長短経 / 覇図
漢王如滎陽、使韓信擊魏王豹、虜之。〔漢王問酈生曰、「魏王大将誰也?」曰、柏直。」王曰、「此其口尚乳臭、不能當韓信騎将馮敬。」王曰、「不能當灌嬰歩将項他。」王曰、「不能當曹叅在、吾無患矣。」王乃以信為左丞相撃魏。信進兵、為陳舩欲渡臨晉、魏聚兵拒之。信乃伏兵從夏陽以木罌度軍、襲安邑、虜魏王豹、便進兵伐趙也。〕
新字:漢王如滎陽、使韓信撃魏王豹、虜之。〔漢王問酈生曰、「魏王大将誰也?」曰、柏直。」王曰、「此其口尚乳臭、不能当韓信騎将馮敬。」王曰、「不能当灌嬰歩将項他。」王曰、「不能当曹参在、吾無患矣。」王乃以信為左丞相撃魏。信進兵、為陳舩欲渡臨晋、魏聚兵拒之。信乃伏兵従夏陽以木罌度軍、襲安邑、虜魏王豹、便進兵伐趙也。〕
書き下し
漢王、滎陽に如き、韓信をして魏王豹を撃たしめ、之を虜にす。〈漢王、酈生に問いて曰く「魏王の大将は誰ぞや」と。曰く「柏直なり」と。王曰く「此れ其の口尚お乳臭し。韓信に当たる能わず」と。「騎将は馮敬なり」と。王曰く「灌嬰に当たる能わず」と。「歩将は項他なり」と。王曰く「曹参に当たる能わず。吾、患い無し」と。王乃ち信を以て左丞相と為して魏を撃たしむ。信、兵を進め、船を陳ねて臨晋に渡らんと欲するを為す。魏、兵を聚めて之を拒ぐ。信乃ち兵を伏せ、夏陽より木罌を以て軍を度し、安邑を襲い、魏王豹を虜にす。便ち兵を進めて趙を伐つなり。〉
現代語訳
漢王は滎陽へ行き、韓信に魏王豹を撃たせて捕虜にした。〈漢王が酈食其に尋ねた。「魏王の大将は誰か」。「柏直です」。王は言った。「まだ口に乳の匂いがする。韓信には敵わない」。「騎兵の将は馮敬です」。「灌嬰には敵わない」。「歩兵の将は項他です」。「曹参には敵わない。私は心配ない」。王はそこで韓信を左丞相として魏を撃たせた。韓信は兵を進め、船を並べて臨晋から渡るように見せかけた。魏は兵を集めてこれを防いだ。韓信は兵を伏せ、夏陽から木の甕で軍を渡らせ、安邑を襲い、魏王豹を捕虜にした。そのまま兵を進めて趙を伐った。〉
解説

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『長短経』覇図楚王韓信の反するを告ぐる有り。陳平の計を用いて之を擒にし、廃して淮陰侯と為す。〈高帝、諸将に問う。将曰く「亟やかに兵を発して豎子に抗するのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問う。平曰く「人、上書して信の反するを言う。人に聞知する者有りや」と。曰く「未だ有らず」と。曰く「信、之を知るか」と。曰く「知らず」と。平曰く「陛下の精兵、孰れぞ楚と」と。上曰く「過ぐる能わず」と。平曰く「陛下の将、用兵に能く韓信に敵する者有りや」と。上曰く「及ぶ莫きなり」と。平曰く「今、兵は楚の精に如かず、将も又た及ばず。而るに兵を挙げて之を撃つは、是れ戦いを趣すなり。竊かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く「之を為すこと奈何」と。平曰く「古者、天子は巡狩して諸侯に会す。南方に雲夢有り。陛下、第だ偽りて雲夢に遊ぶと出で、諸侯を陳に会せよ。陳は楚の西界なり。信、天子の好を以て出遊すと聞かば、其の勢い必ず郊迎せん。謁して陛下、因りて之を擒にせん。此れ特だ一力士の事なり」と。
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『智囊』詭道・韓信漢王、信を以て左丞相と為し、魏を擊たしむ。魏は兵を蒲坂に盛んにし、臨晋を塞ぐ。信乃ち益々疑兵を為し、船を陳べて臨晋に渡らんと欲す。而して伏兵は夏陽より木罌を以て軍を渡し、安邑を襲い、遂に魏王豹を虜にし、河東を定む。
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史記 淮陰侯列伝義兵を以て東帰を思ふの士に従はば、何の散ぜざる所あらん。且つ三秦の王は秦の将と為り、秦の子弟を将ゐること数歳なり。殺亡する所勝げて計ふべからず。又其の衆を欺きて諸侯に降る。新安に至り、項王詐りて秦の降卒二十余万を阬にし、唯独り邯・欣・翳のみ脱するを得たり。秦の父兄此の三人を怨み、痛み骨髄に入る。今楚彊にして威を以て此の三人を王とす。秦の民愛するもの莫きなり。大王の武関に入るや、秋豪も害する所無く、秦の苛法を除き、秦の民と約するに、法三章のみ。秦の民大王の秦に王たるを得んと欲せざる者無し。諸侯の約に於て、大王当に関中に王たるべし。関中の民咸之を知る。大王職を失ひて漢中に入る。秦の民恨まざる者無し。今大王挙げて東せば、三秦は檄を伝へて定むべきなり」と。是に於て漢王大いに喜び、自ら以て信を得ること晩しと為す。遂に信の計を聴き、諸将の撃つ所を部署す。八月、漢王兵を挙げて東し陳倉に出で、三秦を定む。漢の二年、関を出で、魏・河南を収む。韓・殷の王皆降る。斉・趙と合して共に楚を撃つ。四月、彭城に至り、漢兵敗散して還る。信復た兵を収めて漢王と滎陽に会し、復た楚を京・索の間に撃破す。故を以て楚の兵卒に西すること能はず。漢の彭城に敗却するや、塞王欣・翟王翳漢を亡げて楚に降る。斉・趙も亦漢に反きて楚と和す。六月、魏王豹謁して帰りて親の疾を視んとし、国に至るや、即ち河関を絶ちて漢に反き、楚と約和す。漢王酈生をして豹に説かしむるも、下らず。其の八月、信を以て左丞相と為し、魏を撃たしむ。魏王兵を蒲阪に盛んにし、臨晋を塞ぐ。信乃ち益々疑兵を為し、船を陳ねて臨晋を度らんと欲するも、伏兵夏陽より木罌缻を以て軍を渡し、安邑を襲ふ。魏王豹驚き、兵を引きて信を迎ふ。信遂に豹を虜にし、魏を定めて河東郡と為す。漢王張耳を遣はして信と倶にせしめ、兵を引きて東し、北のかた趙・代を撃たしむ。
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