長短経 / 覇図
臣聞周有天下、其理三百餘年。成康之隆也、刑措四十餘年而不用、及其衰也、亦三百餘年。〔太公説文王曰、「雖屈於一人之下、則申於萬人之上、唯賢人而後能為之。」於是文王所就而見者六人、求而見者十人、所呼而友者千人、友之友謂之朋、朋之朋謂之黨、黨之黨謂之羣、以此友天下賢人者、二人而歸之、故曰、「三分天下有其二、以服事殷。」此之謂者也。〕故五伯〔音霸〕更起。伯者常佐天子、興利除害、誅暴禁邪、匡正海内、以尊天子。五伯既没賢聖莫續、天子孤弱、號令不行、諸侯恣行、強凌弱、衆暴寡。
新字:臣聞周有天下、其理三百余年。成康之隆也、刑措四十余年而不用、及其衰也、亦三百余年。〔太公説文王曰、「雖屈於一人之下、則申於万人之上、唯賢人而後能為之。」於是文王所就而見者六人、求而見者十人、所呼而友者千人、友之友謂之朋、朋之朋謂之党、党之党謂之羣、以此友天下賢人者、二人而帰之、故曰、「三分天下有其二、以服事殷。」此之謂者也。〕故五伯〔音覇〕更起。伯者常佐天子、興利除害、誅暴禁邪、匡正海内、以尊天子。五伯既没賢聖莫続、天子孤弱、号令不行、諸侯恣行、強凌弱、衆暴寡。
書き下し
臣聞く、周、天下を有ち、其の理まること三百余年。成康の隆んなるや、刑措きて四十余年用いられず。其の衰うるに及ぶや、亦た三百余年なり。〈太公、文王に説きて曰く「一人の下に屈すと雖も、則ち万人の上に申ぶるは、唯だ賢人にして後に能く之を為す」と。是に於て文王の就きて見る所の者六人、求めて見る者十人、呼びて友とする所の者千人。友の友、之を朋と謂い、朋の朋、之を党と謂い、党の党、之を群と謂う。此を以て天下の賢人を友とする者、二人にして之に帰す。故に曰く「天下を三分して其の二を有ち、以て殷に服事す」と。此れ之を謂う者なり。〉故に五伯更々起こる。伯なる者は常に天子を佐け、利を興し害を除き、暴を誅し邪を禁じ、海内を匡正して、以て天子を尊ぶ。五伯既に没して賢聖続く莫く、天子孤弱にして、号令行われず、諸侯恣に行い、強は弱を凌ぎ、衆は寡を暴す。
現代語訳
臣が聞くところでは、周が天下を保ち、治まったのは三百余年である。成王と康王の盛んなときは、刑罰を棚上げして四十余年使われなかった。その衰えもまた三百余年続いた。〈太公望が文王に説いた。「一人の下に屈しながら万人の上に伸びるのは、賢人だけができることです」。そこで文王が自分から出向いて会った者が六人、招いて会った者が十人、呼んで友とした者が千人。友の友を朋といい、朋の朋を党といい、党の党を群という。こうして天下の賢人を友とする者が二人続いて帰服した。だから「天下を三分してその二を保ちながら、殷に仕えた」というのである。〉こうして五覇が代わる代わる起こった。覇者とは常に天子を助け、利を興し害を除き、暴を誅し邪を禁じ、天下を正して天子を尊ぶ者である。五覇が没すると賢聖が続かず、天子は孤立して弱り、命令は行われず、諸侯は勝手に振る舞い、強者が弱者を凌ぎ、多数が少数を虐げた。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』七雄略臣聞く、天下は大器なり。群生は重蓄なり。器、大なれば以て独り理む可からず。蓄、重ければ以て自ら守る可からず。故に野を劃し疆を分かつは、侯を建つるに利ある所以なり。親疎相い鎮するは、盛衰に関わる所以なり。昔、周は二代に監み、爵を五等に立て、国を封ずること八百、同姓五十五。根を深くし本を固くし、抜く可からざるを為すなり。故に盛んなれば則ち周・召、其の治を相け、衰うれば則ち五覇、其の弱きを扶く。王室を夾輔し、厥の世を左右する所以なり。此れ三聖の法を制するの意なり。〈文・武・周公を三聖と為す。〉然れども下を厚くするの典は、尾大に弊る。
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『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。
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『長短経』覇図諸侯四方、咸な職貢を納む。道理均しきなり。徳有れば則ち以て王たり易く、徳無ければ則ち以て亡び易し。凡そ此に居る者は、周をして務めて徳を以て人を致さしめんと欲し、険に依り阻りて後世をして驕奢にして以て人を虐げしむるを欲せざるなり。周の盛んなる時に及び、天下和洽し、四夷風に向かい、義を慕い徳を懐い、附離して並び事う。天下、一卒を屯せず、一士を戦わしめずして、四夷大国の民、賓服せざるは莫く、其の貢職を効す。周の衰うるに及ぶや、分かれて両と為り、天下朝する莫く、周は制する能わず。其の徳薄きに非ず、形勢弱ければなり。
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『長短経』君徳覇主は士を制するに権を以てし、士を結ぶに信を以てし、士を使うに賞を以てす。信衰え士疎く賞毀たれば、士は用を為さず。〔左伝に曰く「楚、宋を囲む。宋、晋に如きて急を告ぐ。先軫曰く『施に報い患を救い、威を取り伯を定むるは、是に於てか在り』と。狐偃曰く『楚、始めて曹を得て新たに衛に婚す。若し曹・衛を伐たば、楚必ず之を救わん。則ち斉・宋免れん』と。是に於てか被廬に蒐し、三軍を作り、元帥を謀り、卻縠をして中軍を将いしむ。晋侯、始めて入りて其の民を教う。二年、之を用いんと欲す。子犯曰く『民、未だ義を知らず、未だ其の居に安んぜず』と。是に於てか出でて襄王を定め、入りて民を利するを務む。民、生を懐えり。将に之を用いんとす。子犯曰く『人、未だ信を知らず、未だ其の用を宣べず』と。是に於てか原を伐ちて以て之に信を示す。民の資を易うる者、豊かなるを求めず、其の辞を明らかに徴す。公曰く『可なるか』と。子犯曰く『民、未だ礼を知らず、未だ其の恭を生ぜず』と。是に於てか大いに蒐して以て之に礼を示し、執秩を作りて以て其の官を正す。人の聴、惑わずして而る後に之を用う。穀の戍を出だし、宋の囲みを釈き、一戦にして覇たり。文の教えなり」と。此れ五霸の徳なり。〕
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『長短経』覇図今、陛下、豊沛に起こり、卒三千人を収め、之を以て径ちに往きて蜀漢を巻き、三秦を定め、項籍と滎陽に戦い、成皋の口を争う。大戦七十、小戦四十。天下の民をして肝脳地に塗れ、父子、骨を中野に暴さしむること、勝げて数う可からず。哭泣の声、未だ絶えず、傷夷の卒、未だ起たず。而るに隆きを成康の時に比せんと欲す。臣、竊かに以て侔しからずと為す。
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『長短経』覇図茲れ自り厥の後、獫狁孔だ熾んに、封豕長蛇、重ねて上国を窺う。而して世故相い仍り、師出でて已に老ゆ。角城の高塁、日を指して淪陥す。公、王事を眷言し、発憤して食を忘れ、躬ら甲冑を擐き、険を祖ること夷きが若し。疆を分かち界を画し、青兗を開創す。此れ又た公の功なり。