長短経 / 懼戒
〔議曰、劉向稱、「人君莫不欲安、然而常危、莫不欲存、然而常亡、失御臣之術也。」夫人臣操權柄、持國政、未有不為害者也。昔晉有六卿、齊有田、崔、衛有孫、甯魯有季、孟、常掌國事、世執朝柄。終復、田氏取齊、六卿分晉、崔杼弑其君光、孫林父、甯殖出其君衎弑其君剽、季氏八佾舞于庭、三家者以雍徹、並専國政、卒逐昭公、皆隂勝而陽㣲下失臣道之所致也。」
新字:〔議曰、劉向称、「人君莫不欲安、然而常危、莫不欲存、然而常亡、失御臣之術也。」夫人臣操権柄、持国政、未有不為害者也。昔晋有六卿、斉有田、崔、衛有孫、甯魯有季、孟、常掌国事、世執朝柄。終復、田氏取斉、六卿分晋、崔杼弑其君光、孫林父、甯殖出其君衎弑其君剽、季氏八佾舞于庭、三家者以雍徹、並専国政、卒逐昭公、皆陰勝而陽微下失臣道之所致也。」
書き下し
〔議に曰く、劉向称す「人君は安からんことを欲せざるは莫し。然れども常に危うし。存せんことを欲せざるは莫し。然れども常に亡ぶ。臣を御するの術を失えばなり。夫れ人臣権柄を操り、国政を持して、未だ害を為さざる者有らざるなり。昔、晋に六卿有り、斉に田・崔有り、衛に孫・甯有り、魯に季・孟有り、常に国事を掌り、世々朝柄を執る。終に復た、田氏は斉を取り、六卿は晋を分かち、崔杼は其の君光を弑し、孫林父・甯殖は其の君衎を出だし、其の君剽を弑す。季氏は八佾もて庭に舞い、三家は雍を以て徹す。並びに国政を専らにし、卒に昭公を逐う。皆陰勝りて陽微、下臣道を失うの致す所なり」と。
現代語訳
〔論じて言う。劉向は言った。「君主で安泰を望まない者はいないが、いつも危うい。存続を望まない者はいないが、いつも滅ぶ。臣下を御する術を失うからである。臣下が権力を握り国政を掌握して、害をなさなかった例はない。昔、晋には六卿がおり、斉には田氏・崔氏、衛には孫氏・甯氏、魯には季氏・孟氏がいて、いつも国事を掌り、代々朝廷の権を握っていた。ついには田氏が斉を奪い、六卿が晋を分け、崔杼は主君の光を殺し、孫林父と甯殖は主君の衎を追い出し、主君の剽を殺した。季氏は天子の舞である八佾を自分の庭で舞わせ、三家は天子の楽の雍を奏でて供え物を下げた。いずれも国政を独占し、ついに昭公を追い出した。どれも陰が勝って陽が衰え、下の者が臣の道を失った結果である」。
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言孔子曰く、「船は水に非ざれば行く可からず、水船中に入れば、則ち其れ没す。故に曰く、君子は厳ならざる可からざるなり、小人は閉ざさざる可からざるなり」と。
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『墨子』備城門老小の事とせざる者をして城上に守らしむ。術に當たらざる者なり。城、持ちて出づるには必ず眀填を為り、吏民をして皆な之を智知せしむ。一人より百人以上に従うも、持ちて出でて填章を操らざれば、人に従うも亦た故人に非ざれば、乃ち亦た稹章あるなり。千人の将以上、之を止め、行くを得しむる勿かれ。行きて吏卒、之に従わば、皆な斬り、具に以て上に聞す。此れ守城の重禁なり。夫れ姦の生ずる所、審らかにせざる可からざるなり。
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孫子・九地篇是の故に其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信ず。祥を禁じ疑いを去れば、死に至るまで之く所無し。
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