長短経 / 臣行
〔晉侯使荀桓子與楚戰于邲、桓子敗歸而請死、晉侯欲許之。士貞子曰、“不可。城濮之役、晉師三日館穀、文公猶有憂色。左右曰、『有喜而憂、如有憂而喜乎?』公曰、『得臣猶在、憂未歇也。困獸猶鬭况國相乎!』及楚殺子玉、公喜而後可知、曰、『是晉再克而楚再敗也。』楚是以再世不競。今天或者大警晉也、而又殺林父、以重楚勝、其無乃不競乎?林父之事君也、進思盡忠、退思補過、社稷之衛也。君若之何殺之?夫其敗也、如日月之蝕、何損于明?”晉侯使之復其位也。〕
新字:〔晋侯使荀桓子与楚戦于邲、桓子敗帰而請死、晋侯欲許之。士貞子曰、“不可。城濮之役、晋師三日館穀、文公猶有憂色。左右曰、『有喜而憂、如有憂而喜乎?』公曰、『得臣猶在、憂未歇也。困獣猶闘況国相乎!』及楚殺子玉、公喜而後可知、曰、『是晋再克而楚再敗也。』楚是以再世不競。今天或者大警晋也、而又殺林父、以重楚勝、其無乃不競乎?林父之事君也、進思尽忠、退思補過、社稷之衛也。君若之何殺之?夫其敗也、如日月之蝕、何損于明?”晋侯使之復其位也。〕
書き下し
〔晋侯、荀桓子をして楚と邲に戦わしむ。桓子敗れ帰りて死を請う。晋侯、許さんと欲す。士貞子曰く「不可なり。城濮の役、晋師は三日館穀す。文公は猶お憂色有り。左右曰く『喜び有りて憂う、如し憂い有らば喜ばんか』と。公曰く『得臣猶お在り。憂い未だ歇まざるなり。困獣すら猶お闘う。況んや国相をや』と。楚の子玉を殺すに及び、公喜びて後に知る可し。曰く『是れ晋の再び克ちて楚の再び敗るるなり』と。楚は是を以て再世競わず。今、天は或いは大いに晋を警むるならん。而るに又た林父を殺して、以て楚の勝ちを重ねば、其れ乃ち競わざること無からんや。林父の君に事うるや、進みては忠を尽くすを思い、退きては過ちを補うを思う。社稷の衛りなり。君、之を如何ぞ殺さん。夫れ其の敗るるや、日月の蝕の如し。何ぞ明を損せん」と。晋侯、之をして其の位に復せしむるなり。〕
現代語訳
〔晋侯が荀林父に楚と邲で戦わせた。荀林父は敗れて帰り、死罪を願い出た。晋侯は許そうとした。士貞子は言った。「いけません。城濮の戦いで、晋の軍は三日間敵の食糧で食事をしました。それでも文公には憂いの色がありました。側近が『喜ぶべきときに憂えておられる。もし憂うべきときなら喜ばれるのか』と言いました。文公は『成得臣がまだ生きている。憂いはやまない。追いつめられた獣でさえ戦う。まして一国の宰相ならなおさらだ』と言いました。楚が子玉を殺すに及んで、文公の喜びようが分かりました。『これは晋が二度勝ち、楚が二度敗れたのだ』と言いました。楚はこのために二代にわたって振るいませんでした。いま天はおそらく大いに晋を戒めているのでしょう。それなのにまた荀林父を殺して、楚の勝ちを重ねたら、振るわなくなるのではありませんか。荀林父の君への仕え方は、進んでは忠を尽くすことを思い、退いては過ちを補うことを思うものです。国家の守りです。君はどうしてこれを殺されるのですか。その敗北は、日月の食のようなものです。どうして明るさを損なうでしょう」。晋侯は荀林父をもとの位に戻した。〕
解説

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説苑・尊賢晋荊(楚)邲に戦い、晋師敗績す。荀林父将に帰りて死を請わんとす。昭公将に之を許さんとす。士貞伯曰く、「不可なり。城濮の役、晋荊に勝つも、文公猶お憂色有り、曰く『子玉猶お存す、憂い未だ歇まざるなり』と。困獣猶お闘う、況んや国の相をや。荊子玉を殺すに及びて、乃ち喜びて曰く、『予を毒する莫きなり』と。今殺せば、是れ荊の勝ちを重んずるなり。今天或いは大いに晋を警むるなり。林父の君に事うるや、進みては忠を尽くさんことを思い、退きては過ちを補わんことを思う、社稷の衛りなり。今之を殺さば、是れ荊の勝ちを重んずるなり」と。昭公曰く、「善し」と。乃ち復た将たらしむ。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 進みては忠を尽くす是の役や、鄭の石制、實に楚の師を入れ、將に以て鄭を分ちて、公子魚臣を立てんとす。辛未、鄭僕叔及び子服を殺す。君子曰く、「史佚の所謂亂を怙むこと毋かれとは、是の類を謂ふなり。詩に曰く、『亂離瘼めり、爰に其れ適き歸せん』と。亂を怙む者に歸するかな」と。鄭伯・許男、楚に如く。秋、晉の師歸る。桓子死を請ふ、晉侯之を許さんと欲す。士貞子諫めて曰く、「不可なり。城濮の役、晉の師三日穀す、文公猶ほ憂色有り。左右曰く、『喜び有りて憂ふ、如し憂ひ有らば喜ばんか』と。公曰く、『得臣猶ほ在り、憂ひ未だ歇まざるなり』と。困獸すら猶ほ鬥ふ、況んや國相をや。楚の子玉を殺すに及びて、公喜びて而る後に知るべきなり、曰く、『余を毒する莫きのみ』と。是れ晉再び克ちて楚再び敗るるなり。楚是を以て再世競はず。今天或いは者大いに晉を警むるなり、而るに又林父を殺して以て楚の勝ちを重ねば、其れ乃ち久しく競はざること無からんや。林父の君に事ふるや、進みては忠を盡くさんことを思ひ、退きては過ちを補はんことを思ふ、社稷の衛なり、若之何ぞ之を殺さん。夫れ其の敗るるや、日月の食の如し、何ぞ明を損せん」と。晉侯其の位に復せしむ。
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史記 晋世家且つ子玉猶ほ在り。庸ぞ喜ぶべけんや」と。子玉の敗れて帰るや、楚の成王其の言を用ひず、晋と戦ふを貪りしを怒り、子玉を譲責す。子玉自殺す。晋の文公曰く、「我其の外を撃ち、楚其の内を誅す。内外相応ず」と。是に於て乃ち喜ぶ。六月、晋人復た衛侯を入る。壬午、晋侯河を度りて北のかた国に帰る。賞を行ひ、狐偃を首と為す。或ひと曰く、「城濮の事は、先軫の謀なり」と。文公曰く、「城濮の事は、偃我に説きて信を失ふこと毋からしむ。先軫曰く『軍事は勝つを右と為す』と。吾之を用ひて以て勝てり。然れども此れ一時の説なり。偃は万世の功を言ふ。奈何ぞ一時の利を以て万世の功に加へん。是を以て之を先にす」と。冬、晋侯諸侯を温に会し、之を率ゐて周に朝せんと欲す。力未だ能はず。其の畔く者有らんことを恐れ、乃ち人をして周の襄王に河陽に狩りせんことを言はしむ。壬申、遂に諸侯を率ゐて王に践土に朝す。孔子史記を読みて文公に至り、「諸侯は王を召すこと無し」「王河陽に狩りす」と曰ふは、春秋之を諱むなり。丁丑、諸侯許を囲む。曹伯の臣或いは晋侯に説きて曰く、「斉の桓公諸侯を合して異姓を国せしむ。今君会を為して同姓を滅ぼす。曹は叔振鐸の後なり。晋は唐叔の後なり。諸侯を合して兄弟を滅ぼすは、礼に非ず」と。晋侯説び、曹伯を復す。是に於て晋始めて三行を作る。荀林父中行に将たり、先縠右行に将たり、先蔑左行に将たり。七年、晋の文公・秦の繆公共に鄭を囲む。其の文公の亡げて過ぎりし時に無礼なりしと、城濮の時に鄭楚を助けしとを以てなり。鄭を囲み、叔瞻を得んと欲す。叔瞻之を聞きて自殺す。鄭叔瞻を持ちて晋に告ぐ。晋曰く、「必ず鄭君を得て心を甘んぜん」と。鄭恐れ、乃ち間に使ひをして秦の繆公に謂はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり。而して秦は未だ利と為さず。君何ぞ鄭を解きて、東道の交はりと為るを得ざる」と。秦伯説び、兵を罷む。晋も亦た兵を罷む。
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史記 秦本紀兵を発して秦の兵を殽に遮り、之を撃ちて、大いに秦の軍を破り、一人も脱るるを得る者無し。秦の三将を虜にして以て帰る。文公の夫人は、秦の女なり。秦の三囚将の為に請ひて曰く、「繆公の此の三人を怨むこと骨髄に入る。願はくは此の三人をして帰らしめ、我が君をして自ら快く之を烹るを得しめよ」と。晋君之を許し、秦の三将を帰す。三将至る。繆公素服して郊迎し、三人に向かひて哭して曰く、「孤百里傒・蹇叔の言を用ゐざるを以て三子を辱む、三子何の罪かあらん。子其れ心を悉くして恥を雪げ、怠る毋かれ」と。遂に三人の官秩を復すること故の如くし、愈益之を厚くす。三十四年、楚の太子商臣其の父成王を弒して代はりて立つ。繆公是に於て復た孟明視等をして兵を将ゐて晋を伐たしめ、彭衙に戦ふ。
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『長短経』臣行故に孫卿曰く『四世勝つ有るは、幸に非ざるなり、数なり』と。夫れ霸君の斉の桓・晋の文の若き者は、桓は柯の盟に倍かず、文は原の期に負かず。而して諸侯之を信ず。此れ管仲・咎犯の知謀なり。今、商君は公子卬の旧恩に倍き、魏に交わるの明信を棄て、詐りて三軍の衆を取る。故に諸侯は其の強きを畏れて、親信する莫きなり。藉し孝公をして斉の桓・晋の文に遇い、諸侯の統を得しめば、将に諸侯の君を合わせ、天下の兵を駆りて以て秦を伐たんとす。秦は則ち亡びん。天下に桓・文の君無し。故に秦は以て諸侯を兼ぬるを得たるなり。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 釁を観て動く夏、六月、晉師鄭を救ふ。荀林父中軍に將たり、先縠之に佐たり。士會上軍に將たり、郤克之に佐たり。趙朔下軍に將たり、欒書之に佐たり。趙括・趙嬰齊中軍の大夫為り。鞏朔・韓穿上軍の大夫為り。荀首・趙同下軍の大夫為り。韓厥司馬為り。河に及び、鄭既に楚と平らぐと聞く。桓子還らんと欲して曰く、「鄭に及ぶ無くして、民を勦(つか)らす、焉んぞ之を用ゐん。楚歸りて動くも、後れず」と。隨武子曰く、「善し。會聞く、師を用ゐるには釁(きん)を觀て動く、と。德・刑・政・事・典・禮易(か)はらざれば、敵す可からざるなり。是が為に征せず。楚軍鄭を討ず、其の貳を怒りて其の卑きを哀れむ。叛けば之を伐ち、服すれば之を舍す。德刑成れり。叛くを伐つは、刑なり。服するを柔らぐるは、德なり。二者立てり。昔歲陳に入り、今茲鄭に入る。民罷勞せず、君怨讟(ゑんどく)無し。政經有り。荊尸して舉ぐ。商農工賈、其の業を敗らずして、卒乘輯睦す。事奸(をか)さず。蔿敖宰と為り、楚國の令典を擇ぶ。