長短経 / 覇図
天子䇿命公為魏王。〔孫權稱吴王、據江東、劉備襲益州牧劉璋、據蜀。天下遂三分矣。〕二十五年、薨於洛陽。子丕嗣〔丕字子桓、武帝太子也、是為文帝。、〕受漢禪。崩、子睿嗣〔睿字元仲、文帝太子也、是為明帝。〕崩、子齊王芳立〔十五年廢。〕廢、髙貴鄉公髦立〔七年弑〕廢、常道鄉公璜立。璜禪晉。〔晉封為陳留王。〕
新字:天子策命公為魏王。〔孫権称呉王、拠江東、劉備襲益州牧劉璋、拠蜀。天下遂三分矣。〕二十五年、薨於洛陽。子丕嗣〔丕字子桓、武帝太子也、是為文帝。、〕受漢禅。崩、子睿嗣〔睿字元仲、文帝太子也、是為明帝。〕崩、子斉王芳立〔十五年廃。〕廃、高貴郷公髦立〔七年弑〕廃、常道郷公璜立。璜禅晋。〔晋封為陳留王。〕
書き下し
天子、公に策命して魏王と為す。〈孫権、呉王と称し、江東に拠る。劉備、益州牧劉璋を襲い、蜀に拠る。天下、遂に三分す。〉二十五年、洛陽に薨ず。子丕嗣ぐ。〈丕は字は子桓、武帝の太子なり。是を文帝と為す。〉漢の禅を受く。崩じ、子叡嗣ぐ。〈叡は字は元仲、文帝の太子なり。是を明帝と為す。〉崩じ、子斉王芳立つ。〈十五年にして廃せらる。〉廃し、高貴郷公髦立つ。〈七年にして弑せらる。〉廃し、常道郷公璜立つ。璜、晋に禅る。〈晋、封じて陳留王と為す。〉
現代語訳
天子は曹公に詔を下して魏王とした。〈孫権が呉王と称して江東に拠った。劉備が益州牧劉璋を襲って蜀に拠った。天下はついに三分した。〉建安二十五年、洛陽で薨じた。子の曹丕が嗣いだ。〈曹丕は字を子桓といい、武帝の太子である。これが文帝である。〉漢から禅譲を受けた。崩じて子の曹叡が嗣いだ。〈曹叡は字を元仲といい、文帝の太子である。これが明帝である。〉崩じて子の斉王芳が立った。〈十五年で廃された。〉廃して高貴郷公髦が立った。〈七年で弑された。〉廃して常道郷公璜が立った。璜は晋に禅った。〈晋は封じて陳留王とした。〉
解説
三国鼎立の成立から魏の終わりまでが数行で流れます。曹操が魏王になり、二十五年に没し、子が禅譲を受け、孫の代までは順当でした。そこから先は廃位、弑逆、また廃位。四十数年で他家に渡ります。禅譲で得たものが禅譲で去っていく。同じ手続きが使われたところに、この時代の手続きの意味が表れています。力ずくで奪わずに済む方法は、奪う側にとっても便利すぎました。
この章句が説くこと
覇図曹操魏王三国禅譲廃位
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