長短経 / 昏智
〔戎王使由余觀秦、秦穆公以由余賢聖、問内史廖曰、「孤聞鄰國有聖人、敵國之憂也。今由余、寡人之害、将奈何?」内史廖曰、「戎王處僻匿、未嘗聞中國之聲、君試遺其女樂、以奪其志為由余請、以踈其間、留而英遣、以失其期。戎王怪之、必疑由余。且戎王好樂、必怠于政。」繆公曰、「善!」以女樂二八遺戎王、戎王受而悅之、終年不遷。由余諫、不聼繆公使人間要由余、由余遂降秦。
新字:〔戎王使由余観秦、秦穆公以由余賢聖、問内史廖曰、「孤聞鄰国有聖人、敵国之憂也。今由余、寡人之害、将奈何?」内史廖曰、「戎王処僻匿、未嘗聞中国之声、君試遺其女楽、以奪其志為由余請、以疎其間、留而英遣、以失其期。戎王怪之、必疑由余。且戎王好楽、必怠于政。」繆公曰、「善!」以女楽二八遺戎王、戎王受而悦之、終年不遷。由余諫、不聴繆公使人間要由余、由余遂降秦。
書き下し
〔戎王、由余をして秦を観しむ。秦の穆公、由余の賢聖なるを以て、内史廖に問いて曰く「孤聞く、隣国に聖人有るは、敵国の憂いなり、と。今、由余は寡人の害なり。将に奈何せん」と。内史廖曰く「戎王は僻匿に処り、未だ嘗て中国の声を聞かず。君試みに其の女楽を遺りて、以て其の志を奪い、由余の為に請いて、以て其の間を疎んぜよ。留めて遣らず、以て其の期を失わしめよ。戎王之を怪しみ、必ず由余を疑わん。且つ戎王楽を好まば、必ず政に怠らん」と。繆公曰く「善し」と。女楽二八を以て戎王に遺る。戎王受けて之を悦び、年を終うるまで遷らず。由余諫むるも、聴かれず。繆公人をして間に由余を要えしむ。由余遂に秦に降る。
現代語訳
〔戎王は由余に秦を視察させた。秦の穆公は由余が賢く聖人のようだと見て、内史の廖に問うた。「隣国に聖人がいるのは敵国の憂いだと聞く。いま由余は私にとって害だ。どうすればよいか」。廖は言った。「戎王は辺鄙な地にいて、中国の音楽を聞いたことがありません。試しに歌舞の女たちを贈ってその志を奪い、由余の滞在延長を願い出て二人の間を疎遠にし、由余を引き留めて帰さず、帰国の期限を過ぎさせてください。戎王は怪しんで必ず由余を疑います。しかも戎王が音楽を好めば、必ず政治を怠ります」。穆公は「よい」と言い、歌舞の女十六人を戎王に贈った。戎王は受け取って喜び、一年中遊牧地を移らなかった。由余が諫めても聞かれなかった。穆公は人を使ってひそかに由余を誘い、由余はついに秦に降った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・不苟③秦の繆公、戎の由余を見て、說びて之を留めんと欲す。由余肯ぜず。繆公以て蹇叔に告ぐ。蹇叔曰く、「君以て內史廖に告げよ。」內史廖對えて曰く、「戎人は五音と五味とに達せず。君、之を遺るに若かず。」繆公、女樂二八人と良宰とを以て之に遺る。戎王喜び、迷惑大亂し、酒を飲み、晝夜休まず。由余驟々諫むれども聽かず。因りて怒りて繆公に歸すなり。蹇叔、內史廖の為す所を為す能わざるに非ざるなり。其れ義として行わざるなり。繆公能く人臣をして時に其の正義を立てしむ。故に殽の恥を雪ぎ、而して西のかた河雍に至れるなり。
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説苑・反質秦の穆公閑にして、由余に問いて曰く、「古の明王聖帝、國を得國を失うは當に何を以てするか?」由余曰く、「臣之を聞く、當に儉を以て之を得、奢を以て之を失う。」穆公曰く、「願わくは奢儉の節を聞かん。」由余曰く、「臣聞く堯天下を有つに、土簋に飯し、土鈃に啜す、其の地南は交趾に至り、北は幽都に至り、東西は日の出入する所に至り、賓服せざる莫し。堯天下を釋き、舜之を受け、食器を作為し、木を斬りて之を裁ち、銅鐵を銷し、其の刃を脩め、猶お之を漆黑にして以て器と為す。諸侯侈國の服せざる者十有三。舜天下を釋きて禹之を受け、祭器を作為し、其の外を漆して朱もて其の內を畫き、繒帛もて茵褥と為し、觴勺彩有り、飾を為すこと彌よ侈にして、國の服せざる者三十有二。夏后氏以て沒し、殷周之を受け、大器を作為し、九傲を建て、食器彫琢し、觴勺刻鏤し、四壁四帷、茵席彫文す、此れ彌よ侈にして、國の服せざる者五十有二。君文章を好めば、服する者彌よ侈す、故に儉は其の道なりと曰う。」由余出づるや、穆公內史廖を召して之に告げて曰く、「寡人鄰國に聖人有るを聞く、敵國の憂いなり。今由余は聖人なり、寡人之を患う。吾將に奈何せんとする?」內史廖曰く、「夫れ戎は辟にして遼遠なり、未だ中國の聲を聞かざるなり、君其れ之に女樂を遺りて以て其の政を亂し、而して厚く由余の為に期を請いて、以て其の間を疏んぜよ、彼君臣間有らば、然る後圖るべし。」君曰く、「諾。」と。乃ち女樂三九を以て戎王に遺り、因りて由余の為に期を請う。戎王果たして女樂を具えて之を好み、酒を設け樂を聽き、終年遷らず、馬牛羊半ば死す。由余歸りて諫むるも、諫聽かれず、遂に去りて、秦に入る、穆公迎えて拜して上卿と為す。其の兵勢と其の地利とを問い、既已に得れば、兵を舉げて之を伐ち、國十二を兼ね、地千里を開く。穆公奢主なるも、能く賢を聽き諫を納るる、故に西戎に霸たり。西戎は樂に淫し、利に誘われ、以て其の國を亡ぼす、質樸を離るるに由るなり。
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『韓非子』十過第十女樂に耽り、國政を顧みざるは、則ち國を亡ぼすの禍なり。
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『長短経』昏智夫れ神なる者は、智の淵なり。神清ければ則ち智明らかなり。智なる者は、心の符なり。智公なれば則ち心平らかなり〔此れ文子に出づ〕。今、士に神清く智明らかにして成敗に闇き者有り。愚に非ざるなり。声色・貨利・怒愛を以て其の智を昏くすればなり。何を以て之を言う。昔、孔子魯の相を摂る。斉の景公聞きて懼れて曰く「孔子政を為さば、魯必ず霸たらん。霸たらば則ち吾が地近し。我之が先に并せられん」と。犁且曰く「仲尼を去るは猶お毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を延くに重禄を以てし、哀公に遺るに女楽を以てせざる。哀公親ら之を楽しまば、必ず政に怠らん。仲尼必ず諫めん。諫めて聴かれずんば、必ず軽く魯を絶たん」と。是に於て斉国中の女子の好き者八十人を選び、皆文繡の衣を衣て康楽を舞わしめ、魯君に遺る。魯君、斉の女楽を受け、事に怠り、三日政を聴かず。孔子曰く「彼の婦の口、以て出で走るべし」と。遂に衛に適く。此れ声色に昏き者なり。
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呂氏春秋・壅塞②秦の繆公の時、戎、彊大なり。秦の繆公、之に女樂二八と良宰とを遺る。戎王大いに喜び、其の故を以て、數々飲食し、日夜休まず。左右に秦の寇の至らんことを言う者有り、因りて弓を扞きて之を射る。秦の寇果して至る。戎王醉いて樽下に臥す。卒に生縛して之を擒にせり。未だ擒にせられざれば、則ち知る可からず。已に擒にせらるれば、則ち又知らず。善く說く者と雖も、猶ほ此を若何せん。
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史記 秦本紀鄭人に鄭を秦に売る者有りて曰く、「我其の城門を主る、鄭襲ふ可し」と。繆公蹇叔・百里傒に問ふ、対へて曰く、「数国を径て千里にして人を襲ふは、利を得る者希なり。且つ人鄭を売る、庸ぞ我が国人の我が情を以て鄭に告ぐる者有らざるを知らんや。不可なり」と。繆公曰く、「子知らざるなり、吾已に決せり」と。遂に兵を発す。晉の襄公秦兵を殽に遮り、之を撃ちて、大いに秦軍を破り、一人も脱するを得る者無し。