長短経 / 覇図
髙祖武皇帝姓劉、名裕、字徳輿、彭城人。桓𤣥簒晉〔偽楚桓𤣥、字敬徳、譙國龍亢人也。形貌瓌特。為江州刺史、襲殺荆州刺史殷仲堪。㑹稽王世子元顯專政、以𤣥跋扈、遣軍征之。𤣥聞見討、即率衆下至京師、殺元顯。詔以𤣥為丞相、封楚王、遂禪位。〕髙祖與劉毅、何無忌等潜謀匡復、起兵平𤣥〔時桓𤣥使桓𢎞鎮廣陵、劉道規為𢎞中兵叅軍、令道規襲𢎞。桓修鎮丹徒、髙祖為修中兵叅軍、自襲修。克期同發、劉毅、道規等既襲廣陵、斬桓𢎞、以其衆南渡、髙祖、何無忌襲京師、斬桓修、率二州之衆千二百人、進舍竹里、移檄京師。曰、
新字:高祖武皇帝姓劉、名裕、字徳輿、彭城人。桓玄簒晋〔偽楚桓玄、字敬徳、譙国竜亢人也。形貌瓌特。為江州刺史、襲殺荆州刺史殷仲堪。会稽王世子元顕専政、以玄跋扈、遣軍征之。玄聞見討、即率衆下至京師、殺元顕。詔以玄為丞相、封楚王、遂禅位。〕高祖与劉毅、何無忌等潜謀匡復、起兵平玄〔時桓玄使桓弘鎮広陵、劉道規為弘中兵叅軍、令道規襲弘。桓修鎮丹徒、高祖為修中兵叅軍、自襲修。克期同発、劉毅、道規等既襲広陵、斬桓弘、以其衆南渡、高祖、何無忌襲京師、斬桓修、率二州之衆千二百人、進舎竹里、移檄京師。曰、
書き下し
高祖武皇帝、姓は劉、名は裕、字は徳輿、彭城の人なり。桓玄、晋を簒う。〈偽楚の桓玄、字は敬徳、譙国龍亢の人なり。形貌瓌特なり。江州刺史と為り、荊州刺史殷仲堪を襲い殺す。会稽王の世子元顕、政を専らにす。玄の跋扈するを以て、軍を遣わして之を征す。玄、討たるるを聞き見て、即ち衆を率いて下りて京師に至り、元顕を殺す。詔して玄を以て丞相と為し、楚王に封ず。遂に位を禅る。〉高祖、劉毅・何無忌等と潜かに匡復を謀り、兵を起こして玄を平らぐ。〈時に桓玄、桓弘をして広陵に鎮せしむ。劉道規、弘の中兵参軍と為る。道規をして弘を襲わしむ。桓修、丹徒に鎮す。高祖、修の中兵参軍と為り、自ら修を襲う。期を克して同に発す。劉毅・道規等、既に広陵を襲い、桓弘を斬り、其の衆を以て南のかた渡る。高祖・何無忌、京師を襲い、桓修を斬る。二州の衆千二百人を率いて、進みて竹里に舎り、檄を京師に移す。曰く、
現代語訳
高祖武皇帝は姓を劉、名を裕、字を徳輿といい、彭城の人である。桓玄が晋を奪った。〈偽楚の桓玄は字を敬徳といい、譙国龍亢の人である。容貌は際立っていた。江州刺史となり、荊州刺史殷仲堪を襲って殺した。会稽王の世子の元顕が政を専らにしていた。桓玄が跋扈しているので、軍を出して征伐した。桓玄は討たれると聞いて、兵を率いて下って都に至り、元顕を殺した。詔によって桓玄を丞相とし、楚王に封じた。そして位を禅った。〉高祖は劉毅や何無忌らとひそかに王室の回復を謀り、兵を起こして桓玄を平らげた。〈当時、桓玄は桓弘を広陵に鎮させていた。劉道規は桓弘の中兵参軍だった。劉道規に桓弘を襲わせた。桓修は丹徒に鎮していた。高祖は桓修の中兵参軍で、自ら桓修を襲った。期日を定めて同時に発した。劉毅と劉道規らは広陵を襲って桓弘を斬り、その兵を率いて南へ渡った。高祖と何無忌は都を襲って桓修を斬り、二州の兵千二百人を率いて、進んで竹里に宿り、檄文を都へ回した。こう言った。
解説
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