長短経 / 覇図
裕等所以叩心泣血、不遑啟處、夕寤宵興、思奬忠烈、潜搆﨑嶇、過於履虎、乘機奮發、義不圖全。輔國將軍劉毅、廣武將軍何無忌等、忠烈斷金、精誠貫日、投袂荷戈、志在畢命。義衆既集、文武爭先、咸謂不有一統、事無以輯、辭不獲已遂總軍要、庶上憑祖宗之靈、下罄義夫之力、翦馘逋逆、盪清華夏。公侯諸君、或世樹忠貞、或身寵爵祿、而並俛眉猾竪無由自効。顧瞻周道、寧不弔乎?今日之事、良其㑹也。裕以虚薄、才非古人、受任於既傾之運、接勢於己替之機、丹誠未宣、感奮填激、望霄漢以永懐、顧山川而增佇。投檄之日、神馳賊廷。」
新字:裕等所以叩心泣血、不遑啓処、夕寤宵興、思奨忠烈、潜搆﨑嶇、過於履虎、乗機奮発、義不図全。輔国将軍劉毅、広武将軍何無忌等、忠烈断金、精誠貫日、投袂荷戈、志在畢命。義衆既集、文武争先、咸謂不有一統、事無以輯、辞不獲已遂総軍要、庶上憑祖宗之霊、下罄義夫之力、翦馘逋逆、盪清華夏。公侯諸君、或世樹忠貞、或身寵爵禄、而並俛眉猾竪無由自効。顧瞻周道、寧不弔乎?今日之事、良其会也。裕以虚薄、才非古人、受任於既傾之運、接勢於己替之機、丹誠未宣、感奮填激、望霄漢以永懐、顧山川而增佇。投檄之日、神馳賊廷。」
書き下し
裕等の心を叩き血に泣き、啓処するに遑あらず、夕に寤め宵に興き、忠烈を奨めんことを思い、潜かに崎嶇を構うること、虎を履むに過ぐる所以なり。機に乗じて奮発し、義は全きを図らず。輔国将軍劉毅・広武将軍何無忌等、忠烈は金を断ち、精誠は日を貫く。袂を投じ戈を荷い、志は命を畢うるに在り。義衆既に集まり、文武争いて先んず。咸な謂う、一統有らずんば、事、以て輯むる無しと。辞して已むを獲ず、遂に軍要を総ぶ。庶わくは上は祖宗の霊に憑り、下は義夫の力を罄くし、逋逆を翦馘し、華夏を盪清せん。公侯諸君、或いは世々忠貞を樹て、或いは身ら爵禄に寵せらる。而して並びに眉を俛して猾豎にし、自ら効す由無し。周道を顧瞻するに、寧んぞ弔せざらんや。今日の事、良に其の会なり。裕、虚薄を以て、才は古人に非ず。任を既に傾くの運に受け、勢いを已に替わるの機に接す。丹誠未だ宣べず、感奮填激す。霄漢を望みて以て永懐し、山川を顧みて佇を増す。檄を投ずるの日、神は賊廷に馳す」と。
現代語訳
私たちが胸を叩き血の涙を流し、落ち着く暇もなく、夜に目覚め夜半に起き、忠烈を励まそうと思い、ひそかに険しい道を構えてきたのは、虎を踏むより危ういことだった。機に乗じて奮い立ち、義のために身の安全を図らない。輔国将軍劉毅、広武将軍何無忌らは、忠烈は金を断ち切り、まごころは日を貫く。袖を払って戈を担ぎ、志は命を懸けることにある。義兵はすでに集まり、文武の者が先を争う。みな、統一する者がなければ事はまとまらないと言う。辞退したが許されず、軍の要を総べることになった。願わくは上は祖宗の霊に頼り、下は義士の力を尽くし、逃げた逆賊を討ち取り、中華を清め払いたい。公侯の諸君は、あるいは代々忠貞を立て、あるいは自ら爵禄を受けている。それなのにみな眉を伏せて狡猾な小人に従い、力を尽くす道がない。周の道を顧みて、痛ましく思わないでいられようか。今日の事こそ、まさにその機会である。私は薄い器で、才は古人に及ばない。傾いた運の中で任を受け、すでに移った機に接した。まごころをまだ述べ尽くせず、感じて奮い立ち胸がつまる。天を望んで長く思い、山川を顧みて立ち尽くす。この檄を投じる日、心はすでに賊の朝廷へ駆けている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節斉の崔杼荘公を弑す。邢蒯瞶晋に使いして反る。其の僕曰わく、「崔杼荘公を弑せり、子将に奚くにか如かんとす」と。邢蒯瞶曰わく、「之を駆れ、将に入りて死して君に報いん」と。其の僕曰わく、「君の無道なるや、四鄰の諸侯聞かざる莫し。夫子を以て之に死するは亦難からずや」と。邢蒯瞶曰わく、「善く能く言えり。然れども亦晩し。子早く我に言わば、我能く之を諫めん。諫めて聴かれずんば我能く去らん。今既に諫めず又去らず。吾聞く、其の禄を食む者は其の事に死すと。吾既に乱君の禄を食めり、又安んぞ君を治めて之に死するを得んや」と。遂に車を駆りて死に入る。其の僕曰わく、「人乱君有りて、人猶お之に死す。我治長有り、死する毋かる可けんや」と。乃ち轡を結びて車上に自刎す。君子之を聞きて曰わく、「邢蒯瞶節を守り義に死すと謂う可し。死は人の難んずる所なり。僕夫の死するや、未だ義に合う能わずと雖も、然れども亦志有るの意なり。詩に云う、『夙夜懈らず、以て一人に事う』と、邢生の謂いなり。孟子曰わく、『勇士は其の元を喪うを忘れず』と、僕夫の謂いなり」と。
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論語・陽貨篇公山弗擾、費を以て畔く。召く。子往かんと欲す。子路説ばずして曰く、「之く末きのみ。何ぞ必ずしも公山氏に之れ之かん。」子曰く、「夫れ我を召く者は、豈に徒ならんや。如し我を用うる者有らば、吾其れ東周を為さんか。」
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『墨子』尚賢下今、王公大人の其の富ます所、其の貴くする所は、皆な王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者なり。今、王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者、焉くんぞ故に必ず知ならんや。若し知ならずして、其の國家を治めしめば、則ち其の國家の亂るること得て知る可きなり。今、天下の士君子は皆な富貴を欲して貧賤を惡む。然らば女、何を為して富貴を得て貧賤を辟けんとするか。曰く、王公大人の骨肉の親と為るに若くは莫し。王公大人の骨肉の親無く、故無くして富貴なる、面目美好なる者無きは、此れ學びて能くす可き者に非ざるなり。辯を知らざらしめ、徳行の厚きこと禹・湯・文・武の若きも加えて得られず、王公大人の骨肉の親は、蹙み瘖え聾し、暴なること桀・紂の若きも加えて失われず。是の故に賞を以て賢に當たらず、罰は暴に當たらず。其の賞する所の者は已に故無く、其の罰する所の者も亦た罪無し。是を以て百姓をして皆な心を攸れ體を解かしめ、沮みて以て善を為し、其の股肱の力を隳きて相い勞い來たらざらしめ、餘財を腐臭せしめて相い分ち資らざらしめ、良道を隠匿して相い教誨せざらしむ。此くの若くんば、則ち飢えたる者は推して之を上せざるを以てなり。
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尉繚子・武議良馬も策有れば、遠道致すべし。賢士も合有れば、大道明らかにすべし。
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
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『武士道』第八章 名譽・我ら十三歳の時の又た有るべきか少壮、多く志を立てて郷関を出づるや、名もし成らずんば、死すとも帰らじと誓ひ、大志の母多く、愛児の、もし錦衣故郷に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば恥を遠ざけ、名を獲んが為に、士人の子弟は心志を苦しめ、筋骨を労して、艱難の惨烈なるをも辞せざりき。而して少年の名誉は、年と共にやうやく長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊頼宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、ついに其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刃を交ふるの機無かりしを悔い、しきりに落涙に及びけるを、老臣あり、慰藉して『今日、御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事、幾度も御座あるべく候』と諫めたれば、頼宣、之を聞き、其老臣を一睨して『我ら十三歳の時の、又た有るべきか』と叱したりと伝ふ。