長短経 / 五間
費邑分遣其弟敢守巨里、弇進兵、先脅巨里、多伐樹木、揚言以填塞坑壍數日有降者、言邑聞弇欲攻巨里、謀來救之。弇乃嚴令軍中趣治攻具、後三日當悉攻巨里。隂緩生口、令得亡歸、歸者以弇期告邑。邑至日果自將來救之、弇喜謂諸將曰、“吾所修攻具者、欲誘致邑耳。今來、適吾所求也。”即分三千人守巨里、自引精兵止崗坂乘髙合戰、大破之、臨陣斬邑〔或問孫子曰、“敵衆而整、將來、待之若何?”曰、“先奪其所愛、則聼矣。”又曰、“善戰者、致人而不致于人。”弇揚言攻巨里也、亦奪其所愛、令自致之計也。〕此用因間之勢也。
新字:費邑分遣其弟敢守巨里、弇進兵、先脅巨里、多伐樹木、揚言以填塞坑壍数日有降者、言邑聞弇欲攻巨里、謀来救之。弇乃厳令軍中趣治攻具、後三日当悉攻巨里。陰緩生口、令得亡帰、帰者以弇期告邑。邑至日果自将来救之、弇喜謂諸将曰、“吾所修攻具者、欲誘致邑耳。今来、適吾所求也。”即分三千人守巨里、自引精兵止崗坂乗高合戦、大破之、臨陣斬邑〔或問孫子曰、“敵衆而整、将来、待之若何?”曰、“先奪其所愛、則聴矣。”又曰、“善戦者、致人而不致于人。”弇揚言攻巨里也、亦奪其所愛、令自致之計也。〕此用因間之勢也。
書き下し
費邑、分かちて其の弟敢を遣わして巨里を守らしむ。弇、兵を進め、先ず巨里を脅かし、多く樹木を伐り、揚言して以て坑塹を填塞せんとす。数日にして降る者有り、言う、邑は弇の巨里を攻めんと欲するを聞き、来たりて之を救わんと謀る、と。弇乃ち厳しく軍中に令して趣やかに攻具を治めしめ、後三日にして当に悉く巨里を攻むべしとす。陰かに生口を緩め、亡げ帰るを得しむ。帰る者、弇の期を以て邑に告ぐ。邑、日に至りて果たして自ら将いて来たりて之を救う。弇喜びて諸将に謂いて曰く「吾が攻具を修むる所以の者は、邑を誘致せんと欲するのみ。今来たるは、適に吾が求むる所なり」と。即ち三千人を分かちて巨里を守らしめ、自ら精兵を引きて岡坂に止まり、高きに乗じて合戦し、大いに之を破り、陣に臨みて邑を斬る〔或るひと孫子に問いて曰く「敵衆くして整い、将に来たらんとす。之を待つこと若何」と。曰く「先ず其の愛する所を奪えば、則ち聴かん」と。又た曰く「善く戦う者は、人を致して人に致されず」と。弇の巨里を攻めんと揚言するも、亦た其の愛する所を奪いて、自ら致さしむるの計なり〕。此れ因間を用うるの勢いなり。
現代語訳
費邑は弟の費敢を分けて巨里を守らせた。耿弇は兵を進め、まず巨里を脅かし、木を多く切り倒し、堀を埋めると言いふらした。数日して投降してきた者が、費邑は耿弇が巨里を攻めると聞いて救援に来ようと謀っている、と言った。耿弇はそこで軍中に厳しく命じて急いで攻城具を整えさせ、三日後に全軍で巨里を攻めると告げた。そしてひそかに捕虜の見張りを緩めて逃げ帰らせた。逃げ帰った者は、耿弇が攻める日を費邑に告げた。費邑はその日に果たして自ら兵を率いて救援に来た。耿弇は喜んで諸将に言った。「私が攻城具を整えたのは、費邑をおびき寄せたかったからだ。いま来たのは、まさに望むところだ」。すぐに三千人を分けて巨里を囲ませ、自らは精兵を率いて丘の坂にとどまり、高所に乗じて戦い、大いに破って、陣の前で費邑を斬った〔ある人が孫子に「敵が多く整然として攻めてきたら、どう待てばよいか」と問うと、孫子は「まず敵が大切にしているものを奪えば、こちらの思いどおりになる」と答えた。また「戦上手は敵を呼び寄せ、敵に呼び寄せられない」とも言う。耿弇が巨里を攻めると言いふらしたのも、敵が大切にするものを奪うと見せて、自らやって来させる計である〕。これが因間を用いた形勢である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』五間反間なる者は、敵の間に因りて之を用うる者なり〔曹公曰く「敵間をして来たりて我を視しむ。我之を知り、因りて厚く賂い重く許して、反りて我が間と為さしむ。故に反間と曰う」と。蕭世誠曰く「敵人をして来たりて我を候わしむるに、我佯りて知らずして示すに虚事を以てし、期会を前却して、帰りて相語らしむるを言う。故に反間と曰うなり」と〕。生間なる者は、反りて報ずる者なり〔己に賢才智謀有りて、能く自ら敵の親貴に開通し、其の動静を察し、其の事計の為す所を知る者を択び、己其の実を知りて還りて報ず。故に生間と曰うなり〕。
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『長短経』五間故に間に五間有り。因間有り、内間有り、反間有り、生間有り、死間有り。五間俱に起こりて、其の道を知る莫し。因間なる者は、其の郷人に因りて之を用うる者なり〔敵の郷邑の人は、敵の表裏虚実を知り、伺候聴察し、辞を通じ言を致さしむべきを言う。故に曰く、因の用は、賞禄を先と為す、と〕。内間なる者は、其の官人に因りて之を用うる者なり〔其の官に在りて職を失う者、刑誅の子孫と罰を受くるの家の若きに因るなり。其の隙有るに因りて、就きて之を用う〕。
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孫子・用間篇五間の事は、主必ず之を知る。之を知るは必ず反間に在り、故に反間は厚くせざるべからざるなり。
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孫子・用間篇五間俱に起こりて、其の道を知ること莫し。是を神紀と謂う、人君の宝なり。
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『長短経』五間周礼に曰く「国を巡りて諜を伝うる者は、反間なり」と。呂望云う「間は、飛言を構え、聚めて一卒と為す」と。是に知る、間を用うるの道は、一日に非ざるなり。〔凡そ白気群行し、徘徊して陣を結びて来たる者有らば、他国の人来たりて図らんと欲するなり。人応ずべからず。其の往く所を視て、随いて之を撃たば、得べきなり。或いは黒気の我が軍上に臨み、車輪の如く行く有らば、敵人深く入りて、吾が国の臣を謀乱す。或いは黒気遊行し、中に五色を含み、我が軍上に臨む有らば、敵必ず諸侯を謀合して我が国を伐たん。諸侯反りて軍を謀れば、軍自ら敗る。或いは黒気の幢の如く、営中より出で、上は黒く下は黄なる有らば、敵来たりて戦いを求めんと欲す。誠実無く、言信相反す。九日の内に必ず覚る。之に備うれば、吉なり。或いは日月陰沈して、光無く雨ふらず、或いは十日昼夜日月を見ざれば、名づけて蒙と曰い、臣主を謀る。故に曰く、久しく陰りて雨ふらざるは、臣主を謀るなり、と。〕
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『長短経』五間死間なる者は、誑事を外に為し、吾が間をして之を知らしめて、敵の間を待つ者なり。〔詐誑の事を外に作し、佯りて之を漏泄す。吾が間をして之を知らしむ。吾が間敵中に至り、敵の得る所と為らば、必ず誑事を以て敵に輸す。敵従いて之に備うるも、吾が行う所は然らず。間は則ち死す。又た、一に云う、敵の間来たりて営に在り、我が誑事を間して持ち帰る。然れども皆吾が図る所に非ず。二間皆幽隠を知らず。故に死間と曰う、と。蕭世誠云う「獲る所の敵人及び己が軍士の重罪有りて繋がるる者、故に免じと為し、相勅して泄らすこと勿からしめ、佯りて秘密ならずして、拘わるる者をして竊かに之を聞かしむ。因りて之を緩め、亡げしむ。亡ぐれば必ず敵に帰し、聞く所を以て之に告ぐ。敵必ず焉を信じ、往けば必ず間ならず。故に死間と曰う者なり」と。〕