能わざるに非ず。夫の世士の、俗を離るるを以て高しと為して、人倫相い恤む莫きを憫れむ。遯世を以て義に非ずと為す。故に屢しば退くも去らず。仁心を以て己が任と為す。道遠しと雖も弥いよ厲む。際会に遭値するに及び、策を竇武に協す。万代の一時と謂う可し。功は終わらずと雖も、然れども其の信義は以て世心を携持するに足る」と。〔議に曰く、此れ所謂義は生より重し、生を捨つるも可なり。〕
現代語訳
ある人が言った。「それでは竇武と陳蕃が、宦官と朝廷で勢力を争い、ついに誅されたのは、間違いだったのですか」。范曄は言った。「桓帝・霊帝の世に、陳蕃のような人々は、みな評判を打ち立て、暗い世俗に抗して論じ、険しい道を駆け回って、腐敗した者どもと張り合った。最後に滅亡を招いたのは、彼らが心と志を清く保ち、塵と霧を避けることができなかったからではない。世の士が、俗世を離れることを高しとして、人と人との道を互いに思いやらないことを憐れんだのである。世を逃れることを義でないとした。だからたびたび退いても去らなかった。仁の心を自分の任務とした。道は遠くてもいよいよ励んだ。時機に遭遇して、竇武と策を合わせた。万代に一度の時と言ってよい。功は成らなかったが、その信義は世の人心を支えるに足りる」。〔議していう。これがいわゆる義が生より重い、生を捨ててもよいという場合である。〕
解説

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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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呂氏春秋・髙義①君子の自ら行うや、動けば必ず義に縁る。行うこと必ず義に誠なれば、俗、之を窮せりと謂うと雖も、通ずるなり。行うこと義に誠ならず、動くこと義に縁らざれば、俗、之を通ぜりと謂うと雖も、窮せるなり。然らば則ち君子の窮通は、俗に異なる者有るなり。故に功に當りて以て賞を受け、罪に當りて以て罰を受く。賞當たらざれば、之に與うと雖も必ず辭す。罰誠に當たれば、之を赦すと雖も外けず。之を國に度れば、必ず利長久ならん。長久の主に於ける、必ず宜しく內は心に反して慚ぢずして然る後動くべし。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒此盗戒ヲ古ヨリ義ニ配スル。是モ的当テハナイ。義ト云ハ。支那国上代ノ教テ。其字ノココロスラムツカシキシヤ。釈名ニハ。義者宜也。裁制事物使合宜也トアル。礼記ニ。父慈子孝。兄良弟弟。夫義婦聴。長恵幼順。君仁臣忠。謂之人義也トアル。戦国ノ時。告子ハ仁内也義外也ト云。孟子ハ義モ内ナリト云。今ノ代ニ至テ。儒者カ講訳スルニモ。家家ニ違フ。又義ノ取用ヒ様ハ。古ノ君子ニテモ人人違フ。古今一定セヌコトシヤ。勿論学匠儒生ニ付シテ。其義趣ヲ説セテ聞ハ。面白キコトモ有ヘク。古今ノ事実行跡ヲ鑑ミハ。治道ノ一助ト成ルヘキナレトモ。王公大人テモ学才ナケレハ。其字義スラ解シ難キシヤ。万国古今ニ推通シ。智愚ニ推通シテ。教ヘ導ク道テハナイ。史記ニ。由余曰。中国所以乱也。夫自上世黄帝作為礼楽。身以先之。僅以小治。及其後世。日以驕婬。阻法度之威。以責督於下。下罷極則以仁義怨望於上。上下交争。怨而相篡弑。至絶滅宗。皆以此類也ト。看ヨ。仁義ハヨク取用レハ聖人ノ道ナレトモ。取ソコナヘハ乱ノ端トナル。